心の交わりは合作映画で

2018-07-06 11:35:10
 人民中国雑誌社総編集長 王衆一=文
 

王衆一人民中国雑誌社総編集長(写真沈暁寧/人民中国)
 

 5月に李克強総理が日本を公式訪問したことは中日関係史において重要な一ページになるに違いないと思う。その理由は、中国総理が8年ぶりに訪日したことと2年半ぶりに中日韓サミットに出席したことだけではない。今回の李総理訪日の重要な成果の一つは、両国の指導者が中日の人民の心の触れ合いの重要性を認識し、相互理解の基礎を固めるためにとった措置の一つとして、「中国政府と日本国政府との間の映画共同製作協定」に調印したことだと筆者は考える。習近平主席が「中日友好の根幹は民間にある」と指摘した通り、両国の民衆が相互に多角的かつ正確に理解し合うこと、特に双方の「心象風景」を相互理解することは民間友好の基礎を固める重要な前提だ。


40年前の相互接近の起爆剤

 李総理が訪日した今年は中日平和友好条約締約40周年に当たる。戦後の中日両国の人民が戦争のトラウマや悲惨な記憶を乗り越え、お互いの戦後のイメージをあらためて見つめる重要で大規模な社会的契機の一つは、政府間協定に基づき対等的に開催した両国の映画ウイークイベントだった。1978年末、平和友好条約の調印を記念するために、北京や上海、瀋陽など中国の大都市で日本映画ウイークが開催され、『君よ憤怒の河を渉れ』『サンダカン八番娼館 望郷』『キタキツネ物語』の上映によって中国で日本ブームが巻き起こった。戦後の日本の繁栄とそれに伴う社会の激動や矛盾、戦争が日本人女性に与えた傷、北海道の雄大な自然やかわいらしい動物、寡黙な高倉健、情熱的な中野良子、知性と美しさにあふれる栗原小巻らがその年、大勢の中国人の記憶に刻み込まれた。同じく、『偉大な指導者毛沢東主席は永遠に不滅である』などの中国映画も同時期に日本で上映され、日本人に中国人の指導者に対する感情表現や、中国社会にまもなく起ころうとする変化を深く感じさせた。その年はその後40年間にわたる中日の人的文化的交流の原点ともいえよう。これらの映画が巻き起こした大きな影響は当時の人々が予想しなかったかもしれない。

 2014年11月、中国外交部の洪磊報道官は高倉健逝去に関する質問に次のように答えた。「高倉健氏は中国人に広く知られた日本の芸術家で、中日の文化交流に重要な貢献を果たした。われわれは氏の逝去に哀悼の意を表する」。当時の中日関係はまだ困難な状況にあったが、このニュースはすぐに両国メディアのホットな話題になった。

 08年に正月映画として中国で公開された馮小剛監督の『狙った恋の落とし方』によって、海外旅行を計画していた多くの中国人が行き先を北海道に変えた。この予期せぬサプライズに北海道はその映画をラッキーアイテムにした。日本の多くの自治体も次々にまねをしたが、期待した効果は得られなかった。それはなぜか。30年前の『君よ憤怒の河を渉れ』『キタキツネ物語』や、その後北海道を舞台にして製作された『遙かなる山の呼び声』『幸福の黄色いハンカチ』がその世代の中国人に北海道に憧れる種子を植え付けたからだ。『狙った恋の落とし方』で主人公がクマの着ぐるみを着て草原の上で女性と寝転がるシーンは、まさに『君よ憤怒の河を渉れ』で高倉健扮する杜丘冬人が中野良子扮する遠波真由美をクマから助けるシーンのオマージュだ。  

 1988年、中日平和友好条約締結10周年を記念して、東宝は中国側と提携して中日が共同で

野生のジャイアントパンダの救助をテーマとした映画『パンダ物語』を撮影した。水墨画風のアニメーションを組み込んだ映画のワンシーンに、もともと白かったパンダがなぜ白黒の姿になったかを説明する日本人的な発想は、明らかに10年前に上映された中国映画からヒントを得たと考えられる。


40年間深まる交流と合作

 こうして中日の映画交流は両国の一般民衆の間で、相手に対して善意のこもった想像を働かせ、深く理解したいという考えを植え付けた。1980年代から90年代にかけて、映画ウイーク、映画回顧展、映画祭などさまざまな形式を通じて、多くの映画作品が両国で頻繁に上映されるようになった。日本の映像作品は中国の観衆に無口な高倉健(『君よ憤怒の河を渉れ』)、思いやるのある栗原小巻(『愛と死』)、無骨で優しい宇津井健(テレビドラマ『赤い疑惑』)らの恋愛する男女や父親像を届けたが、中国の映画は日本の観衆にユーモアがあって強靭な姜文(『芙蓉鎮』)、愛憎をはっきり表現する鞏俐(『紅いコーリャン』)、温厚で慈悲深い朱旭(『変臉この櫂に手をそえて』)らの若い男女や父親像を届けた。『人間の証明』『日本沈没』によって中国人は当時の日本人の戦争によるトラウマと危機意識を読み取った。『高山の下の花輪』『山の郵便配達』によって、日本の観衆は中国の一般人の心の感情世界をのぞき見た。中国人と日本人の豊かなイメージや価値観は映像作品を通じて互いの民衆の心に浸透した。

 この時期は両国の映画関係者も交流を行っていた。『黄色い大地』『黒い雪の年』『大閲兵』『周恩来』など革新精神に満ちた中国の第4世代、第5世代の監督の作品によって、日本人は中国映画について認識をあらためた。中国の監督も日本の同業者と互いを参考し、互いに学び合った(7)。『紅いコーリャン』『さらば、わが愛/霸王別姫』『双旗鎮刀客』をはじめとする多数の優れた映画は明らかに日本映画の影響を受けていた。

