父が中日友好に残した財産
中国宋慶齢基金会孫平化日本学学術奨励基金管理委員会委員 孫暁燕=文
私の父、孫平化は50年前、中日国交正常化の実現に向けた取り組みに深く携わっていた。互いへの深い理解は中日関係の発展の土台であり、学術研究が欠かせない手段だと父はずっと考えていた。そのため、より多くの中国人学者が日本学研究に身を投じるよう奨励し、日本学学術奨励基金の設立を望んでいた。
1990年代、中日友好協会の会長を務めた父は長年の各種の賞金や原稿料、講演料などを合わせて、100万元近く蓄えた。当時の中国では、1万元以上の貯金を持つ人さえまだ珍しかった。この100万元は、夢を実現するに十分な「大金」だった。
96年、父は北京外国語大学日本学研究センターに寄付し、学術奨励基金を設立するつもりだったが、当時の法律では、同センターが自ら基金を管理することはできなかった。
翌年、父の健康状態がだいぶ悪化したため、私は父の代わりに中国宋慶齢基金会を訪れ、相談に乗ってもらった。すると向こうからすぐ傘下で特別基金の設立を許可するとの返事を得た。
97年8月5日、父は食事や起きることができなくなり、意識がもうろうとなった。宋慶齢基金会と北京外大日本学研究センター、公証役場の関係者たちが病室に駆け付け、共に公正証書の署名を行う中、父は踏ん張ってサインをしたが、「孫平化」のわずか3文字を書くのに20分もかかった。大の書道好きで、日本の友人たちにもよく字を贈っていた父のそのゆがんだサインは一生で最も「下手」な字だったが、最も心を揺さぶる絶筆でもあった。10日後の8月15日、父は亡くなった。
昨年4月1日、第9回「孫平化日本学学術奨励基金」授賞式が北京で行われた。基金会主要メンバー、出席した来賓、受賞者による記念写真(写真提供・中国宋慶齢基金会)
9月26日、宋慶齢基金会は「孫平化日本学学術奨励基金」の設立を発表した。11月、管理委員会が立ち上げられ、文化部の劉徳有元副部長が委員会主任を務めた。幸運なことに、私も委員の一人を務めさせてもらった。
孫平化基金は98年に、中国の研究機関で人文科学分野の研究をする50歳以下の学者の日本学研究成果を対象に、第1回の授賞式を行った。その後、2、3年に一度審査が行われてきた。この24年間、9回の審査が行われ、歴史・政治・経済・社会・文化・言語・文学の研究や学術分野の訳書など社会科学の複数の分野からの84件の成果に授賞した。受賞者のうち、学術界の専門家に成長した方も少なくない。
今年は中日国交正常化50周年。50年前、父が毛主席や周総理の指導の下、中日関係の改善と発展のために奔走していた。また、父が創設した孫平化基金も両国間の相互理解の増進に積極的な役割を果たしてきており、先達たちの中日友好に対する信念とささげた心血には深く感銘を受ける。後世の私たちは、先達の遺志を引き継ぎ、中日間の協力の手がよりしっかりと握られ、中日間の友好の心がより近づくよういっそう努力していくべきだ。