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運命の恋国、中国

 

 早川麻理

中国を知ってから人生が動き出した。それほどの運命を感じる国が中国。まさかひとつの“国”に対して運命を感じる人生になろうとは、英語に挫折し、受験もままならず、何となく大学に入学し、何気なく選んだ第二外国語の中国語にこんなに魅了されることになるとは夢にも思わなかった。

最初の授業で聞いた中国語の漢詩。その発音の美しさに、幼い頃抱いていた「他言語を操れるバイリンガルになりたい」という密かな夢を思い出し、また、発音を教師に褒められたことで「私は中国語だ!」と心に決めた大学生活が始まった。大学2年の夏、大学の“北京大学短期留学プログラム”に参加した。この1ヶ月がわたしと中国を、後にどんなに嫌なことがあっても切っても切り離せない深い愛を育ませる土台となった。この1ヶ月を思い出せばいつでも胸が高鳴り、心がときめく、運命の出会いだった。

時は2002年夏。初めての北京は人民服に自転車の群れ、広大な天安門広場、ケンカをしているように騒々しく飛び交う中国語。全てが新鮮だった。毎日大学の端にある留学生寮からその対極の端にある教室まで果物を買ったり、ワンタンや小龍包をほおばり、豆乳を飲みながら通った。私たちには世話役係として北京大学日本語専攻の院生がついてくれた。私のクラスは湖北省農村出身の大きな体とシャイな性格が印象的な(コウ)さんという学生だった。彼と私たちはすぐに打ち解け、平日は授業が終わったらすぐに落ち合い食堂でご飯を食べ、バスに乗り、北京市内の古本街や西単、前門に王府井、京劇や雑技団鑑賞…色んな所へ出掛けた。彼おすすめの餃子館にも何度も一緒に通った。休日も北京の観光地を巡り、彼の南京にいる彼女の話から、恋愛・勉強・夢・習慣等色んなことを話した。実直でいつも助けてくれるさんを通じて知った中国は全てきらきら透き通って見えた。今思えばほんの1ヶ月なのに、乗っていたバスの屋根が急にはがれ、みなで脱出したり、別の日、バスの急停車で転倒し、口から血を出し、お爺さんから“手紙”を差し出され乗客達に心配されたり、秀水市場で6つ分のお金を払ったのに後で見ると2つしか入っていなかったり、みなで行った内蒙古では乗馬中スコールに遭い、直後に出た大きい虹とどこまでも続く草原の絶景に言葉を失ったり…一生分の驚きと感動を味わったような日々だった。お別れが近づき、さんから常々「僕の北京で一番好きな場所、香山に登ろう」と言われていたのを思い出し、私たちは北京郊外にある香山公園遠足を企画、お揃いの北大Tシャツを買ってみなで登った。汗と涙まみれの頂上から見た景色は今も色濃く焼き付いている。

帰国する前夜、さんと友人3人で北大の“未名湖”を散歩した。ひとしきり思い出話をしたあと、さんは「寂しくなったら月を見て。僕の気持ちは“月亮代表我的心”だよ。」と言った。当時中国語の理解が浅かった私は『月を見れば世界中どこでもつながっている』と解釈した。

しばらく文通をしていたが、彼が故郷に帰った後、疎遠になってしまった。1年後、10ヶ月の北京留学に行った際も会わず、帰国後社会人となった私はもはや思い出すこともさんと連絡をとる手段もなくなっていた。数年前、職場の中国人の同僚と雑談をしていた際、ふと思い出し「“月亮代表我的心”ってどういう意味?」と聞くと、「あなた(たち)のことが大好きだという意味だよ」と教えてくれた。その瞬間、あの初めての北京での1ヶ月を走馬灯のように思い出した。

さん、元気ですか?私はさんが教えてくれた沢山の中国を愛し、中国語の勉強を続けています。今、私は多くの日本の若者が私のように中国と運命の出会いを果たせるようサポートをする仕事に就いています。

我希望一个人和一个人的纽带变国家和国家的纽带谢谢,中国!!

(一人一人の絆が国と国との絆になることを願います。)

 

 

 

 

 

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