「731部隊」に挑んだ20年 歴史の真相と被害者の実像を追って~上海交通大学・楊彦君教授に聞く

2025-12-26 16:41:00

「彼らはマルタ(丸太)ではありません。一人ひとりに名前があり、家族がいました。歴史研究とは、事実を記録するだけでなく、亡くなった人々に“人間としての尊厳”を取り戻させる営みでもあるのです」

第二次世界大戦中、日本軍が行った人体実験と細菌戦は、人類史上で最も暗い戦争犯罪の一つとして知られています。中国の歴史学者・楊彦君(よう・げんくん)教授(46)は、この重いテーマと20年以上にわたり向き合ってきました。

戦後80年となる2025年7月、楊教授は35万字に及ぶ学術書『731:医学的沦陷(医学の陥落)』(中華書局)を出版しました。

本書は、侵華日軍第七三一部隊(731部隊)が関与した人体実験と細菌戦の全体像を、米国やロシアで近年公開された一次史料をもとに、体系的に検証したものです。

黒竜江省出身の楊教授は、現在、上海交通大学人文学院の教授(研究員)であり、同大学「戦争裁判与世界和平研究院」の専任研究員であるとともに、「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」の特聘研究員も務めています。

新刊『731:医学の陥落』の執筆を通じて明らかになった史実や、長年にわたる被害者遺族との交流の中で楊教授が感じたことについて、お話を伺いました。

■『731:医学の陥落』 人体実験被害者に捧げる本 

――731部隊の歴史に初めて触れたのはいつですか。 

私は1999年に黒竜江大学の歴史学部に進学しました。入学後の軍事訓練(サマーキャンプ)で、大学から徒歩で20キロを歩いたのですが、その目的地がハルビン郊外の731部隊本部跡地で、初めてその場所を訪れました。

そして、侵華日軍第731部隊罪証陳列館には2005年に行きました。黄色く変色した記録文書に記された一人ひとりの名前が、まるで声なき叫びのように心にささり、私のその後の人生を変えました。

――『731:医学の陥落』は、どのような思いで執筆されたのですか。 

この本は、先行研究に新たな考察を加え、整理したものです。731部隊による医学犯罪が組織的・体系的に行われたものであり、軍・学・官・産が結びついた国家犯罪であったという特徴を明らかにしています。

執筆にあたっては、フィールドワークを基礎に、数万ページに及ぶ英語・日本語の資料を調査し、遺族など関係者への聞き取りを重ねました。それは彼らにつらい記憶を思い出させる行為でもありましたが、同時に人体実験の被害者たちの名誉を回復する取り組みでもありました。

私は、731部隊によって「マルタ(丸太)」と呼ばれた人々を、国家レベルで認められる「抗日烈士」として位置づけ直しました。被害者という立場から、抵抗者という立場へと転換させ、その生い立ちに焦点を当てて、掘り下げようと思ったのです。

本書を、非業の死を遂げた人体実験の被害者たちに捧げ、彼らの魂が安らかであることを祈りたいです。彼らは「マルタ」でも「ノミ」でも、「荷物」でもありません。一人ひとりに名前があり、家族がいました。彼らは英雄であり、抗日烈士であり、後世に永く追悼されるべき人々なのです。

■今につながる歴史、癒えない傷 

――研究の中で被害者遺族と関わり、印象に残っていることは? 

研究の過程で、私は数十人に及ぶ人体実験被害者の遺族と接してきました。彼らの語る言葉、流す涙、そして痛ましい経験に、強烈な衝撃を受けました。彼らの中では、戦争はまだ終わっておらず、トラウマは今なお癒えていません。

2023年10月26日に亡くなった李鳳琴さんは、遺腹の子(父の死後に生まれた子)でした。65歳の時に初めて、自分の父・李鵬閣氏——無線で情報を送る任務に就いていた抗日志士——が731部隊の人体実験で命を落としたことを知ったのです。一次資料によれば、李鵬閣氏は1941年7月28日に「特移扱(特殊移送扱い)」として、731部隊に送られました。その時、李鳳琴さんはまだ生まれていませんでした。

私は、李鳳琴さんが731部隊細菌実験室跡地を訪れた時の様子を忘れることができません。彼女は長い間、うつむいたまま動きませんでした。私が様子を見ようと近づくと、彼女は私の足音に気づき、ゆっくりと顔を上げました。その顔は涙で濡れていました。そして嗚咽しながら、こう語ったのです。

「私は一度も父に会ったことがありません。父は当時25歳でした。ここで、どれほど非人道的な拷問を受けたのでしょうか」

2012年、私は調査内容に基づいて、李鵬閣氏の抗日活動と被害の事実を説明する書類をまとめました。これが認められ、李鵬閣氏は抗日烈士として認定されました。この時に初めて、731部隊に関する研究は、歴史を今につなげる力を持つのだと実感しました。

――「特移扱」とは? 

