岡崎嘉平太さんを偲ぶ
全日空中国室常任理事 朱金諾=文
今年は中日国交正常化50周年だが、全日空の中国路線就航35周年でもある。このように特別かつ大切な年を迎えるに当たり、私は改めて中日国交正常化の立役者として活躍した、全日空元副社長の岡崎嘉平太さんのことを思い起こしている。
1962年、岡崎さんは松村謙三氏を伴い訪中し、高碕達之助氏と共に中日覚書貿易の会談に参加。同年11月9日、廖承志氏と高碕氏はあの有名な「中日長期総合貿易に関する覚書」(通称LT貿易)に署名した。高碕氏が亡くなった後の64年から74年にかけて、岡崎さんがLT貿易の日本側の主な責任者となった。
LT貿易は中日関係の発展に重要な貢献を果たした。岡崎さんは何度も周恩来総理に会い、周総理から「中日友好の井戸を掘った人」と称された。72年には、周総理自らが招待者となった中日国交正常化を祝う国宴に招かれた。
岡崎さんにとって日本と中国を結ぶ航路の定期便開通は長年の願いだったが、90歳の誕生日を迎えた87年4月16日にその夢がついにかなった。就航初日、岡崎さんは日本から大連、北京へと飛び立ち、人民大会堂で行われた就航式典で30分にわたって祝辞を述べた。「今日、ようやく私は周総理との約束を果たしました。全日空のスタッフが日中両国の友好のため、アジアの発展のために頑張ってくれることを願います」というのが、そのときの言葉だ。
1971年3月、訪中時に周恩来総理と歓談する岡崎嘉平太さん(写真提供・朱金諾)
岡崎さんは周総理を非常に尊敬していた。オフィスに「為人民服務」(人民に奉仕する)と書かれたバッジを胸につけた周総理の写真を飾り、スーツのポケットにいつも周総理のポートレートを刺繍した布を忍ばせていた。岡崎さんは私に「こうしていると、いつも周総理と一緒にいるような気持ちになれるんだ」と語っていた。岡崎さんは89年9月22日にこの世を去った。告別式で時子夫人はその周総理の刺繍を棺に入れた。
岡崎さんは戦後、100回以上も中国を訪れた。訪中の際、最も多く口にした言葉は「前事を忘れざるは後事の師なり」だ。それは、過去に日本の軍国主義によって行われた中国への侵略戦争に対する深い反省と、歴史を鑑とするという岡崎さんの歴史観を示している。「信はたていと、愛はよこいと、織りなせ人の世を美しく」を座右の銘に、岡崎さんは強い信念と実際の行動をもって、中日国交正常化と両国の経済貿易関係の発展に人生をささげた。
中日国交正常化から半世紀が過ぎ、中日友好事業も正道を守りつつ革新を進める時代を迎えた。中日両国は引っ越しができない隣国であり、今後の国際情勢がいかに変化しようとも、中日関係は両国にとって最も重要な二国間関係の一つだ。両国の社会制度や文化的背景は確かに異なるが、お互いにコミュニケーションをより大切にし、交流を強化し、相互信頼と理解をさらに深めるべきだろう。岡崎さんの言葉「終わりなき日中の旅」をもって、今後の中日関係を展望したい。