 中日の映画交流の大きな特徴と伝統の一つは、両国が非常に早い時期から共同制作を合意していることだ。鄧小平が題名を揮毫した共同撮影テレビドラマ『望郷の星』は70年代末に完成され、中日共同撮影作品の始まりとなった。主役の栗原小巻は2年前に本誌の取材を受けた際に、自分にとってそのドラマの出演を引き受けた全ての意味は鄧小平の揮毫にあると述べた。

 82年、中日国交正常化10周年を記念して、共同制作映画『未完の対局』が撮影を開始した。戦争によって運命を変えられた両国の囲碁棋士を描いたこの映画は、『君よ憤怒の河を渉れ』などで中国でも知られるようになった佐藤純弥監督の立派な演出、ベテラン俳優の孫道臨、三国連太郎らの名優の見事な演技によって大成功した。この作品は映画共同制作の幕を開け、中日映画交流史において重要な一ページを残した。映画のタイトルは今見ても高度な象徴的意味がある。囲碁は大昔に中国で生まれ、日本経由で世界に普及された。囲碁をめぐって展開した物語は、両国の東アジアの舞台における消長の運命を例えているように読み取れる。近隣同士は「和すれば則ち共に栄え(8)、争えば共に傷つく」という歴史的教訓があるように、いかに負の競争ではなく良好に競い合う仕組みを確立するかを真剣に考えさせるタイトルではないかと思う。

 その後、国交正常化または平和友好条約締結の節目の年になるたびに、両国は必ずさまざまな映画上の協力によって新作を出してきた。

 このプロセスで、協力の様式も多様化し、政府主導の映画合作と監督主導の合作が互いに補い合った(9)。丁蔭楠、張芸謀、陳凱歌、姜文、何平、霍建起、成龍(ジャッキーチェン)、呉宇森(ジョンウー)、賈樟柯ら監督たちの個人製作映画にも、俳優、服装、音楽ひいては投資など多方面の協力要素を取り入れた。



『君よ憤怒の河を渉れ』をリメイクした中日合作サスペンスアクション映画『マンハント』のワンシーン



中日合作映画『空海-KU-KAI-美しき王妃の謎』ははじめに中国、その後日本で上映され、この10年間で日本では上映された中国語映画の最高興行成績を記録した

 

期待してやまない今後の提携

 交流と合作の歴史を振り返るのは、初心を忘れず、全力で新しい可能性を模索し、新しい時代にさらなる良い作品をより多く作り出すためである。40年たった今、両国における映画分野での交流と協力は多くの成果を挙げ、規模も広がりつつある。また、時間がたつにつれ、両国は政治、社会、観客、映画市場など、多くの面において大きな変化が現れた。中国映画がいかに目前の利益にとらわれることなく、落ち着いて企画し製作していくのか、日本側がいかに視野を広げ、内向的な性格を克服していくのかが、これから直面する新たな課題である。ここ数年、東京映画祭、北京映画祭、上海映画祭などにおける両国の映画ウイークは、有識者の努力の下に一定の規模を形成した。また、今年大阪で開かれた国際交流基金主催の中国映画祭「映画2018」は、40年前に中国で催された日本映画ウイークとうまく呼応している意味で評価したい。『君よ憤怒の河を渉れ』を通して中国の観客が戦後の日本を理解していったように、今回大阪で『芳華』をはじめ一連の中国映画を通して、40年間の改革開放を経た中国社会と中国の人々の「心象風景」が日本の観客に伝わったに違いない。興味のある方は、来月号の支局による関連記事に目を通してほしい。

 中日合作映画は豊富な歴史と文化資源を持っている。二千年間の友好往来の歴史、百年間の戦禍が絶えない不幸な歴史、および40年間両国民が大規模に相互交流を展開した歴史は中日合作映画のために数え切れないほど多くの素材を備えている。今後映画共同制作を実践する上で、両国の映画関係者は従来の深くて広い交流に基づき、市場化運営の背景の下、売れ行きも評判も良く、歴史の検証に耐え得る作品を制作してほしい。陳凱歌監督の『空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎』、ジョンウー監督の『マンハント』はこの意味で大変有意義な試みである。合作映画の永遠のテーマの一つは男女の恋愛だ。『望郷の星』と『未完の対局』がそうだったし、21世紀に入ってから中井貴一と苗圃が共演した『鳳凰 わが愛』、渡部篤郎と徐静蕾が共演した『最後の恋、初めての恋』もそうだった。また、20世紀前半、鋭い洞察力で後世に著書を残した魯迅の『阿Q正伝』、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』や『杜子春』、中島敦の『山月記』なども、未来を考える知恵を与えてくれる意味で共同制作の形で映画化されることを筆者は期待している。要するに、豊かな素材を生かしていく限り、両国の映画関係者は合作映画で新たな最大公約数を探し、新たな最大同心円を描くことも難しくない。

 映画は直接現実を変えることができない。中日関係を穏やかに遠くまで進めるには、双方の官民の有識者の持続的な努力に頼らなければならない。ただし、映画は確かに両国民に感情面のプラスエネルギーをもたらすことができる。これも民意の基礎を固めることに対し看過してはならない意味がある。これからの合作映画には、必ず両国代々の観衆の記憶に長く残り、両国民の心の距離を縮める優秀な作品が現れるよう、いまから期待してやまない。

 

 


関連文章