幸せ編み出す貴州・竹細工 無形文化遺産の発展で農村振興

2022-08-04 16:58:02

馬力=文 王長育=写真

今年3月に開かれた全国人民代表大会(全人代)に貴州省代表の一人として参加した楊昌芹さん(32)は、貴州省の無形文化遺産「赤水竹細工」技能の伝承者だ。全人代に出席するため北京に向かう前日、楊さんは会社の従業員を指揮して今年春季第1陣となる竹細工の注文品を完成させた。「私たちが作った竹細工製品は、これまで主に海外に輸出していました。新型コロナウイルスの影響で海外からの注文は減っていますが、国内市場の開拓が成果を収めました」と楊さんは語る。 

楊さんは、無形文化遺産の伝承と農村振興の産業を密接に結び付け、革新的なやり方で伝統的な竹細工に新たな活力を吹き込んだ。おかげで、多くの竹細工の文化クリエイティブグッズが貴州の辺境地から世界の市場に進出できた。また、楊さんが興した産学官提携の拠点では、特色あふれる竹細工により何千人もの人々が地元での就職と収入増を実現した。 

  

無形文化遺産の竹細工技能を伝授する楊さん(中央) 

  

素人から文化遺産伝承者に 

楊さんは幼児師範学校を2007年に卒業した。まだ17歳だった。条件の良い幼稚園で働く、あるいは大学や専門学校に進んで勉強を続けることもできたが、インターンシップで知った伝統的な竹細工のとりこになり、最終的に古里の印江トゥチャ(土家)族ミャオ(苗)族自治県から400㌔も離れた赤水市で竹細工技能を学ぶ道を選んだ。 

古里を遠く離れて竹細工を学ぶという楊さんの選択は当初、家族からの応援が得られなかった。「両親から、他の人は壁にぶつかると引き返すのに、おまえははしごをかけて壁を乗り越えようとするね、と言われました」と楊さんは振り返る。竹細工の技能を学ぶ道は簡単ではないが、頑張り屋で粘り強い性格の楊さんは、わずか数年で竹細工技能をマスター、その作品は数十回も省内外の工芸品大賞を受賞した。それから数年後、彼女はその見事な腕前により「赤水竹細工」技能の伝承者となった。 

楊さんは12年、赤水市大同鎮に竹細工の工芸工場を建設した。工場が初めて雇った従業員は、地元の多くの「留守女性」(古里に残された出稼ぎ労働者の妻)だった。その後、市場のニーズに応じて、楊さんは社員らを指揮して竹籠バッグやコップ、花籠、書画など1000種類以上の竹細工製品を開発した。さらに見本市やeコマースなどの販売ルートを通じ、次々に竹細工製品を全国各地や世界の市場に売り出した。 

「無形文化遺産の技能が絶えず人々の生活に溶け込み、革新によって絶えず価値を生み出してこそ、伝統技能がいっそう良く保護され、伝承されるのです」と楊さんは話し、竹細工という伝統技能が若い職人の手によって新たな活力を呼び起こすよう期待している。 

この赤水は、「中国の竹の里」と呼ばれ、竹林は130万ムー(東京ドーム約1万8440個分)余りの面積を誇る。また、関連産業の従事者は20万人に上り、竹産業と竹経済がすでに農村振興をけん引する効果的なエンジンとなっている。 

「竹1本は、加工材料ならせいぜい10元ですが、油抜きや竹割り(竹ひご化)、染色、幅引き、竹編みなど20以上の工程を経てさまざまな工芸品が出来上がると、値段は1点が数百元から数千元にもなりますよ」と楊さんは言う。山にある青々とした竹は、職人の創作を経て人々の収入を増やし豊かになる「切り札」となっている。 

国内市場を開拓し窮地脱出 

20年の初め、突然襲ってきた新型コロナウイルス感染症により、工場の生産や販売の計画はすっかり狂ってしまった。楊さんは、「海外市場での販売が止まってしまいました。でも、100人以上の従業員に給料を払わなければなりません。国際市場を失った以上、私が先頭に立って国内市場を開拓するしかありませんでした」と当時を振り返った。 

