植野友和=文
自分は独身が気楽でいいけれど
人は何かを背負ったとき、自分が本来持つ以上の力を発揮できる。利己的な目的ではやり抜けないことであっても、愛する家族のため、大切な仲間のためとなれば、話は変わってくる。一体、自分のどこにこのような力が眠っていたのかと驚くほどに、奮闘できるものである。
ただし、背負うものが大きければ大きいほど、つらいのも確かだ。生活や経済面などで妻に苦労をかけず、子どもを立派に育てる――世の中のお父さん方の多くが担っている一見当たり前の責務であっても、それを果たすのは決して容易ではない。
ちなみに筆者は、できればそのような責任を担わず気楽に生きたいという性分である。ただし、確かに自由ではあるものの、家族を持つ喜びや子どもの成長を見る幸せとは無縁の人生ということになる。それはむろん、納得の上。何者にも縛られない生き方がいい、家で猫の世話をするだけで精一杯というのが筆者の考えであり、開き直りになってしまうが自分でも改めようがない。それはともかく、中国で暮らしていると一つ困ったことがある。周りの人が気を利かせて、縁談を持ってきてしまうのである。
中国の人々にとって結婚、そして子どもを持つことの意味は極めて大きい。それは最大の親孝行であり、人生における幸せであるという意識が強く、こちらの人々は子どもを本当に大事にする。日本にも同様の考えはあるが、レベルが違う。何しろ独身で年頃の者がいると、自分のような外国人であっても、「いい人がいるんだけど」と誰かがおせっかいを焼いてくるほどである。
北京で働き始めてすぐの頃、あるお茶会に参加したときのこと。初めて会った人々に自己紹介で独身であると伝えると、帰り際には「私の顔を立てると思って、とりあえず会ってみない?」と、お見合いをセッティングされかけたことがある。何でも、中国語で「紅娘」という結婚の仲人をやっているそうで、これまで数え切れないほどのカップルを世話してきたから任せておきなさいということらしい。
中国の人々はせっかちなタイプが多いが、さすがに初対面の外国人にお見合いを勧めてくるのは驚きだった。むろんそこに悪意は1ミリもなく、ただひたすらにこちらの幸せを願ってのこと。自分は今のところ家庭を持つつもりはなかったので、残念ながら善意の空回りとなってしまったが、この件を通じて中国の人々の結婚に対する思いの強さを再認識させられた。
四川省成都市で開催されたロマンチックな雰囲気いっぱいの出会いイベント(vcg)
「子は宝」という強い思い
このような結婚観や家庭観が一般的な中国では、親から子への「早く結婚しなさい」というプレッシャーは半端ではない。それを重荷と思う若者は確かに多いが、日本人である自分の目には、パートナー探しや結婚において、後押しの力となっていると映る。もちろん、日本にも結婚をせかす親はいるが、その熱意は中国の比ではないように思う。日本で両親が子どものためにお見合い相手を探し回るなどという話はまず聞いたことがなく、昭和以前はともかくとして、今は成人したらお互いに過剰に干渉しないのが一般的だ。それに比べ、中国の親子関係はより濃密であり、親は子どもに幸せな家庭を作ってほしいと強く願い、そのために口を出す。
筆者の友人の中には、地元に帰ると親にお見合いをしなさいと言われるけれど、自由恋愛がいいといって帰省しない子がいる一方、お母さんを安心させたいという一心で婚活を頑張っている子もいる。そして当然ながら、本当は独り身が気楽でいいけれど、親に言われて不本意ながらお見合いをする人もいる。いずれにせよ共通しているのは、いつかは結婚したい、もしくはしないといけないという強い思いである。
中国でも日本同様、少子化が大きな問題となっている。暮らしの中で出会いがない、経済的事情や仕事の都合などで結婚したくてもできないという話は、決して日本だけのことではない。だが、中国における少子化問題について、自分はあまり心配していない。すでに一人っ子政策の時代は終わり、二人っ子、さらには三人っ子が認められるようになっていて、それに対する政策的後押しも行われている。そして、それ以上に中国の人々の「子は宝」という揺るぎない価値観がある。
確かに、昨今の中国における出生率から悲観的な予測を打ち出す専門家も少なくない。だが、こちらで暮らして多くの人と交流していると、結婚して子どもを持つことを最大の幸せと捉える中国の人々の考えが、いかに根強いか思い知らされる。短期的に少子化はもう一段進むかもしれないが、中長期的にはよい形で解決されるのではないだろうか――あくまで個人的見解だが、この国の未来について、自分はそのように楽観視している。
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