「特移扱(特殊移送扱い)」というのは、関東憲兵隊内部で用いられた専門用語です。関東憲兵隊や警察署、保安局、特務機関などが逮捕した、偽満州国に反対し抗日活動を行う者を、秘密裏に731部隊へ移送する特殊措置を指します。

日本の「軍・警・憲・特」によって特殊移送された中国人、ソ連人、朝鮮人は、「荷物」や「マルタ」と蔑称され、逮捕、尋問、拷問、移送、収監、実験、解剖、死体焼却という残酷な過程をたどりました。大多数は生物実験室、病理解剖室、野外実験場で亡くなり、一部は731部隊の撤退直前に集団虐殺されました。

「特移扱」は、731部隊における人体実験被験者の主要な供給源であり、人体実験犯罪の証拠連鎖において極めて重要な要素です。

「特移扱」の記録文書には、憲兵隊が被害者を撮影した写真が含まれるものもあり、それらは資料と共に保存され、憲兵隊と731部隊の秘密裏の結託を示す犯罪証拠となっています。

――「特移扱」を受けた人数と、人体実験被害者の総数は? 

「特移扱」の事実認定については、長い間、物的証拠が不足していたため、加害当事者の口述証言に依拠するしかありませんでした。しかし1997年10月、黒竜江省の檔案館(公文書館)で「特移扱」に関する一次文書が発見され、秘密裏の移送過程が初めて明らかになりました。

関東憲兵隊司令部およびその下部組織の各級憲兵隊、憲兵分隊、憲兵分遣隊が特殊移送の主な実行者であり、「偽満洲国」の各級警察署、保安局、特務機関も積極的に関与していました。1997年以降、黒竜江省と吉林省の檔案館が、「特移扱」に関する計1695ページに及ぶ資料を公開し、そこには317人の人体実験被害者の情報が記載されています。

人体実験の被害者総数については、731部隊の川島清少将(総務部長、第一部長、第二部長、第四部長などを歴任)がハバロフスク裁判で次のように供述しています。

「1940年より1945年に至る間に、この殺人工場内で殺人細菌に感染せしめられて殺害された者の数は、少なくとも3000名に達しました。1940年以前の志望者数は知りません」

また、瀋陽で軍事裁判を受けた関東憲兵隊の吉房虎雄中佐は、書籍『侵略―中国における日本戦犯の告白』(1958年、新読書社)の中で、「1937年以来、約9年のあいだに、石井部隊(731部隊)で虐殺された愛国者の数は少なくとも4000名におよんでいる」と証言している。

――被害者遺族たちのことは、どうやって探し当てたのでしょうか。 

近年、「特移扱」記録に記載された情報をもとに、中国の研究者である韓暁氏、張志強氏、楊玉林氏らが継続的に調査を行い、これまでに被害者16人の遺族や関係者を探し当てました。李鳳琴さんもその一人です。

16人に関する彼らの証言は、口述資料として侵華日軍第731部隊罪証陳列館新館の「特移扱と人体実験」展示コーナーに収められています。

しかし、それ以外のほとんどの被害者は「秘密裏に処分」され、いかなる記録も残されておらず、遺族を見つける手段もありません。さらに遺憾なのは、「特移扱」の一次記録が存在しても、経年劣化により判読が困難であったり、人為的な欠損があったりすることです。そのため、731部隊に命を奪われた多くの無念の魂は、永遠に安らぎを得られないかもしれないのです。

■侵華日軍による細菌戦と人体実験の国家犯罪性 

──研究を通じて見えてきた、731部隊の実像とは? 

731部隊は、旧日本軍が細菌兵器の研究・製造・使用を担った軍事基地で、細菌戦を準備し、発動するための中枢でした。

1933年から1945年にかけて、731部隊およびその前身となった組織は、「陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ陸戦条約)」や「ジュネーヴ議定書」などの国際法に反し、中国で大規模な細菌戦を準備し、実施しました。実施範囲と被害の深刻さから見ても、細菌戦が日本軍にとって重要な作戦手段となっていたことが分かります。

一方、人体実験の規模と影響を見れば、731部隊だけでなく、日本の各防疫給水部、陸軍病院、野戦病院も関与し、共同で行われた人権に対する犯罪であったことは明白です。

731部隊航空班・写真班が撮影したハルビン郊外・平房地区の本部施設全景(1940年) 

──これまでに確認されている731部隊の隊員数は? 

