本当のおもてなしの心とは
比嘉大貴
「これが中国流のおもてなしだよ」その言葉を聞いた時、私に衝撃が走った。
2013年3月、大学一年生の時、私はサークルの仲間と中国人の先生の引率の元、中国各地へ一ヶ月間に渡る旅行に行くことになった。私にとって初めての海外旅行だ。当時PM2.5や対日抗議が取り沙汰され、一抹の不安を抱えていたため、大量にマスクを買い出国した。中国に着くと外は霧のように真っ白く、酷い時は20m先も見えない程だった。天津の南開大学で中国語を学ぶ傍らで中国人の生活習慣に興味を持ち始めた。日本ではお祭りの時以外あまり見なくなった屋台があちらこちらにあり、そこで現地の方が楽しそうに酒盛りをしているのだ。たわいもない話をしていたり、その様子は活気があり本当に楽しそうで、まるで一昔前の日本を見ているようだった。
ある日、南開大学で日本語を学ぶ中国人学生と交流する事になった。まだ中国語を学び始めてまだ一年足らず、至極単純な会話しか出来なく、ショックを受けた事を今でも覚えている。それにも関わらず彼女たちは笑顔で積極的に話しかけてくれて、いろんな所を案内してくれた。夜に一緒に夕飯を食べる事になった。青島ビールで乾杯し、中国名物の「火鍋」を食べ、会話こそ簡単なものであったが、とても有意義な時間を過ごすことができた。私はお金を払おうとしたが、彼女たちはそれを頑なに拒否した。なぜなら日本では学生同士でご飯を食べる際には割り勘が当たり前だからだ。ホテルに戻ってからも、納得できずにいた私は引率の先生にこう聞いた。
「始めて会ったのにも関わらず、何であんなにも親切にしてくれるんですか?」
「これが中国流のおもてなしだからだよ」と先生は笑顔で答えてくれた。
「おもてなし」これは日本が生んだ文化だと私は思っていた。日本流のおもてなしとはお客様に向けてのものであり、一方的に行う面が大きく、またあまりにも無機質だ。しかし中国のおもてなしの心とは初めて会った人にも親切にし、楽しんでもらえる様に尽くし、またそれを自らも享受し楽しむ。これこそが本当のおもてなしの心だと私は思う。
中国に一年間留学に行った際にもそれはしっかりと感じた。私が中国語のスピーチコンテストに出場するために、彼女は自分の時間を割いて付きっ切りで発音を教えてくれたり、中国語の文章を直してくれた。そしてどんな時も嫌な顔一つせず練習にとことん付き合ってくれた。その甲斐もあって、学校内で行われたスピーチコンテストで50名中1位を獲得することができた。後にその事を報告すると彼女は自分の事の様に嬉しがってはしゃいでいた。他にもクリスマスには恋人のいない一人ぼっちの私にリンゴをプレゼントしてくれ、一緒に平安夜(クリスマスイヴ)を祝った。それはあくまでも一方的にではなく、一緒に楽しもう!分かち合おう!という中国流のおもてなしなのである。こういった「小さなおもてなし」を友人同士や家族、大切な誰かのために行うことこそ、おもてなし文化だと中国という国を通じて再認識することができた。
日本と中国は元来、一衣帯水の仲で昔から親交が深かった。今から1000年以上前には優れた中国文明を学ぶため、遣唐使や遣隋使を派遣して、死ぬ覚悟で海を渡り、漢字や思想を始め様々な文化や習慣を日本にもたらしてくれた。現在では日中関係が悪化したり、回復したり政治や歴史間での争いは絶えないが、それでも中国から渡ってきた文化は日本に根強く残っている。この「おもてなしの心」も元々は遥か昔に中国から渡ってきたものなのかもしれない。