内蒙古の大地から聞こえる緑の交響曲と未来への招き

2025-10-24 16:58:00

袁舒=文 

広大な内蒙古の大地では、風と太陽、雪と草原が共鳴し合い、緑の変奏曲を奏でている。オルドス(鄂爾多斯)の砂漠には、果てしなく連なるソーラーパネルが「青い海」をつくり出し、黄砂をせき止め、オアシスを育んでいる。フルンボイル(呼倫貝爾)では四季折々の景色が広がり、春には花を愛で、夏は馬を駆り、秋は黄金色の草原を眺め、冬には氷雪のナーダムを楽しみ、氷点下58度の極寒の中で熱々のラム火鍋を囲む。ウランチャブ(烏蘭察布)では草原を吹き抜ける風と強烈な日差しが67のデータセンターを稼動させ、4秒の光ファイバーで世界と結ばれている。砂漠の緑化から、冷涼な気候を生かしたデータ産業、トナカイのそりからクラウドの演算力まで――同じ草原が、さまざまな姿を世界に見せている。 

オルドス砂漠の奥の「ソーラーパネルの海」 

黄河の「几」字カーブに沿って走り、オルドスのクブチ(庫布齊)砂漠へと入る。車窓に映る砂丘は、まるで固まった波のように起伏している。さらに進むと、突然、視界に深いブルーの「海原」が広がる。ここは杭錦旗の朔方新エネルギー大型基地の1期プロジェクト。数万枚のソーラーパネルが黄砂の大地に整然と並び、まるで藍色の海のようだ。静かに太陽を仰ぎ、電流の音すら聞こえないが、年間36㌔㍗時のグリーン電力を送り出し、砂漠の侵食を食い止めている。 

その「治砂の鍵」は、ソーラーパネルの下に広がる「小さなオアシス」にある。巨大な日傘のように砂地を覆うパネルは、地表温度を下げ、土壌の水分蒸発を抑える。さらにパネル間の通風帯が風速を弱め、砂漠に適した植物が育つ環境を整える。とはいえ植物が根を張るには土の改良が欠かせない。現場責任者の李金裕さんはこう説明する。「砂に保水剤や有機肥料を混ぜ、土壌構造を改善し、水分保持力を高めています。同時に砂の表面にクラスト(固結層)をつくり、防風固砂効果を強めているんです」 

パネルを洗浄した水はスタンドを伝って滴り落ち、植物への「点滴かんがい」となる。砂を掘れば、指先にしっとりした湿り気が感じられ、パネルの影の下では水分蒸発が3割減少。そこからカンゾウやオウギ、サリュウの芽が顔を出している。李さんは笑いながら言う。「小さく見えても根は地下2まで伸び、砂をしっかりつかんでいるんです。まず砂を安定させてから、少しずつ土を豊かに育てます」 

こうした苗を育てるために、基地には5400平方のスマート温室が建てられた。ソーラーパネルの基地から2離れた温室は、外では風砂がうなっているのに、中はまるで熱帯植物園のよう。サリュウやホアバン(花棒、中国原産の砂漠の低木)の苗が育苗トレーに整然と並び、ミストのような自動噴霧が漂い、霧の中の小さな森を思わせる。「砂漠に直接種をまいても、発芽率は2割に届きません。でも苗が15ほど育ってからパネル下に移植すれば、一度で1300ムー(約87)植えられ、活着率は85%に達します」。「板上発電板下植生」のモデルが、砂漠の一寸一寸の土地に命を吹き込んでいる。 

温室を出て、新しく敷かれた砂利道をさらに奥へ進む。道端では牧民の三輪車が行き交い、荷台にはスコップやホースが積まれている。李さんが窓を下ろし、蒙古語で声をかける。建設工事が始まったとき、周辺の牧民が優先的に雇用された。 

「工事が一番忙しかった時期には、村の男性の8割がここで働いていました」。そう話すのは、元牧民のジリガラさん。今は自家のローダーを運転し、太陽光発電区画で整地や砂固めをしている。「昔は天に頼るしかなく、一年の収入はお天気次第でした。今は『板』で稼いでいます。時給制で、1日500元は手に入ります」。彼が指さす先には新築のれんが造りの家。「去年の改築費用は、ここで稼ぎました」 

基地のそばには、小さな飼料工場も建てられた。パネルの下で育ったカンゾウを加工し、羊飼いに販売する。工場では機械音が響き、粉砕されたカンゾウが甘い香りを放っている。女性作業員のウユンチチグさんは、粒子状のカンゾウを黄色い袋に詰めながら笑う。「前は専業主婦で子どもの世話をするばかりの毎日でしたが、今はこの仕事で月に4000元以上稼げて、昼には家に帰って食事もできます。子どもに言われました。『お母さんから青草の匂いがするね。羊くさいのよりずっといい』って」 

