中国人観光客に間違えられた私
堀田夏鈴
私はもっと中国のことを好きになりたい。
日中関係があまり良好ではない現在、メディアでは日々、中国と日本の仲の悪さや中国の悪口を誇張しがちである。そのせいで、私は中国に対してマイナスのイメージがどうしても払拭できない。しかし、1年ほど前、私は中国を好きになるかもしれないと思った出来事がある。
それは都市建築の授業でレポート課題を出されたときのことである。当時、私は大学1年生で、都市建築の授業で身の回りの風景を写真に撮って、自分なりになぜその風景が美しいと感じるのか、どう改善したらもっと美しい景観になるのかを分析して提出するレポート課題が出され、私は水前寺成趣園の近くに住んでいたため、水前寺成趣園の風景を写真に撮ることに決め、写真を撮りに放課後水前寺成趣園に出向いた。平日の夕方で雨天にも関わらず、多くの外国人観光客で賑わっており、改めて人気の観光地だと実感した。その時は、外国人観光客はアジア系の団体が多く、私が写真を撮って園内をまわっている時に同じルートを回る中国人団体観光客と一緒になった。一緒にといっても、ただ近くで同じルートをたどっているだけで、私は特に何も気に留めることなく写真を撮っていた。半分ぐらいまわり終えたところでその団体の中の一人が私の存在に気付いた。他の団体客は前に進んでいたのだが、私を団体客の一人と間違えて、おそらく中国語で「遅れてるよ、早く」というような意味の言葉を私にかけてきたのだろうと思う。その状況は私もなんとなくわかったが、私は中国人団体観光客ではない。何と言おうか迷っているうちに数人が寄ってきた。私は咄嗟に「ジモト!ジモト!」と大きな声で言った。もちろん通じる訳はなく、半ば強引に後のルートを一緒に回ることとなった。もともと同じルートを回る予定であったのと、進みがゆっくりだったのであえて離れたりすることはなく同じペースで園内を回っていた。1周回り終えた時にようやくその団体観光客も私が仲間ではないことに気付いたみたいで、謝るような素振りを見せた。しかし、その時も私は何と言っていいのかわからず、もどかしさを抱えたまま笑顔で曖昧にその場をやりきった。
私はとても悔しかった。なぜなら、私は大学で選択している第2外国語が中国語なのだ。1年生とはいえ、簡単な挨拶文などはすでに終わっていて、文法などを勉強し始めていた。「私は日本人です。」も「ありがとう」も「ごめんなさい」も「こちらこそ」もその表現方法自体は知っていたのだ。ただ咄嗟に出てこなかった。とても悔しかった。もともと私が中国語を選択したのも水前寺公園という観光地の近くに住んでいたため、観光客から話しかけられることが多々あったり、飲食店のバイトで中国の方もよく来店されるため、中国語が話せたら実生活に活かせると感じていたためだった。そしてその成果を使う絶好のチャンスが訪れたにも関わらず微塵も成果を発揮できなかった。悔しい以外の何物でもない感情が湧いてきた。
私はその団体観光客に笑顔で手を振り、見送りながらその背中に誓った。1年後、またここで会った時には、挨拶だけではなくて、普通の日常会話もぜひしよう、と。この出来事の後、中国の方と話す機会や実際に私が中国に行く機会はなかったため、私は座学で日々の中国語の勉強を勤しんでいる。最近は中国語だけでなく、中国の文化や独自のルールなどにもとても興味が湧いてきている。次に中国の方と話す機会があったときに、中国語の勉強の成果を発揮するだけでなく、お互いの文化の違いについても話せたらもっと中国のことを好きになるだろう。