周恩来総理の詩碑「雨後嵐山」が京都・嵐山に落成
周恩来総理が日本留学時に詠んだ詩「雨後嵐山」の詩碑の落成・除幕式が清明節(先祖を祭る中国の伝統的な祭日、今年は4月5日)の午後、京都・嵐山の大悲閣千光寺で行われ、中日の民間人約30人が出席した。1979年に落成した亀山公園の「雨中嵐山」の詩碑に続き、嵐山に2基目の詩碑が加わり、2つの詩碑が川を挟んで向き合う形となった。除幕式後の記念行事では、中国の薛剣・在大阪総領事や門川大作・京都市長が詩碑の落成に祝意を表した。
主催した周恩来平和研究所の所長で法政大学名誉教授の王敏氏は、周恩来関連の研究に長く携わる中で、周恩来が日本の各階層の人々から広く尊敬され、敬愛されていたことを知った。王氏によると、1917年、周恩来は19歳の時に、祖国を救うための真理を求めて日本へ渡り、2年間留学した。周恩来が日本に留学した時期は、辛亥革命の後、五四運動の前の激動の時代にあたり、周恩来はいっそう懸念を募らせていた。1919年春、周恩来は帰国前に京都・嵐山などに立ち寄り、その風景に感動して、政治的大志を込めて「雨中嵐山」と「雨後嵐山」という2つの詩を詠んだ。1979年、「中日平和友好条約」締結を記念して、日本の友好的団体が「雨中嵐山」の詩碑を建立した。 2022年、「雨中嵐山」の姉妹碑として、中日国交正常化50周年という重要な年に「雨後嵐山」が落成した。これは今日の中日関係の発展の成果を再認識し、「歴史を鑑として未来に向かう」精神に基づき、引き続き中日関係の改善と発展を後押しするうえで助けになると王氏は深く感じている。
詩碑「雨後嵐山」は高さ112cm、幅54.5cmで、「世界平和」の文字が刻まれた台座の上に建てられている。正面上部には「雨後嵐山」の詩句が、下部には詩碑建立の経緯が刻まれている。王氏は詩碑落成の前に何度も嵐山を訪れて実地調査を行い、数多くの史料を調べた。「『雨後嵐山』の詩碑建立は、先人を偲ぶものであると同時に、後世の人々が初心を忘れないようにするための鞭撻でもある。周総理が日本留学時に残した貴重な遺産を伝承するものであると同時に、中日国交正常化の推進に周総理が果たした重要な貢献を偲ぶものでもある」と王氏は語る。
日本の福田康夫元首相はメッセージで、父である福田赳夫元首相が周総理を尊敬していたことに触れ、詩碑「雨中嵐山」の除幕によって、周総理が再び人々の目の前に現れたかのようだと述べた。また、日中友好の初心がいつまでも続くことを願った。(編集NA)
「人民網日本語版」2022年4月8日