それまで注文が殺到するのに慣れていた楊さんだが、自ら国内の販売拠点に電話したり足を運んだりして、自社の製品をアピールした。「ある日、朝早くから車を運転して赤水から省都・貴陽に行き、汗だくになって数箱の製品を黔貨出山eコマースという会社に運び入れました。会社の社長は商品を確認した後、少しもためらわず全ての製品を受け取ってくれました。これは私にとって大きな支持と励ましになりました」と楊さんは再び胸を熱くして語った。「その後、この会社のeコマース担当者と話をして知ったのですが、私の真面目な仕事ぶりに感銘を受けた社長が、『こんなに真面目な人が作った製品ならきっと信頼できる』と言っていたそうです」 

この初めての成功体験後、楊さんと従業員たちの努力で、工場の竹細工製品はまたたく間に国内の各巨大eコマースプラットフォームで販売されるようになった。同時に、楊さんは従業員を引き連れ、多くの商品を全国各レベルの展示即売会に届けた。 

「大まかに計算すれば、毎年50以上の大小さまざまな展示即売会に参加しました。多くのオフラインの注文はここから受けたものです。この2年間は国内販売で会社を支えただけでなく、数年連続で目覚ましい販売実績を記録しました。黔貨出山のeコマースプラットフォームだけで年間売上高は数百万元に達しています」と楊さんは説明に力を込めた。 

  

楊さんは伝統的な竹細工製品に技術的な革新を加え、一般的な工芸品にも近代的な創造性を取り入れ、「竹細工のコップ」など新しい製品を創り出した 

  

産学官連携で地域活性化へ 

楊さんが設立した「赤水竹細工無形文化遺産体験センター」には、竹細工の工芸品が300種類以上も展示されている。製品はフランスや英国、中国の台湾と香港などに輸出されているという。 

竹細工の伝承・保護と、地域を経済的に豊かにする面で際立った役割を果たしたことが認められ、楊さんは18年、第13期全人代の代表に選出された。初めて全人代に出席した楊さんは、マスコミから取材を受ける「代表通路」を歩いたとき、伝統的な竹細工を紹介し、こう感謝した。「全人代代表としてミャオ族の竹細工を紹介できたのは、無形文化遺産である竹細工の伝統技能を受け継ぎ守ってきたことへの評価であり、長年にわたって努力してきた私たち職人への大きな励ましでもあります」 

長い歴史を持つ中国の竹細工工芸は21年、その投稿動画が人気動画プラットフォーム「TikTok」(ティックトック)で紹介され、再生回数は7000万回を突破。「竹細工カンフー」として海外のネットユーザーからかつてないほど注目を集めた。 

「竹細工技能の人気が海外にまで及んだことは、この伝統技術が大変気に入られている証しです。私たちは、海外市場向けの製品をより多く開発し、より大きな価値を創っていきたいです」と楊さんは意気込む。 

無形文化遺産をより流行の最先端を行くものにするため、楊さんは上海大学上海美術学院と清華大学美術学院で研修を受け、学んだ新しい知識と技能を立体的で精緻な竹細工工芸に活用している。そうした作品は、竹細工の要素を取り入れた磁器や竹編みアクセサリー、香炉などといった一連の革新的な工芸品として発売され、若い消費者から大きな人気を博している。 

  

「赤水竹細工」をあしらった創作花瓶 

竹細工を含む無形文化遺産の保護・伝承の現状に対して、楊さんは、「現在、特色のある伝統技術や製品の多くはブランド化されておらず、スケール効果が不足しています」と見ている。その上で、「産業拠点の構築を通して、技術資源を集約し、育成システムを整備し、生産・販売ルートを開通させ、文化クリエイティブブランドを作り上げることで、より大きな市場を開拓でき、無形文化遺産の保護・伝承をより良く行えます」と提案している。 

楊さんが経営する会社の生産額は21年、2000万元近くに上り、登録済みの商標は34件、発明特許は12件になる。同社は地元で100人以上の雇用を創出し、177世帯570人の収入増をもたらしている。12年の工場設立から今まで、竹細工の技能訓練を受けた人は、周辺地域の「留守女性」や貧困脱却政策で他所から移住してきた人、障害者、学生など年間1万人以上にも及ぶ。 

楊さんが設立した無形文化遺産竹細工の産学官の連携拠点には、古里に戻った多くの若者が就職している。「若いお母さんは拠点で竹細工を編み、そばに置かれた竹籠では子どもがぐっすり眠る――これが村の人々が求める幸せなんです」と楊さんは言い、ほほ笑んだ 

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