中国社会の「郷に入る」

2022-11-24 20:43:35

馬場公彦=文・写真

中国の9月は入学シーズン。新たな職場となる北京外国語大学(北外)は語学専門大学としては中国トップクラス。8月末になるにつれて続々と郷里からスーツケースを引いた学生たちが校門を潜る。コロナ防疫対策のため、キャンパス内から学生は出ることが許されないこともあって、西三環路を挟んで左右に分かれた校内に、学生が日一日と増えていき、青春の息吹でむせ返るようになっていった。9月3日に今年度入学の学生を野外運動場に集めて入学式が行われた。同じく新任教員として私も炎天下、三つ揃えのスーツを着用して、フレッシュな学生たちの横に並んで参席した。 

3年の任期を務めた前任の北京大学では「外籍専家(外国人専門家)」という、いわばお抱え外国人教師としての雇用であったのに対し、ここ北外は外国人教員枠ではなく、一般の中国人教員と同様、国内人事による「国民化待遇教師」枠での採用であった。従って3年前とは申請―審査―採用にいたる方式が異なり、より煩雑となったばかりでなく、入校してからの手続きも違う。かくして期せずして中国の「単位」に入会する仕組みや手続きを体験させていただくことができた。 

新学期開講間もないとある一日、授業のない日を選んで行政楼に赴き、「入校通知書」を手渡され、一覧表に記された部門名とその場所(ビル名と部屋番号)を頼りに、オリエンテーリングさながらに校内各所を巡るのである。その部門は15カ所に及ぶ。部屋をノックすると見慣れぬ外国人にそうな風もなく、目もろくに合わせぬまま、一言二言言葉を交わして空欄に担当者の署名か判子をいただくのである。 

社会保険、キャンパスカード発行部門、財務、不動産管理、校工会(大学組合)、戸籍管理、図書館、病院などはいいとして、なぜか計画出産事務室の判子までも必要であった。どれもこれもスムーズに処理され小気味いいほどだったが、さすがに人事資料課では夕刻の閉館間際まで粘った。10㌻に及ぶ膨大な学歴・職歴を含む档案(経歴書)を自筆で記入しなければならなかったからだ。形式が日本の履歴書とあまりに違うのに面食らった上に、学歴は小学校からで、学校名すらよく覚えておらず、難儀した。 

何とか一日で全部門を巡り、最後にわが日本語学院の押印を得て、行政楼に戻り、労務課に完成した人事御朱印帳ともいうべき入校通知書を提出した。そのときの気分は、各部門での通過儀礼を済ませ、中国社会という「郷」に入ることが許されたような晴れがましいものだった。 

こう書くと「」だの「縦割お役所主義」の弊害だのとる向きがあるかもしれない。では日本の会社組織はどうだろう。結局同じことをしているのではないか。それが文書によるシステムで流すか、人間そのものが稟議書となって手続きのベルトコンベアに乗るだけの違いではないだろうか。そこには単位社会という身内者同士のもたれあいのようなウェットな感触が伴っている。 

ただこれが単位外の行政手続きとなると話は別である。商店やレストランのようなサービス業、銀行のような顧客本位の官業ならまだいい。実は昨年度の個人所得税を専用アプリで申告したら受理されず、やむなくここ海淀区の税務署に駆け込んだ。するとたらい回しの洗礼を受けたあげく、たどり着いた税務署のある分館では、ここは機関専用で個人の来るところではないと、ものすごい剣幕であしらわれ、単位社会というねぐらから野に放たれた子羊のような気分になった。 

すっかりしょげ返った私はというと、思案投げ首の挙句、すがるようにわが北外の財務ビルを訪ねた。数日前に判子を押してもらった窓口の担当者は、窮状を見かねて手ずから専用アプリでの再入力をしてくれて、無事申告は受理された。税金の還付を当てにしていたのだが、原稿料の追徴課税と、納税期限切れの超過分の請求が来た。 

骨折り損のくたびれ儲けであったが、郷に入れば郷に従えで、「国民」の義務を果たすことができたのであった。 

  

新入生のクラブ勧誘でにぎわう北京外国語大学のキャンパス 

 

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