日本メディアとの「縁」と「怨」
日中友好会館中国代表理事黄星原=文
私が日本のメディアと付き合うようになったのは、1985年に中国外交部新聞司(報道局)に入ったときからだ。その後35年間の外交官生活の中で、私は日本の多くのジャーナリストと知り合い、日本のメディアとは切っても切れない「縁」を結んだ。
2000年、私が雲南省麻栗坡県の副県長に出向していたとき、北京駐在のNHKのジャーナリスト・加藤高広さんが取材のために麻栗坡県に来た。私たちは共に山を越え、貧しい人々の家に行き、彼らの生活状況を訪ねた。しかし、残念ながら翌年、加藤さんは交通事故で33歳の若さで亡くなってしまった。彼の遺志により、加藤さんの妻は弔慰金を寄付し、麻栗坡県に「高広希望小学校」を建てた。加藤さんとその家族の善意の行動を思い出すたびに、感動が抑えきれない。
当時の日本のメディアは、中国に対する態度が比較的公平で、中国を客観的に紹介する優れた番組が数多く制作されていた。その中の一つ、新疆ウイグル自治区を紹介するドキュメンタリーは、綿密な取材により、新疆の多彩な民族文化と、現地の人々の平和で幸せな生活を日本の視聴者に届けており、印象深かった。
一部の日本の政治家が靖国神社に参拝し、マスコミがこれを利用して誇張した報道を行い、中日関係に大きな波風を立てたとき、日本の大手新聞2紙が靖国神社参拝問題について徹底討論を行った。 歴史認識の観点や日本の国益、国際的なイメージなど、さまざまな角度から、日本が何をすべきかを分析した。そのような議論こそ、日本の国家と国民の真の利益を守れると彼らが教えてくれた。
日本のメディアに対する「怨」というのは、日本のメディアと何か個人的な怨みがあるのではなく、日本のメディアに携わる多くの友人から、中日関係はすでに以前とは違い、中国に関する日本のメディアや世論環境は大きく変わったと何度も言われたことだ。ある日本のジャーナリストは、「今は真実を伝えるのが難しい、中国に関する暴言が過激であればあるほど人気があります」とため息をついた。
昨年10月に開催された第17回「北京―東京フォーラム」では、両国のメディア関係者が、メディアが中日関係に及ぼす影響を巡って話し合いを行った(写真・董芳/人民画報)
人民中国雑誌社が主催する「パンダ杯全日本青年作文コンクール」の審査員を、20年と21年の2年連続で務めたことがある。昨年、同コンクールが行ったアンケート調査の結果では、インタビューを受けた日本の青年の74%以上が、「日本の報道から受ける中国のイメージが自身のイメージより悪い」と答え、60%近くが、日本のメディアは中日関係促進や相互理解に「貢献していない」もしくは「マイナス効果になっている」と答えた。この結果には少し驚いた。メディアがその国の人々、特に若者たちに否定されているのは、とても悲しいことで、やりきれないことだ。
今年は中日国交正常化50周年で、記念すべき年であると同時に、総括が必要な年でもある。国交正常化により、中日両国は半世紀にわたって平和的に共存する歴史的な機会を生み出し、年間1000万もの国民の往来と数千億㌦の貿易という奇跡を作り上げた。メディアはこの歴史的な機会と奇跡の目撃者や記録者というだけではなく、その守護者かつ推進者にもなるべきだ。次の50年で、中日関係がより良く発展していくことを心から願っている。