多様化する中国の月餅、和菓子化し伝統守る日本の月餅
旧暦の8月15日(今年は9月10日)は中秋節。今週末の当日を控え、中国では月餅商戦がいよいよ最終段階に入っている。老舗菓子屋から今風の洋菓子店に至るまで、最近の月餅は実にバラエティー豊か。新型コロナウイルス流行でおうち時間が増えた影響もあり、自分で作った月餅をSNSにアップする人も多く見られる。
そんな中国の最新月餅事情だが、伝統的な月餅の中で最もポピュラーなのは「五仁」と呼ばれるナッツあんと「豆沙」と呼ばれる小豆あんだろう。日本でも月餅というとまずこの2種類を思い浮かべる人が多いのではなかろうか。
日本で月餅を広めたのは、新宿中村屋の創業者だと言われている。
1925(大正14)年、百貨店の新宿出店で打撃を受けた中村屋。創業者 相馬愛蔵・黒光夫妻は中国への旅行で、その打開策のヒントを見つけます。この旅行で日本人のラマ僧に出会い、中国では8月15日の夜"月餅"と称する菓子を月前に供えるとともに、親しい人たちで盛んに贈答が行われるという話を聞きます。何となく<日本の風習に似ているな>と感じた創業者は、この菓子を日本への土産にしようと決めました。
持ち帰った"月餅"。しかし日本人の口にはなかなか合いません。それに、愛蔵には「模倣を排す」「独創性」という考えがあったので、「中国の月餅」を「和菓子としての月餅」に仕立てることにしました。
(中村屋公式ホームページより抜粋)
かくして油を控え、皮の口当たりを良くし、美しい造形の「和菓子」月餅が1927年に誕生。人気は全国に広まり、平成以前の和菓子屋で月餅を扱う店はそれなりに多かったと筆者は記憶している。中身はもちろん「木の実」と「小豆あん」。中国のものよりもかなり小ぶりで、型抜きの模様も繊細でいかにも日本らしいいでたちだ。味も万事控えめなところが極めて和菓子らしく、皮にも中身にも油脂をたっぷりと使い、コク深く食べごたえがある中国本家のものとは、「似て異なるもの」という印象がある。
ところが最近の健康ブームを受けてか、中国でも古典的な「多糖多油」の月餅は敬遠されがちだという。かわって人気なのが香港地区発祥の「冰皮月餅」。もち米やうるち米の粉で作った求肥のような皮にあっさり味の餡を包んだもので、油脂をほとんど使わず着色や型抜きで簡単に「映える」ため、お菓子づくりが趣味の若い子を中心に人気が集まっている。
ますます多様化する中国の月餅事情と、日本化を遂げながらも中国から受け継いだDNAを守り続ける日本の月餅。ヘルシーブームの流れで、日本の月餅に中国から熱いまなざしが注がれるのも、そう遠い日ではないのかもしれない。