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友情がつないだ私と中国

 

 宇田幸代

私が初めて生の中国に触れたのは、高校三年生の夏の終わりでした。

父の会社の関係で中国の大連から曲さんという人が札幌へ来ることになり、家の手配や生活の様々をお手伝いすることになったからです。それに合わせ、父は中国語を習うようになり、中華料理ほどしか中国に縁がなかった我が家に突然中国文化が舞い込むようになったのです。曲さんと初めて会った日は、今でも鮮明に思い出せる程ドキドキしました。曲さんは、日本語がほぼ話せない状態で、お互いの共通言語はその時点で英語。「ニーハオ」と挨拶し、片言の英語と紙に書いた漢字で曲さんは「大連から来た29歳」わたしは「大学受験を控えた高校三年生」となんとか意思疎通をはかれた時、本当にうれしく、もっと曲さんと話がしたいと思うようになりました。

その日から、私と曲さんの交流が始まりました。曲さんの仕事がお休みの日には、家族で出かけ、その車内や旅先で私は日本語を、曲さんは中国語を教えあいました。また、曲さんの仕事が早く終わった日には、一緒にさっぽろラーメン巡りをし、お互いの国の食文化についても語りました。曲さんとの交流を通して、ずっと遠い国だと思っていた中国を段々と身近に感じ、いつか私も中国語を学び、中国へ行きたいと思うようになりました。その年の冬には曲さんは中国へ帰国しましたが、たった数ヶ月でも初めて異文化と触れた私にはとても大きな意味を持つ体験でした。

もともと違う道に歩むつもりでいましたが、これを機に急遽進路を変更し、私は東京学芸大学の多言語多文化専攻に入学。中国語や中国文化について学ぶことにしたのです。本格的に学ぶ中国語に苦戦しながらも、入学した夏には、北京師範大学のサマースクールに挑戦。約8ヶ月ぶりに北京で曲さんと曲さんの弟に再会し、中国語を話す私に曲さんはとても喜んでくれました。曲さんも中国へ帰ってからも日本語の勉強を続け、日本語はとても上達していました。中国から帰国後しばらくすると、今度は曲さんが仕事で千葉に1ヶ月やってくるという知らせが舞い込んできました。休みの日には、小旅行に出かけたり、美味しいものを食べに行ったりして、授業だけでは学べないローカルな文化を学びました。

もっと中華圏について理解を深めたいとの思いから、3年次には香港中文大学へ留学。香港では、大陸の中国人だけでなく、世界各国から大勢の華僑の人と出会い、中国語を通して世界中で友情を結ぶことができました。また、日本と中国との違いやたくさんの共通点にも触れ、そのたびにいろいろな考えを深め、その面白さに魅了された留学でした。

曲さんとの出会いから早5年が経ち、今年で大学を卒業します。曲さんとの出会いでこんなに人生が変わるなど予想もできませんでした。最初に中国語を習い始めた父とは中国語を学ぶ「同学」として、帰省時には一緒に勉強もします。そんな私の将来の夢は、中国語を通して、中国への理解がある学生を育て、日中友好に貢献することです。中国や中国語に関して、まだまだ知らないことばかり。貪欲に勉強を続け、そして時には直接中国を感じ、成長していきたいと思っています。そして、いつか先生になれた時、私と中国を結んでくれた曲さんにまたお会いしたいです。

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