相次いで民意の反発を招く日本外交 高市政権はどこまでも突き進むのか
国際問題オブザーバー・周信
このところ、日本の世論では自国の対外政策をめぐる議論が引き続き活発化している。先日中国を訪問した日本国際貿易促進協会会長で元外相の岩屋毅氏に代表されるように、対中政策に関する理性的な反省の声が浮上している。一方、沖縄駐留米兵による強盗殺人事件は、またもや日本各界における日米同盟関係の見直しの動きを招くこととなった。
岩屋氏は訪中を終えると、相次いで公の場で発言し、現在の日中関係の緊張は日本が生み出したものだと直言した。高市早苗首相が昨年11月に「台湾有事」に関する発言をした際、「自分もその場にいて、驚いた」と述べたのである。同氏は、高市氏のいわゆる「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」という理念は現実的でないと批判し、ミドルパワーである日本は「大国ぶる必要はない」とし、中国と安定的な関係を構築すべきであり、これは周辺国の期待にかなうことだと述べた。元駐中国大使の宮本雄二氏も論説の中で、対中関係は日本の平和的発展にとって極めて重要だと強調し、高市首相に中国との対話を速やかに再開するよう呼びかけた。
他方で、沖縄駐留米兵による強盗殺人事件に対する高市氏の姿勢と対応措置について、日本の世論は納得していない。高市氏の米国への抗議の言葉は強硬に見えるものの、実際には政治的パフォーマンスにすぎず、在日米軍の「治外法権」という核心的な問題に触れていないとの見方が示されている。この事件も、これまでの同種の案件と同様、軽い処分で済ませてうやむやのまま終わる可能性がある。
しかし、対中関係にせよ対米関係にせよ、高市政権は本質を避けて末節にこだわる「ダチョウ症候群」に陥っており、理性的な反省と国民の声を恣意的に無視している。実際、高市政権の発足以来、外交路線はますます硬直化し、過激な対立姿勢、陣営への囲い込み、追従と迎合に加え、現実からの乖離、民生軽視、地域の平和と安定の破壊も見られる。それらは日本にいわゆる「大国としての発言権」をもたらさなかったばかりか、かえって経済の圧迫、社会の不安、暮らしの困窮といった問題を引き起こし、各方面からの疑念と反対を招いており、日本が現在直面している外交戦略のバランス喪失という現実の苦境をさらに浮き彫りにしている。
――「一辺倒」「一点張り」の追従外交は、その限界と危険性が際立っている。日本の外交は長らく日米同盟を基軸としてきたが、これは対中関係の発展と矛盾するものではない。ところが高市政権は、米国に全面的にすり寄って依存し、さらにはご機嫌取りまで行う一方、中国に強硬な対抗姿勢を示している。こうしたやり方は日中関係の基盤を大きく揺るがし、地域の不安定要素を深刻化させるもので、日本の国益にも合致せず、米国の期待にも沿わない。日本のある官僚は、米国は日本にとって最も重要な同盟国だが、だからといって何もかも米国にすがるべきではないと述べている。また、日本のあるジャーナリストは、日本は中国との経済協力を強化する決意を固めるべきで、米国の「核の傘」を頼みとして中国と仲たがいするやり方はとうに時代遅れであり、感情に任せて外交はできないと直言している。過去数十年かけて積み上げてきた日本の外交資産を、高市氏は積み木を崩すようにいとも簡単に壊してしまった。これはあまりに危険なことである。
日本国民はいっそう声を大にして訴えている。沖縄駐留米兵による日本人女性の強盗殺害事件は、表向きは揺るぎないとされる日米同盟の裏に隠された、地位の深刻な不平等という残酷な本質を無情にも暴き出した。日本の学者は、自国の国内で起きた犯罪でありながら、米軍の裁量で処理されるのは日本に対する侮辱だと指摘する。日本は、誰が何を行い、どのような方法で問題を解決するのかを提起する勇気を持ってこそ、主権国家と称するに足る。また、沖縄の住民は、こうした侵害が一体いつまで続くのかと、いっそう怒りに満ちている。日本の外交が「遠交近攻」の下で抱えるリスクと苦境は、まさに日本各界がしっかりと省みるべきものである。
――国内問題の矛盾を外的要因に転嫁する外交上の大きな賭けは、日本の国運を食いつぶし、地域の安定を破壊する。現在、日本では物価の高騰が続き、家計の支出圧力が急増し、企業の倒産件数は過去最高を更新し続けている。国民が日々の糧に頭を悩ませるなか、高市政権はいわゆる「外部の脅威」をこの上なく煽り立て、巨額の財政を軍備増強に投じている。2026年度の防衛予算は9兆円近くという記録的金額に達し、2027年度にはさらに増える見通しだ。同時に、日本は「軍備外交」「軍事演習外交」を大々的に展開し、殺傷能力ある武器の輸出を承認し、東南アジア諸国に中古の退役装備を売り込んでいる。さらに、米国やフィリピンなどと相次いで合同軍事演習を行い、地域の軍備競争のリスクを押し上げ、地域の平和と安定を損なっている。ますます多くの日本の国民が、高市政権の急進的な外交路線が日本にもたらすのは安全ではなくリスクであり、国力を高めるのではなく国運を食いつぶすことにつながると認識するようになっている。
――パフォーマンス的な外交で、国民の目をごまかすことはできない。高市氏は一国の指導者としての立場を顧みず、米国にひたすら媚びへつらい、日本国民から嘲笑を浴びている。同時に、しばしば外交行事を利用して歴史認識を操作し、右翼勢力の歓心を買い、アジアの被害国の人々の感情を顧みようともしない。東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議出席のためにマレーシアを訪れた際、高市氏はわざわざ第2次世界大戦中の日本軍のいわゆる「慰霊碑」に献花し、「深い感慨を覚えた」「マレーシアの歴史を振り返った」と述べたが、当時の日本軍によるマレーシア侵略の暴行には一切触れず、マレーシアの人々の歴史的な苦痛を無視し、現地世論の強い批判を招いた。現地の学者は、このような行動が戦争の被害者とその子孫の感情を傷つけることにほかならないと述べている。このことから、日本外交がすでに右翼的な歴史観を流布し、歴史の罪行を美化するための道具に成り下がっていることがうかがえる。
逆風の中でたいまつを掲げる者は、自らの手を焼くことになる。高市政権は外交を個人的な政治的パフォーマンスや右翼的議題を推進する舞台とし、自国民の幸福の追求および地域の平和と安定への貢献という外交の本来の意義をなおざりにしたため、世論は沸騰し不満は収まらない。日本の「外交青書」には「国民の声に耳を傾け、国民に理解され、支持される外交を展開する」と明記されている。どうやら高市政権はこの点で、まだまだ成すべき課題が多いようだ。
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