現存する名簿から3497人が確認されています。細菌戦と人体実験を担った中核的構成員の多くは、名門大学で博士号を取得した人物でした。東京(帝国)大学、京都(帝国)大学、慶應義塾大学などで、医学・農学・理学の博士号を取得した彼らは、当時の日本医学界のエリートでした。

しかし彼らは、軍国主義に巻き込まれ、「国益」「科学研究」「医学の発展」という名の下で、国際法や倫理を踏みにじり、人々を苦しめ、傷つけ、殺害しました。これは疑う余地のない戦争犯罪であり、人道に対する罪です。日本の医学史において、隠しようもなく、避けて通ることもできない負の遺産だといえます。731部隊の罪は、エリートによる組織的な集団犯罪であり、国家犯罪なのです。

 

関東軍防疫給水部の名簿(写真は楊彦君氏提供) 

──著書には、ペストに感染した少年隊員への人体実験という、信じがたい証言もありました。 

はい。731部隊の元少年隊員・篠塚良雄氏が、自伝『日本にも戦争があった: 七三一部隊元少年隊員の告白』で明かした内容です。

また、別の元少年隊員・清水英男氏(95)は、上司が持ってきたパンを食べた後に42度の高熱を出し、一週間寝込んだ末にようやく治療を許されたと証言しています。清水氏は、自分たちが上司によって実験に使われたのではないかと疑っています。

このような、仲間さえも対象にした行為は、人間性を失った狂気の所業と言わざるを得ません。

2024年8月13日 ハルビンにある侵華日軍731部隊跡地を訪れた清水英男氏(写真:CFP) 

■戦後も続いた被害、細菌戦の長期的影響 

侵華日軍第731部隊跡地(写真:CFP) 

──731部隊は、病原体に感染させたネズミやノミを大量に繁殖させ、「細菌爆弾」として用いました。敗戦後、731部隊が本部施設を爆破した後、これらの動物はどうなったのでしょうか。 

731部隊は1938年から1945年にかけて(本部である平房特別軍事区域の建設から壊滅まで)、細菌戦の準備と実施のため、膨大な数の実験動物を捕獲・飼育し、増殖させました。特に、ジリス、シロネズミ、ドブネズミ、ハムスター、ハツカネズミなどが多用されました。

1945年8月、731部隊が主要施設である「四方楼」を爆破したことで、実験動物は廃墟から逃げ出しました。中にはペスト菌に感染したネズミやノミも含まれ、それらが四方に逃げ散りました。その結果、平房地域では1946年7月から1954年5月にかけて大規模なペストの流行が発生し、地元住民に多数の犠牲者が出ました。

例えば1946年、平房地区の「後二道溝屯(こうにどうこうとん)」という村では、住民の靖福和さん一家19人のうち12人が、20日足らずの間に相次いで亡くなっています。

さらに、実験用に増殖されたネズミが野外で生き残ったことで、在来種や環境にも大きな変化が生じました。平房および周辺地域は、病原体が野生動物の体内で長期的に存在し自然界で循環する「自然疫源地」となっていきました。

同様の事態はハルビンだけではありません。日本軍が細菌戦を実施した浙江省の衢州、湖南省の常徳などでも、戦後に大規模な感染症の流行が起き、深刻な危機をもたらしました。

 

──ペストのような感染症の撲滅は容易ではないと思います。 

その通りです。平房地区における感染源の除去は、行政にとって重い経済負担であっただけでなく、住民にとっても大きなプレッシャーになりました。1946年から1994年までのほぼ半世紀、ハルビンは感染症のモニタリングと対策という困難な任務を担い、膨大な人員と資源を投入しました。

同地区の野生のネズミに対するモニタリングのデータによると、ペスト菌は少なくとも1994年まで存在し続けました。完全な除去が確認されたのは2000年で、終戦から55年が経過していました。

■裁かれなかった罪と司法が認定した史実 

──ナチス・ドイツの医学犯罪は、ニュルンベルク継続裁判で裁かれ、被告人23人のうち7人が絞首刑となりました。一方、731部隊は戦後の国際情勢もあり、十分に裁かれなかった点が注目されています。 

ナチス・ドイツの医師たちが裁かれたことを踏まえれば、731部隊の医学犯罪も、同様に戦争犯罪および人道に対する罪として告発され、責任を追及されるべきでした。

しかし1945年8月15日の日本の降伏後、731部隊の隊員は朝鮮半島を経由して次々に帰国し、多くが法の裁きを受けないまま生活を続けました。ソ連の捕虜となった者もいますが、ほんの一握りでした。

日本本土へ撤退した隊員の多くは戦犯裁判を免れ、人体実験の計画者・組織者・実行者も戦争責任を問われませんでした。長い間、731部隊の実態は関係者の沈黙によって覆い隠され、今日でも、明らかになっているのは、氷山の一角に過ぎないと思います。

