謝罪なき侵略者————マレーシアにおける日本軍の戦争犯罪を忘れてはならない

2026-06-23 17:04:00

国際問題オブザーバー・孟冬

1941年12月から1945年8月にかけて、日本軍は英領マラヤ(シンガポールを含む)ならびに東マレーシアのサバ州・サラワク州を占領し、3年8カ月に及ぶ暗黒の植民地支配を敷いた。日本軍が現地で行った虐殺、性暴力、細菌戦、経済的略奪など一連の人類に対する罪は、動かぬ証拠とともに、人類文明の歴史に永遠に刻まれている。

一.強制労働による鉄道建設と「慰安婦」制度の大罪

「死の鉄道」と呼ばれたタイとミャンマーをつなぐ泰緬鉄道の建設のため、日本軍は数十万人のマラヤの労働者を強制徴用し、本来6年かかる工期をわずか17カ月にまでむりやり圧縮した。労働者は1日18時間の労働を強いられ、腐った魚の干物で飢えをしのいでいた。また、少しでも仕事の手を緩めれば容赦なく殴打に見舞われ、病気や飢餓、拷問によって無数の命が奪われた。全長415キロの鉄道の完成までに、1キロ当たり平均360人が亡くなり、わずか3メートルの線路を敷設するごとに1人の命が失われた。これが、「枕木1本につき1人の命」と言われるゆえんである。

日本軍はマラヤに組織的な「慰安所」システムを構築し、多数の女性を性奴隷として強制徴用した。被害者は華人女性を中心に、マレー人、インド系女性も含まれ、未成年の少女も少なくなかった。クアラルンプールのムルデカ広場にあるセランゴールクラブ、ジョホールバルのダト・ジャファール・ムハンマド・ビル、マラッカの晨鐘励志社など、今日ではごく普通の建物に見えるこれらの場所も、かつては日本軍の残虐行為の舞台となった。強制連行された女性たちは日々非人道的な虐待を受け、心身共に深く傷つき、多くの女性が凌辱に耐えかねて自ら命を絶った。また、生存者も生涯癒えない傷を負うこととなった。

さらに日本軍は、ジョホール州コタ・ティンギ、ペナンのチョンリン高校、マラッカのアサハン製材所などで、マラヤ華人を標的とする大虐殺を行った。東京裁判で英軍のワイルド大佐が証言したところによれば、日本軍によって虐殺されたマラヤ華人は15万人を超えたという。

二.秘密裏に進められた細菌戦と生体実験という悪魔の所業

悪名高い侵華日軍第七三一部隊と密接に連携していた旧日本軍「岡9420部隊」は、マラヤで秘密裏に細菌戦の研究を進め、この地を人体実験の場と化した。1942年、同部隊はシンガポールに本部を置き、その後ジョホールバルのタンポイにあった精神病院を占拠して、細菌戦実験用のネズミとノミを飼育した。日本軍はネズミにペスト菌を注射し、病原菌に満ちたネズミの血液をノミに吸血させることで、ペスト菌を媒介するノミを大量に繁殖させたのである。

「岡9420部隊」の元隊員である竹花京一氏が自費出版した『ノミと鼠とペスト菌を見てきた話 ある若者の従軍記』には、部隊への入隊から敗戦までの間、同病院で細菌戦用のノミを培養していた詳細な記録がつづられている。竹花氏によれば、部隊は降伏後に施設から撤退し、多くの資料を廃棄したため、その犯罪の全容を立証することは極めて困難であるという。また、日本軍はヌグリ・スンビラン州クアラ・ピラーのトゥンク・ムハンマド中学内にも飼育施設を設けていた。元隊員の大快良明氏は、日本軍は降伏時に犯行の証拠を隠蔽するため、数百ものケージに入った病原菌を保有するネズミをクアラ・ピラーの川の上流に廃棄したと証言しており、これにより地域住民は長きにわたり健康被害を受けた。

