「朝食」は一つの都市の味覚の記憶であり、起きぬけの一口はことのほか重要である。小さな店を探して、並んでお金を払い、食券を受け取り、料理を受け取る。腰を下ろすとさじがお碗に当たる音、口からはむしゃむしゃという咀嚼音がし、知り合いを見つけると頭を挙げ挨拶をして席を移る。これが天津の早朝の日常で、漫然と、淡々としている。
天津の朝食は、基本的に一カ月間ずっと違うものを食べ続けることができる。みんながよく知っている老豆腐(餡かけ豆腐、豆腐脳ともいう)、豆乳、餜子(油条、つまり揚げパンのこと)、茶卵(茶と醤油や香料などで煮た卵)のほかに、天津の昔ながらの朝食には極めて特色あるご馳走がある。すべて味わい深く、昔ながらの味が残されている。
焼餅と小豆まん
焼餅(焼いたパン)、特にゴマ焼餅、油酥焼餅(外側がパイのような焼餅)、さらに餜子(油条、揚げパンの一種)、豆乳、老豆腐、鍋巴菜(緑豆粉で作ったクレープを柳の葉状に切り、餡をかけて食べるもの)は天津の最も古典的で大衆的な朝食である。
天津の小麦粉を使った料理の種類は多く、大餅、ゴマ焼餅、油酥焼餅、麻醤焼餅、什錦焼餅、缸炉焼餅、螺蛳転焼餅、糖火焼、肉火焼、叉子火焼、棋子火焼、牛舌餅などさまざまなタイプのものがある。
ゴマ焼餅は外の皮はサクッとしており、ゴマが黄金色に焼かれ、香りがあたりに充満し、内側は柔らかい。油酥焼餅は塩味で、サクッとした歯ごたえが素晴らしい。近年、人々の好みも多様化し、油酥焼餅の中に各種の甘いあるいは塩味の具材を入れるものも現れ、お菓子的なものも登場している。天津伝統の炉干焼餅と「炉粽子」は現在ではあまり見られなくなってしまった。炉干焼餅は楕円形をして、真ん中が窪み、外側は黄金色でサクッとしていて、中は柔らかく、ほのかに甘く、とても人気があった。「炉粽子」は形が粽子(ちまき)に似ていることから名付けられたものだが、実際は小麦粉でできた食べ物だ。小麦粉の生地を平底鍋の上に置いて弱火であぶり、さらに周囲に穴があり、上部が閉じていない鉄製の円い囲いを平底鍋の上にかぶせ、生地に均一に火が通るようにし、外側がパリッと焼けたら冷まして食べる。「炉粽子」は旧暦五月の端午の節句のときによく食べられる。
民俗学者・食文化研究者の由国慶によれば、天津の民間には多くの焼餅づくりの名人がいて、1978年に天津で朝食づくりコンテストを開いた時には、名人が次から次へと現れたという。丁字沽新村の李おばさんがつくるゴマ焼餅は味がいいだけでなく、分量も正確で、3個続けて量っても秤の針はまったく動かず、審査員たちを驚嘆させた。天津の女性たちはさらに、白砂糖、赤砂糖、ナツメ餡、小豆餡、バラと青梅の細切り餡、トウガンの砂糖漬けなどの具をまんじゅうに包み込むのが得意で、朝食の中心的メニューとしている。比較的良く見られる蒸しパンや糖三角(砂糖入りの三角蒸しパン)以外にも、様々な美しい図案の入った型枠も主食づくりにおいて大いに異彩を放っていた。さまざまな色に着色したり、赤や緑で絵を描いたりしてとても美しい蒸しパンを作る人もいた。食いしん坊の天津女性は甘い饅頭を芸術の域にまで高めたといえる。(毎日新報記者王晨輝=文 L=編集)