語学の極意は日常会話にあり

2022-01-29 18:03:45

馬場公彦=文

 先日、「日本語教育と日本学研究国際シンポジウム」(主催・中国日本語教学研究会上海分会)が開かれ、オンラインで参加した。

 去年で13回目を迎え、全国300の日本関係の学科を持つ大学および機関が加盟している。1日半の会期のうち、日本語言語学・日本語教育・就学前教育・日本文学・日本経済社会文化・専門教育改革などの分科会のほかに、大学院生らによる15の研究生フォーラムが設けられた。総計300近い研究発表の大半が流ちょうな日本語でされ、質量ともに壮観であった。

 国際交流基金によると中国では2018年時点で日本語学習者が100万人を突破し、とりわけ中等教育と学校教育以外での伸びが著しい。その原因は大学入試(高考)において外国語の受験科目として日本語を選択する生徒が増加し、アニメや旅行の影響で趣味や教養として日本語を学習する層が増加しているからだという。

 現在、大学入試で日本語を選ぶ生徒は20万人に達しているという。大学受験用日本語の教材は多数出版されているし、学習塾も盛況だ。中国における日本語学習者の裾野は相当広い。

 今回のシンポジウムの参加者は日本語学習者のトップクラス。日本愛好者から日本語学習者の段階を経て、日本語で日本を学ぶ域に達している。

 わが北京大学日本語学科の学生たちもトップクラスだが、学科専攻の動機を聞くと、異口同音に日本のアニメ・ポップス・ドラマ・小説などにはまったからだという。中国の平均的日本語学習者像そのままである。

 大学院課程ともなると、狭義の語学としての日本語教育はほぼ必要がない。必要なのは学生それぞれの問題意識に即した日本に対する研究意欲を喚起し、専門研究へと誘うこと。専門分野の知識と技能を身につけなければ、これからのAI翻訳時代では語学力だけでは生き残れないと思うからである。

 もう一つは、日中間の文化作法の差異に対する予知能力を研ぎ澄まし、異文化翻訳のセンスを磨くこと。端的に言えば、『笑点』を見て、日本人が笑うポイントで同じように笑えること、車寅次郎という人物に魅力を感じられるようになることである。

 『男はつらいよ』は毎年盆暮れに新作が公開され、家族同伴で映画館で鑑賞するのが習わしで、シリーズは48作に達した。日本映画の最高傑作といってよい。だがどうも学生は寅さんが好きになれないようだ。そこでなぜ両国で好感度に開きがあるかを洞察し、好きではなくとも魅力を感じるメンタリティーが理解できることを目指さなければいけない。

 授業で美輪明宏の『ヨイトマケの唄』を聞かせた。学生の反応は、この唄を愛唱してきた日本人のことは理解できるが、自分自身は感動できないという。おそらく日本人の魂を揺さぶる民謡調のリズムのせいだ。日本文化の基層にある、越境しない土着性の実例だろう。

 翻って日本の上級中国語学習はどうなっているだろう。この夏、コロナで北京を出られないので、語学学校に通って、対外漢語上級クラスを履修した。

 そこでのテキストは徹底した日常会話である。中国語の習いたては、「你好」「不客气」の日常会話から始まった。わが遥かなる学習歴を経て、ここにきて弱点を痛感するのは決して魯迅や周作人の文章の読解力ではない。街中の人々の会話や、職場の同僚たちの食事中の会話が聞き取れず、会話の渦に加われないことである。釣りの極意はフナに始まりフナに終わるという。語学の極意も日常会話にあり。郭徳綱の相声に腹を抱えて笑える日はいつになったら来るのだろう。

 

対外漢語の教材『高級漢語口語』から。日常会話は奥が深い……

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