日本語・日本学の教育現場

2023-01-17 15:43:54

馬場公彦=文

9月の新学期開講から間もなく学期の折り返し点を迎える。北京に赴任して7学期目の授業だ。北京外国語大学は前任の北京大学と並んでトップレベルの学生が受講している。学生および教員の遅刻すら許されないとあって、手抜きはできない。今期の担当科目は五つ。 

本科生(学部生)2年生向けの必修科目「作文入門」。「よむ」「きく」「はなす」「かく」の語学4技能のうち、作文は、日本の国語教育でも手薄になりがちだが、異文化間交流を円滑に進める上で、書写による情報伝達は、固定した知識をストックとして授受する技能である。 

毎週、日本語学習歴1年の学生たちに自己紹介から小論文まで、さまざまな分野とスタイルの600字前後の作文を宿題に課し、2クラス52人分を全て添削して本人に渡している。学生に聞くと1回の作文に平均2・5時間を費やすという。この難行を通して、日本語の正書法、常用漢字体、「です・ます体」と「だ・である体」の文体の統一、正しい敬語などを体得していき、中国人ならではの「病句」に気付き、日本語の頭で思考する習慣が身に付く。3年後には日本語による卒業論文を執筆しなければならない彼らにとって、極めて実践的な訓練の機会でもある。 

本科生3・4年生向けの選択科目「日本文化専題(専門テーマ)研究」。思案の末、先の戦争を扱った戦後最初の児童文学作品『ビルマの竪琴』を扱うことにした。そこには講読や合評でもなければ文学研究にとどまらない、多角的総合的な狙いが込められている。 

作者竹山道雄の執筆動機と執筆当時の戦後直後の時代状況を踏まえ、作品の背景となっている戦闘行為、武装解除、戦争裁判、占領期の検閲、日英和解、戦場となったアジアの住民に対する戦争責任など、歴史問題を掘り下げていく。さらに同書がどう読まれどういう評価が下されてきたかの読書史の手法を学び、発表媒体となった雑誌・書籍・映画のメディア研究へと射程を広げる。さらに中国の学術界で手薄な戦後日本の保守思想を含め錯綜する思想潮流の変遷に対する理解を深める。 

講師による一方的な講義が主流の中国の大学教育ではまだ定着していない討論課(ゼミ)方式を採用しているが、17人と受講生が多いため、班分けをしてグループ討議にしている。 

MTI(翻訳通訳専門コース)の研究生(大学院)1年生向け必修の「跨文化交際(異文化コミュニケーション)」。十数種の著者も分野も全く異なる中国語の書籍の一部を邦訳させる。日訳中と違って中訳日特有の難しさは、日本語に特有の、相手との人間関係や、会話の場面・性別・年齢・地位などに応じた人称・敬語・修辞・終助詞など幾通りものスタイルに習熟し適切に選択することにある。 

どんな上級の日本語教科書を読んでも養成することの困難な高度な技能だが、これをわきまえないと稼げるプロの訳者にはなれない。これもゼミなので毎回2人の翻訳者と1人のジャッジを交替で回して学生に授業を仕切らせる。いわば受講生たちは新商品開発部のスタッフたちで、衆知を結集して共同訳を日本の出版市場に出すまでの製品化のプロセスを模擬体験するのである。 

学術修士1年生向け必修の「日中比較研究」。甲午戦争から今日まで120年余りにわたる日本人の中国認識、中国人の日本認識を、主に具体的な文学作品を通して通時的にたどり、建設的な相互認識の在り方を探求する。私の35年間の編集キャリアと15年間の研究業績を総動員し、全9回200コマの中国語PPTを用意し、総勢50人の受講生に講義している。 

これらの授業をほぼ全て講義も学生の応答も日本語で行う。学部2年生には酷な試練だろう。おそらく十全には聴き取れてはいないと思う。だが学習言語の母語話者が行う授業は、コロナ下の中、それだけでも貴重な機会だ。彼らにはトップのプライドと進取の気概がある。甘やかすことはしない。 


作文入門の授業(写真・筆者提供)

 

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