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きっかけはアメリカで

 

 甘利祥汰

現在私は外国語学部中国語学科で中国語や中国の歴史・文化を学んでいます。あの広大な土地、長い歴史による膨大な情報に四苦八苦している毎日です。

僕がなぜ今中国についての勉強をしているか、きっかけは意外にもアメリカでのできごとでした。

15歳の夏休み私は両親にアメリカに飛ばされました。理由は家にいてもゲーム三昧なのでアメリカの空気でも吸って刺激をうけてこいとのことだった。

当時の私はHave a nicedayUn-huhしかしゃべれなく、行きの飛行機の中では出兵する気分でいた。

幸いにもホームステイ先のおばあさんとおじいさんはとても暖かい人でろくにしゃべれない私を優しく迎え入れてくれて、私は近くの大学で英語を勉強しに通い始めた。

ですがアメリカの学校での暮らしは大変で、英語がしゃべれないので毎日必死に人を観察しそれに態度やしぐさで合わせるしかなく人といるのが嫌だった。

家に戻っても英語がしゃべれない私が学校でうまくやっていけてるかとおばあさんとおじいさんを心配させてしまうので学校が終わっても学校のベンチで座って英語を一人勉強する日々をすごした。

アメリカに来て数日がたちベンチに座り教材を読んでいる日々に慣れ始めた時、突然座ってる背後から「こんにちは」と聞こえた。

慣れ親しんだその言葉だが発音、現在の環境とに違和感を感じ、後ろを振り返ると一人の女の子がたっていた。その女の子は後に僕の人生にきっかけをくれた人だ。

彼女は僕と同い年であり、同じく夏休みを利用してアメリカにホームステイをしにきたそうだ。

ベンチでよく一人でいる私を見かけていたらしく直観で日本人と思い、興味本位で話しかけてくれた。

恥ずかしながら僕は中学・高校ともに女の子があまりいない環境にいたせいで女の子と二人きりでしゃべるのが初めてであり、おまけに英語もしゃべれないのであたふたしながら一つずつ質問をした。彼女はゆっくり私にも聞き取れるように英語をしゃべってくれ丁寧に質問に答えてくれた。

彼女は日本の漫画好きで日本人の友達が欲しかったそうだ、その日ほど日本人に生まれてよかったと思った日は今もない。

話しているうちに彼女は自分の国の言葉を教えてあげると言い、僕が今まで聞いたことのない言葉を話した。

僕は「ヘンガオシン」の部分しか聞き取れず、他の部分は今でも思い出せない。最初に覚えた言葉は「嬉しい」という言葉だった、彼女は僕の人生で初めで中国語を教えてくれた。

その日から一人寂しく座っていたベンチは英語・日本語・中国語でにぎやかになり、僕のとても大切な場所になった。

その女の子と出会ってから僕は彼女の住む国や言葉に興味をもつことになる、もちろんそれは彼女自身に夢中であったからだ。彼女こそが壮大な中国という国への入り口だ。

私は初めて女の子と話したその日の夜に家で中国語の勉強を始めた、それを見ていたおばあさんとおじいさんは英語はどうしたの?と聞く。

それに対して私は、今は英語が一番大切なのはわかってるけど今は中国語が勉強したいんだと答えた。

もちろん、おばあさんは大反対をし僕に怒る。何のためにアメリカに来たんだと言われ何も言い返すことができない。

だがそんな僕におじいさんはもっと理由を知りたいと言い、僕は二人に女の子のことを話す。

最後まで僕を見つめ聞いてくれたおじいさんは一言にgoodと言い僕の横に座り一緒に電気辞書をのぞき始めた。

その後おじいさんは僕の中国語の勉強に付き合い同時に英語も教えてくれ、二人で中国語ノートを作り毎晩いろんな言葉を書いた。

そのノートの内容を披露するのが僕の楽しみになり勉強に熱も入る、それは彼女が帰国する日まで続いた。

彼女から中国のことを教えてもらった時間は一か月間と短いものではあったが、夢中になるには十分な時間であった。

最後に彼女は日本語で別れの言葉を言ってくれたので、私も用意しておいた中国語で返す。

「アナタのおかげで言語を学ぶ楽しさがわかった、ありがとう」本当はもっと言いたいことがあったのだがこれが限界であった。彼女や一緒に勉強してくれたおじいさんを通じて一緒にいる時間をわかちあうために言葉を覚えるということは素敵なことだとわかった、それと同時に言葉がすべてではないとも感じることができた。

その後日本へ戻り、アメリカでの出来事とこれから中国についてしたいと話したら両親に驚かれた。これらのことは特別中国だからということではなく、たまたまアメリカに行き、たまたまそこで出会えたのが中国人の女の子というだけだ。だが、それでいいと思い、この偶然に魅力を感じ、その後中国語学科のある今の大学にいる。

まだ再会は果たせていないがこのまま中国について勉強していけばそう遠くない未来にきっと会える、そう信じて今も中国を見ている。

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