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@Japan 中国人学生からの学び

 

日高真太朗

一昨年の年末のことである。私は“リードアジア”の代表になった。リードアジアとは、ビジネスを切り口とした日中交流プログラムである。実行委員を募った。8人になった。なんと6人が中国人だった。実行委員会が成立したことに安堵する一方、今後への期待と不安が入り混じった感覚を覚えた。日本で日本人が少数派になる状況で活動するのは初めてだった。状況にはワクワクした。しかし、代表として、活動の展開が読みにくいことが若干心配だった。

プログラムの企画は会議で進められた。会議中沈黙が訪れたことは一度もない。忌憚のない意見が飛び交っていた。意見の質は様々で、話の流れを踏まえていない意見も稀ではなかった。最初の方は、(なぜ今そんな発言をするのか。)と何度も思った。話がまとまらず会議を延長した時には代表として責任を感じ、終了時には「皆今日延びちゃってごめんね!」と声を掛けた。しかし、延長が常態化していくにつれて、声掛けも苦痛になっていった。「ごめんね。」という言葉の重みが軽くなっていくような気がしていた。

この悩みはある日突然解消した。会議終盤間際に、決定事項を全く無視した意見が出た。(また延びてしまう。)申し訳なさを感じつつ周りを伺うと、皆は嫌な顔一つせず耳を傾けていた。(皆は時間をかけても全員が納得することを望んでいるのかもしれない。)と直感的に感じた。私には“議論は時間内で成果を出すもの”という固定観念があった。私は仲間に対し、何かに納得していなくても、流れを壊すような発言を避けるよう無意識のうちに望んでいたことに気づいた。時間内に成果を出すことに意識が行き過ぎていたのだ。(おそらく皆は、議論に対して私とは違う考え方を持っている。)突然、時間をかけても全員が思いの丈をそのまま発言できる会議が魅力的に思えた。私は議論を時間で区切って収束させようとすることを辞めた。空気を読まず、間違いを恐れず、自由な発言が飛び交う会議は本当に楽しかった。

会議後にはよく皆で飲みに行った。居酒屋では中国人メンバーによる“交渉”が度々行われた。単品が安価な居酒屋では、「テキトーに頼むので○○円超えそうなところで止めてください。」という交渉があった。飲み放題だが、飲み物の提供に時間がかかりすぎた居酒屋では、時間延長の交渉があった。交渉成立後には、満面の笑みでのお礼を欠かさなかった。中国人メンバーは日常生活においても自分の考えを率直に伝えている。加えて、相手に敬意を払うことも忘れない。私は彼らを心から尊敬した。

彼らは考えのみならず、感情もよく表現した。飲み会の後のカラオケでは泣きそうになりながら失恋ソングを歌った。場が弾けんばかりに踊りながら盛り上がる曲も歌った。一緒にいると、幼少期に戻ったかのような感覚を覚えた。喜怒哀楽の表現の心地よさに気づいた。

かくして刺激的な日常は飛ぶように過ぎていった。私は当初は3カ月で辞めるつもりだったが、気づけば夏の最後のプログラムの準備を始めていた。当時私は理系の大学4年生だった。周りは研究モードだ。多くの人に「なぜ活動を続けているのか。」と聞かれた。回答には窮した。理屈では説明できなかったからだ。正体不明の何かが重力のように私を惹きつけていた。人に説明できない感情に忠実に行動しているのは自分らしくないと思ったが、自分に起きた変化を歓迎している自分もいた。心境はかなり複雑だった。

夏が来た。プログラム最終日。私は仲間に囲まれていた。様々なことに気づかせてくれた仲間。ほぼ全員が中国人だったからなのか、個性によるものなのかは謎のままである。しかし、そんなことはどうでもよかった。単純に中国のことをもっと知りたいと思うようになっていた。彼らは私に口々に労いの言葉をかけている。お礼を言いたいのは私の方だった。何とも表現し難い、熱い感情が心の底から湧き出てくるのを感じた。

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