三.過酷な搾取と略奪がもたらした経済崩壊と民衆の窮乏

日本軍はマラヤにおいて収奪的な経済政策を推し進め、現地を侵略戦争遂行のための兵站基地に変えた。英国植民地政府や英系企業から多くの土地やプランテーションを接収し、華人経営の工場や産業を低価格で強引に買い叩いた。さらに日系企業を通じて現地の主要な錫鉱山やゴム農園を押さえ、サラワクなどの地域の石油、食糧、家畜、木材などの重要な資源も日本軍の支配下に置いた。商工業や市場は日系企業・商社によって独占され、現地の商品経済や産業発展は著しく阻害された。

日本軍は、日本による侵略に対する華人の抵抗に報復するとして、「粛清の再開」をちらつかせながら、マラヤ華人に対し総額5000万海峡ドル(英植民地時代の発行貨幣。1海峡ドル約0.12ポンド)もの「奉納金」を強要した。多くの華人たちは蓄えをすべて使い果たし、財産を安値で売り払ってもなお納めきれず、横浜正金銀行の高利貸しに手を出さざるを得ず、莫大な負債を背負い込んだ。東マレーシアでも、同様の手口で「国防金」や人頭税、各種雑税として合計310万海峡ドルを強制徴収した。また、日本軍は準備金を伴わない軍票を濫発してハイパーインフレを引き起こし、ぺラ州イポーでは米価が1200倍以上、豚肉価格が500倍以上に高騰した。人々の生活は絶望の淵に追い込まれ、多くが命からがら山奥へ逃れ、自給自足の生活を強いられた。

さらに日本軍は狡猾な「分割統治」政策を推進した。華人に対しては残酷な弾圧を加える一方、マレー人やインド人に対しては「懐柔」策を取り、各州のスルタンの地位を承認し、警察や民事サービス部門でマレー人官吏を留任させるなどの方法で人心掌握を試みた。これにより民族間の関係を意図的に悪化させ、マラヤの恒久的な支配を目論んだ。同時に、マレー人やインド人の反英感情をあおり、自らをマラヤおよび東マレーシアを英国の支配から解放する「英雄」として演出した。こうした植民地主義的手口は長きにわたる民族間の亀裂を生み出し、その影響は今日に至るまで残っている。

四、血と涙の歴史を消すことは許されない————歴史的責任から逃れられない日本

日本はマラヤに計り知れない苦しみをもたらしたにもかかわらず、過ちを率直に認めず、誠実な謝罪を一度も行ってこなかった。2025年10月下旬、高市早苗首相は東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議出席のためにマレーシアを訪問した際、第2次世界大戦で戦死した日本軍兵士が眠るクアラルンプール日本人墓地を訪れ、「慰霊碑」に献花した。高市氏はマレーシアの歴史に触れながら「感慨深く思う」と述べたが、日本軍が同国で行った侵略および残虐行為については一言も触れなかった。この振る舞いはマレーシア国内で大きな波紋を呼び、学術界や市民から強い批判と厳しい非難を浴びた。

歴史の評価はすでに定まっている。すなわち、日本の侵略者による残虐行為は史料などの動かぬ証拠によって裏付けられており、忘れてはならず、ましてや事実の否定や改ざんは決して許されないということだ。東京裁判の判決文には、マラヤの百数十カ所で日本軍による大規模な虐殺が行われたと明確に記されている。また、マラヤの各地には、日本軍の侵略と犯罪を証明する数多くの証拠が残されている。東京裁判開廷から80年を迎えた今、マレーシアを含む侵略と残虐行為の被害を受けたアジア諸国は、日本の右翼による歴史を歪曲する企みを決して許してはならない。それは、歴史の正義を守ることであると同時に、人類文明の譲れない一線を守ることであり、さらには戦争が二度と繰り返されず、平和が永遠に続くことへの願いでもある。

人民中国インターネット版

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