東京裁判終結後、米国の隠蔽と保護のもとで、創設者の石井四郎を含む関係者は処罰を免れました。本来戦犯として罰せられるべきであった元隊員たちは、戦後日本の各界で地位を得て、経済の高度成長とともに豊かな暮らしを送りました。1955年から2019年にかけては、731部隊の元隊員たちは戦友会を公然と結成し、集会や慰霊行事を重ねながらも、過去の医学犯罪についての十分な反省はほとんど見られませんでした。

──1997年、中国の被害者代表が日本で国家賠償請求訴訟を起こし、日本政府に謝罪文の交付と賠償を求めました。しかし、この訴訟は2007年に敗訴で結審しています。 

はい。しかし、この裁判は史実を認定したという点で意義があると考えています。判決は次の事実を認定しました。

「731部隊は陸軍中央の指令に基づき、1940年に浙江省の衢州、寧波、1941年に湖南省の常徳でペスト菌を感染させたノミを空中散布し、1942年に浙江省江山でコレラ菌を井戸や食物に混入させるなどして細菌戦を実施した。ペスト菌の伝播による被害地は8カ所に増え、細菌戦による死者数は約1万人にのぼる」

  

さらに判決は、細菌戦が、戦前に結ばれたハーグ条約などで禁止されていたことも認めました。

弁護団長の土屋公献氏(1923~2009、元日弁連会長)が東京地裁の第1回公判で述べた言葉は、非常に印象的です。日本政府が過去の反人道的犯罪を率直に認め、明確に責任を取り、犠牲者に謝罪することは、アジアの近隣諸国や世界との信頼関係を築くために不可欠な条件であり、金銭では得られない大きな『国益』になる──という訴えでした。

しかし残念ながら、日本政府は「証拠不足」などを理由に、現在に至るまで、731部隊が人体実験と細菌戦を行った歴史的事実を正式には認めていません。

■負の遺産として未来に何を伝えるのか 

──戦後80年を迎えたいま、旧日本軍の生物戦の実態に関する研究を、今後どの方向へ進めたいですか。 

医学倫理学の世界的な研究者である聶精保教授(ニュージーランド・オタゴ大学)は、旧日本軍の医学犯罪とその戦後処理を論じる際、「この重い話題を考え、語り、書くたびに、被害者の魂が私たち一人ひとりを見つめているように感じる」と述べています。私も同じ感覚を抱いてきました。

過去の医学犯罪に関与した一人ひとりを裁くことはできません。しかし私たちには、歴史を記録し、後世に伝えていく義務があります。

731部隊の医学犯罪に関する歴史を記憶し、国際社会で正しく認識し、記録し、伝えていくためには、歴史学界と医学界による継続的で踏み込んだ調査研究と、史料の保存が不可欠です。同時に、社会全体で平和教育と啓発を進め、同じ悲劇を繰り返さないための努力を続ける必要があると考えています。

研究が深まれば、より多くの真実が明るみに出てくると信じています。

──研究成果は、社会にどのように広まってほしいとお考えですか。 

ユネスコ世界遺産委員会は、アウシュビッツ強制収容所跡や広島の原爆ドームを世界遺産に登録しました。その基準の一つは「顕著な普遍的価値を有する出来事」です。

これに照らせば、731部隊跡地も世界遺産登録を目標にすべきだと思います。跡地の保護、環境整備、総合的な活用を進めながら、(世界遺産の条件とされる)真正性、完全性、普遍的価値を深く掘り下げ、それを正確に解釈し、包括的に評価する必要があります。

731部隊跡地は「負の遺産」として、平和の尊さと戦争の否定を訴える場所です。世界の平和教育にとって重要な拠点となり、世界反ファシズム戦争の歴史を記憶する国際的な記念地になるべきだと考えます。 

──最後に、この記事を読んでいる中日両国の若者にメッセージをお願いします。 

過去を直視しなければ、現在を理解することは難しく、共通の未来を切り開くこともできません。第二次世界大戦期、日本が侵略戦争を起こしたことで、中国と日本は「戦時の敵国」となりました。この歴史は中国の博物館や教科書に明確に記録されています。記録を残すことによってのみ、私たちは何が起きたのかを知り、今なお大きな歴史認識の隔たりがある理由を理解できます。

その上で、私は研究者として、今後も中日両国の政府・学界・民間がより多くの交流と対話を重ね、正しい歴史観を共有し、ナショナリズムによって形成された固定的な認識の枠組みを超えて、平和・協力・和解への道を歩んでいくことを願っています。(取材・記事:王小燕、校正:梅田謙)

「中国国際放送局日本語版」2025年12月26日

 

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