夕日が沈むと、インバーターの緑のランプが一斉にともり、その日の電力が送電網に流れ込む。砂丘の上では風が止み、砂も眠るように静まり返る。太陽が山に沈み、ソーラーパネルが一日の仕事を終え、また次の夜明けを待つ。李さんが手を振る。「さあ、帰って食事にしましょう。今日の食堂にはラムの煮込みがあります。板の下で育てた新しい飼料を使っているから、一味違うんですよ」 

フルンボイル氷と火が交わる四季のエコツーリズム 

4月末、まだ寒気が残る中、風がひと足早くフルンボイル大草原を呼び覚ます。新緑は芽吹いたばかりだが、パオの前には野生のツツジが一面に咲き誇り、地面を薄紅紫に染める。子どもたちはたこ糸を握って駆け回り、糸が緩むと空に色鮮やかな鷹が舞い上がる。 

夏になると、草原はまるでアイロンをかけたかのように平らに広がり、鮮やかな緑の輝きを放つ。涼しい風には草の種子と野生のハッカの香りが混じり、遠方からの客を馬場へと導く。はるかに続く草原を馬で駆け抜けるときの速さと爽快感は、誰をもとりこにする。馬から降り、パオに入ると、手づかみのラム肉やヨーグルト、炒米(炒めたアワ)が次々と食卓に並ぶ。夜が訪れると篝火が「ボワッ」と燃え上がり、馬頭琴が響く。旅人と牧民が手を取り合い輪になって踊れば、靴の下で草が弾け飛ぶ。 

9月の風は一夜にして草原を金褐色に染める。遠くに揺れるアシと放牧の羊が重なり、まるでメラード配色の絵葉書のような景色となる。 

雪が降り積もれば、草原は一面真っ白な巨大な紙のように固められる。12月下旬、陳バルグ旗の北風は刃のごとく雪を削り、細かな塩のように舞わせる。だがパオの木の扉をくぐれば、沸き立つミルクティーの香りと馬頭琴のしなやかな音色が、たちまち寒さを閉め出してくれる。 

一年に一度の草原の祭典「ナーダム」。蒙古語で「娯楽遊戯」を意味し、豊穣を祝う民族の伝統行事であり、中国の第1陣の国家級無形文化遺産の一つでもある。例年7~8月の家畜が肥え太る季節に行われる祭りだが、その競馬弓射相撲が雪原に移されると、また別の趣を帯びる。それがフルンボイル草原ならではの「氷雪ナーダム」である。 

冬の競馬場は雪に覆われ、浅い溝だけが残るが、ラクダも馬も迷うことなく走り出す。号砲が響けば、馬の群れが雪面を駆け抜け、雪しぶきが観客に襲いかかる。まるで巨大な白いフェルトを誰かが一気にめくり上げたようだ。相撲の土俵は掘り出したばかりの円形の雪の穴。若者たちは青いサテンの衣装をまとい、胸には金の雲紋の刺しゅう。組み合った瞬間、雪が四方に飛び散る。観光客も体験者として加わり、立つ間もなく柔らかい雪の上に転がされ、笑いながら雪まみれになる。 

黒山頭の氷釣り場では、ドリルがうなり、飛び散る氷の破片がガラス片のように光る。テントの中では小さなストーブの上で魚のスープが温まり、釣竿の先がかすかに震え、釣り針にパイクがかかる。最初に釣り上げた魚はバケツに入れられ、「これは川の神からの贈り物だから、火祭りにささげます」とスタッフが言う。 

夕暮れ、バルグ集落では雪原の中央に火盆を据える。松柏の枝、バター、ミルク酒が次々に投げ入れられ、火柱は人より高く立ち上がる。火祭りの儀式が始まると、長老がその火種を各家庭に分け与える。火花は雪の上でも消えず、星をちりばめたように瞬く。太鼓、オルティンドー(長唄)、ホーミーが重なって響き渡り、観衆は分厚い毛皮の上着の中で身を縮め、白い吐息が炎と溶け合う。 

儀式を終えた人々は、大きなパオに招き入れられる。中央の火盆には新たに薪がくべられ、銅壺の中でミルクティーがぐつぐつと煮え立つ。馬頭琴が『走馬』を奏で、弦の響きはまるで雪を蹴る蹄音のよう。客も主人にならい、薬指を茶に浸し、天と地と火へ3滴弾く。 

北疆の極寒を極めるなら、さらに北――根河へ向かおう。ここは「中国の寒極」と呼ばれ、氷点下58度の最低気温を記録した土地だ。直径1の巨大な銅鍋で煮え立つ湯に、フルンボイルのラム肉が躍る。氷と炎が交差する「涮羊肉(シュアンヤンロウ)」(羊肉のしゃぶしゃぶ)は格別の味わいだ。氷上ではトナカイがそりを引き、凍りついた川の上にカーブを描き、子どもたちの歓声が冷風の中に響く。ここには中国唯一のトナカイ遊牧民、オルグヤオウンクの鹿づかいの人々が暮らしており、冬には雪そりレースが熱く繰り広げられる。 

