中日をつなぐ伝統文化 漢字

2022-08-30 11:46:52

王敏=文・写真 

「山川異域、風月同天」(山河は異なろうとも、風や月は同じ天の下につながっている) 

これは、1300年以上前の奈良時代に、長屋王が唐の高僧たちに送った1000着のに刺しゅうされた詩句だ。その後、この漢詩に感動した鑑真和上は、6回にわたって海を渡り、日本に仏教を伝える旅に挑んだ。これも中日両国の千年にわたる文化交流史の中で、最も象徴的な出来事の一つになっている。近年、この8文字は千年の時を超えて中日両国の人々の目の前に再び姿を現し、人々を感動へと誘った。 

なぜ千年もの間、この漢詩が言語の異なる二つの国の人々に感動を与え続けているのか。それは、両国が共に使う漢字のためだ。 

  

日本への漢字伝来 

言い伝えによると、古代・朝鮮の三国時代(高句麗・百済・新羅)、百済の儒学者である漢人のは285年、応神天皇(在位270〜310年)の招きにより日本に渡り、百済からの使者・の推薦を受けて皇太子・の学問の師となるとともに、『論語』10巻と漢文の長詩『千字文』1巻を献上した。これは、日本に漢字と儒教思想が伝わった始まりとされる。 

日本最古の歴史書の『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)によると、漢字が日本に伝わったのは5世紀初めのことだ。以来、日本は漢字を日本語表記の道具として使い、古代中国の国を治める方法や文化思想を全面的に学ぶという新しい時代に突入した。 

漢字は、もともと中国大陸の人々の表現習慣にかなった文字として創造された。日本人はその漢字を使う過程で、「仮名」という漢字を日本語の音で示すやり方を編みだし、「漢字かな交じり文」という独特の表記体系を創造した。これが、言語は違っても、千年にもわたって中国人と日本人が漢字で意思疎通ができた根本的な理由だ。 

今日、漢字や漢詩・漢籍は、日本の知識・文化的素養として重要な一部となっている。文部科学省が告示する高校の「学習指導要領」(2018年)では、義務教育で常用漢字2136字を習うことになっている。 

  

浜田和幸氏(右)と張大順氏は共同で書道作品「漢字を共に」を書き上げた(「漢字異彩、和合之美―浜田和幸・張大順合文書道展」で) 

  

3回の漢字創作 

中国で現在使われている漢字の大部分は、紀元1世紀頃の前漢時代(紀元前206~25年)に完成したと一般的に考えられている。この時代は、日本の弥生時代後期に相当し、漢字が伝わった5世紀初頭には、すでに非常に多くの漢字が存在していた。 

平安前期の891年頃にまとめられた日本最古の漢籍の分類目録である『日本国目録』によると、この頃、宮廷が所蔵する漢籍は1万6790巻もあった。古代の日本人が漢字を通してどれだけの知識を学んだか想像できる。 

古代の日本人は、漢籍を通して中国大陸の文明を学ぶ過程で、漢字に対して1回目の加工を行い、「」(漢字)と「仮名」の表記体系が登場した。これは、外来の漢字が日本で本格的に定着する過程とも言える。 

漢字に対する2回目の加工は、独自の和製漢字「国字」を創作したことだ。国字は和字、倭字、皇朝造字などとも呼ばれる。これは、日本人が漢字の構成法や、自らの文化などに基づいて創った文字だ。『日本書紀』には、天武天皇(在位673〜686年)が遣唐使だったのらに「新字」を作るよう命じたと記されている。 

室町時代(1338~1573年)に成立した武家の基本法『御成敗式目(貞永式目)』の注釈書『貞永式目抄』には、「畠の字は日本にて一千余字の作り字の内なり」とある。「」「」「」など、現在もよく使われている字もこれに含まれる。 

16世紀から、特に明治維新以降、日本は西洋文明との接触・衝突・受容の中で、西洋の新しい知識や考え方を学び理解し、普及させるため、大量の新しい漢語を創った。山室信一の『思想課題としてのアジア』(岩波書店、2001年)によると、「幹部」「政策」「経済」「投資」「社会」「経営」「自由」など、この時期の日本製の新しい漢語は1000個以上に上る。これは日本による漢字への3回目の加工と言える。 

これらの漢字訳語は、漢字の原義をよく理解した上で、西洋の文の原意をうまく示した。また、当時の日本の知識人の漢籍への深い造詣を反映していた。そのため、これらの訳語の多くが中国でそのまま採用された。 

清朝政府は1896年、国費留学生の第1陣として13人を日本に派遣した。以後、多くの中国の若者が日本に留学した。彼らは日本が翻訳した西洋の知識を中国語に変換し、中国に紹介し続けた。統計によると、1896~1911年の間、こうして日本語から中国語に翻訳された著作は958点に上る。短期間にこれだけ多くの作品を中国に翻訳・紹介できたのは、中日両国が共有する漢字の力によることは間違いない。日本の漢字への3回目の加工は、漢字文明の持続的な発展に大きく寄与した。 

  

漢字新時代を共創 

改革開放以来、日本との全面的な交流の中で、現代中国語には多くの「日本語」の新語が現れた。中国の若者に人気のある日本の漫画・アニメは、これらの新語の重要な供給源の一つとなっている。今、中国でよく使われる「萌」(萌え)などはこのような言葉で、従来の中国語には前例がないという。 

筆者は以前、東京から中国への飛行機の機内で、日本で発行されている中国情報誌『中国巨龍』が中国の新語に関して特集しているのを目にした。「読解」「量販」「視点」「親子」「達人」「放送」という言葉は、全て日本語をそのまま使っているものだ。逆に日本にも、「麻婆豆腐」や「青椒肉絲」など料理名を表す中国語が現れている。 

中国では、2006年から毎年「今年の漢字・流行語」(漢語盤点)が選ばれており、漢字や単語の形でその年の世相を表し、毎年大きな人気を集めている。同年に選ばれた「」の字は、「炒股」(株の売買)や「炒基金」(ファンド取引)「炒房」(不動産投機)への熱の高まりを反映した。 

07年の「漲」(物価や株・不動産の高騰)や08年の「和」(四川・汶川大地震などの被災者支援で「人の心の和」と、北京五輪開催で「社会の和」が重視された)など、ネットユーザーが選んだその年の漢字は、人々にとってその年で最も印象が深かったことを忠実に記録していた。実は、同様のイベントを最初に企画したのは日本漢字能力検定協会で、1995年から行われている。 

東京の中国文化センターで今年6月15日、「漢字異彩、和合之美―浜田和幸・張大順合文書道展」が開かれた。筆者はこの書道展に参加し、中国と日本の漢字文化について簡単な紹介を行った。 

複数の文字を合成して一文字にした「合文」は、中日両国が共有する文字芸術だ。この書道展では、日本で活躍する中国人書道家で甲骨文研究者の張大順氏が、漢字の歴史をさかのぼり字の成り立ちを表すという視点から、合文を活用し書道芸術で表現した。元外務大臣政務官で国際政治経済学者の浜田和幸氏は、社会・世相の視点から合文を創作し、現代的な自己意識の表出を強調している。二人の作品から、漢字の発展の歴史や特徴だけでなく、日本における漢字の継承や発展、革新も見ることができた。漢字が持つ文化交流の力により、中日両国民がさらに多くの国境を越えた協力を行い、共に漢字の新時代を作っていくことを期待する。 

 

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