お湯をください
中瀬倫太郎
大学生の時に留学していた香港から、友人がお母さんを連れて来日した時のひとコマである。友人とお母さんをとある全国チェーンの定食屋さんに案内した。最初におひやが出てきたときに、お母さんはお湯が欲しいと言い出したのだ。
日本の飲食店では席に座るとたいていの場合は氷の入った冷たい水が出てくる、もしくは熱いお茶だ。店員さんの最初の返答も「お茶でしたらご用意できますが」だった。しぶる店員さんを説き伏せて、最終的にはお湯を出してもらうことができた。
こうしたことは中国からの客人を案内したことのある人、接客業で働いたことのある人なら多くが経験しているのではないだろうか。おそらく私が香港に留学中に私や私の両親を案内してくれた友人も、私の気がつかないところで似たような経験をしていたのではないかと思う。
こうした時に「面倒くさい」「チェーン系の定食屋でそんなわがままを言うなんて」と思ってしまうことはたやすい。また全ての中国人が食事の際にお湯を好むわけではないのだから彼女のわがままのようにも見える。しかし中国人の健康に対する考え方や熱心さを知っていると、見えかたは違ってくる。数千年の歴史をもつ中医学は、人体のバランスや普段の生活習慣を重視する。冷たい飲み物や食べ物を食べることが自分の身体に与える影響を考えるのは当然ことだ。また緑茶もただの水分補給ではなく、人体に影響を与える性質のものとしてとらえられている。
最近では日本でも飲み物の温度への関心が高まり、コンビニエンスストアなどで常温のお茶や水を販売されて人気になっているという。中医学や薬膳への関心の高まり、円高などの効果で「爆買」とも言われた中国からの観光客の急増が、こうした変化を後押ししたのではないだろうか。これまで隠れて見えていなかった需要が、日中交流をとおして見えてきたのである。飲食店でお湯を提供することは、もともとお茶を出しているならばたやすい。日中交流の中で突き当たる問題は、自国の文化や生活をよくするためのヒントにもなりうるのだ。
残念ながら異文化の交流はいつもスムーズにいくとは限らない。時にはお互いの生活習慣や考え方の違いから問題が発生する。日本ではここ数年、円安とビザの緩和で中国をはじめとする海外からの観光客が急に増えた。中国人観光客に対する歓迎の声と同時に異文化交流の中で発生する様々な問題にストレスを感じている人々の声が、一般の日本人のみならず、タクシーやホテルなど観光業に従事している人たちの中からも聞こえてくる。
異文化交流の中で発生する問題に対して、ただ拒絶しいらだつだけで終わらせてしまうのではなくより意義のあるものとするためには、ふたつのことが重要であると考える。ひとつはこうした問題に直面した時に、感情に身をまかせず相手がなぜそのようにふるまうのかを考え、理解しようとする心構えを持つことである。もうひとつは、相手を理解するためにその前提となる知識を多く蓄えることである。私があげたおひやとお湯の例でいえば、中医学や中国人の健康観についての知識を持っておくことで、彼女の行動を理解することができ、無駄にいらだつ必要はなくなる。あるいはそれを自らの生活や経済活動の中に取り込むことで、より豊かな人生を送ることができるかもしれない。
こうした知識は一朝一夕で身につくものではない。普段から意欲を持ち勉強していくことが重要である。また、知識を得る媒体も重要となる。日本人の記者や著者の書く中国に関する記事や本は分かりやすいけれど、一度日本人の思考フィルターを通してしまうことで実際の中国を知るうえでは時には不十分であり、偏ったものとなることもある。たとえ翻訳されたものであっても、時には中国人の書いたものを読んだり、映画を観たりするほうが良いだろう。