四季は巡り、草原に客足が絶えることはない。春には花の海、夏には緑の波、秋には黄金のじゅうたん、冬には果てなき雪原。そして風が草をなびかせるたび、フルンボイルは静かにこうささやく。――「どうぞいらしてください。ここで過ごす一年は、とても長く、そして短いのです」と。 

フルンボイルで開催された「氷雪ナーダム」で、ラクダ競争に臨む地元の遊牧民たち(写真娃娃) 

秋のフルンボイルの白樺林。広大な森が美しい彩りに染まり、息をのむような風景が広がる(写真提供フルンボイル市メディア融合センター) 

ウランチャブ 「草原クラウドバレー」のグリーン電力革命 

高速鉄道復興号の列車が北京北駅を出発しておよそ1時間半。車窓の外で華北平原はシルエットとなって後方に遠ざかり、代わりにウランチャブ草原の果てしない広がりが現れる。駅に降り立つと、草の香りを含んだ風が髪を乱す。地元の人々は笑って言う――「草原の風は年に2度吹く、一度吹けば半年続く」と。まさにその風が、13㌔㍗時のグリーン電力を67のデータセンターへ送り込み、「草原クラウドバレー」の名を全国にとどろかせてきた。 

チャハル(察哈爾)ハイテク産業開発区のサーバールームでは、機器のインジケーターが夏の夜のホタルのように瞬く。サーバーのファンがうなりを上げても騒がしく感じないのは、年平均気温43度という環境のおかげだ。冷却塔を動かす必要はほとんどなく、年間の消費電力は2割以上削減できる。亜信データセンターの責任者駱西永さんはこう語る。「自然冷却は天からの贈り物ですよ」。彼が指さす黒いラックには、世界中の顧客のバックアップデータが収められている。「少しでも冷たい方がハードディスクは長持ちし、お客様も安心できるんです」 

市外に出れば、風車群が白いマトリクスを描き、ソーラーパネルは地平線まで鏡のように敷き詰められている。ウランチャブの電力の6割は風力と太陽光によるもの。そのうち億3000万㌔㍗時は500ボルトの送電路を経由して北京へ直送され、首都が域外から受けるグリーン電力のほぼ2割を占める。つまり、北京の明かりをともしているのは、ウランチャブの風なのだ。国家電力投資グループ風力発電所風電場ベテランエンジニアの張建軍さんは夜勤で風速を記録するのが習慣だ。「夜は風が強い。だから北京の夜更かしさんたちにはもっと多くのクリーン電気が届くんですよ」。そう言って点検簿を閉じる。「風が止まらない限り、私たちも休みません」 

2017年、2本の144芯光ファイバーケーブルが草原に埋設された。一端はウランチャブ、もう一端は「中国のシリコンバレー」と呼ばれる北京中関村をつなぐ。データ往復に要する時間はわずか4――瞬きするより速い。「金融取引の顧客が一番恐れるのは遅延です」。ファーウェイ(華為)クラウドの運用エンジニア李薇さんがキーボードをたたきながら言う。「この光ファイバーは草原の『データ高速道路』。遅延が少なく安定してこそ、顧客は中枢システムを預けられるんです」 

国家戦略「東数西算」(東部地方で発生した大量のデータを西部地方に移して処理する)の八大拠点の一つとして、ウランチャブは「電源電網需要蓄電」の一体化をデータセンター運用に組み込んだ。中金データ基地が構築した「風光蓄送」協調システムは、風力太陽光蓄電スマート配電を一体化し、再生可能エネルギー特有の間欠性や変動性を克服。これにより、サーバールームのチップは100%グリーン電力で稼働する。こうした環境が、ファーウェイやアリババをはじめとする67のプロジェクトを引きつけたのだ。 

データセンターの集積には、それを支える人材の育成が不可欠だ。ウランチャブ職業学院はデジタルインテリジェンス産業学院を設立し、「学院+ファーウェイ+エコ企業」という産学連携モデルを通じて「産学研用」を実践、地域の人材不足を補っている。校舎内の教室はサーバールームであり工房でもある。学生たちは3人1組でエッジサーバーを調整し、時間割には「午前 : 理論授業/午後 : ファーウェイクラウド実習」と記されている。学院のコンピューター情報工学科党総支部書記さんは語る。「学生は卒業前に実案件の経験を積め、企業も再教育の手間を省けます」。昨年、最初の卒業生42人はパークエリア内の企業に即座に内定をもらった。 

夜が更けても、風車は回り続け、サーバーは光を放ち続ける。草原の風は熱を和らげ、草の香りを残す。ここでデータは保存洗浄学習され、再び光ファイバーを通じて都市へ、そして人々の手のひらのスマートフォンへと戻っていく。グリーンエネルギーとデジタル経済が出会ったとき、かつては素朴だった草原が、世界をつなぐ計算力の拠点へと変貌するのだ。 

 

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