「リアルガチ中華」のディープな世界
馬場公彦=文・写真
ウィズコロナへの転換によって移動の制限が緩和され、再入国後の隔離措置もなくなったことから、日本への一時帰国がかなった。2年ぶりの帰国後、真っ先にしたことは口腹の欲を満たすこと。刺身とそばに舌鼓を打った。「日料(和食店)」に行けば北京でもありつけるのだが、現地の「超市(スーパーマーケット)」の生鮮食料品売場に行けば分かるように、売られている魚の大半は淡水魚で、海水魚といえばせいぜい帯魚(太刀魚)くらい。そばも北方地方の田舎では「饸络面」と呼ばれ食べられるが、スープにだしが効いていない。日本では鰹、昆布、あご、煮干しなど大量のだしを買い込んだ。
和食ざんまいに飽きてきた頃、食指が動いたのが「町中華」だ。中華料理とはいいながら経営者も常連客も大半が日本人だから、メニューも風味も日本人仕様になっている。ラーメンやグリンピースののった半球形のチャーハンもまた、日本ならではだ。
最近日本では「ガチ中華」がブームになっている。こちらは経営者もコックも中国人で、在日中国人が増え、池袋のようなニューチャイナタウンに行けば、本場の中国各地の料理が堪能できる。蘭州ラーメンのように、現地化が進んだ料理もある。一方で地元横浜の中華街に行ってみると、ガチには向かわず、安さと品数を競う食べ放題の店ばかりに変貌していて、一見の観光客やティーンにこびた風情が鼻につく。東京の大学に留学している北京大学の学生たちに堪能してもらおうと誘ってみると、「何か嘘くさい」と難色を示したので、居酒屋に切り替えた。
中国で暮らしているから、現地の食堂で食べる料理は全て「ガチ中華」ということになる。最近、そこにも細分化が可能であることに気付いてきた。つまり、広東料理・四川料理・山東料理などと区分けされた地方料理はさらに、その地方から全国あるいは全世界に伝播する影響力を持った越境料理と、その地方出身者の間のみで食べ継がれてきた土俗料理に分類されるということだ。後者を誰が言ったかは定かでないが、「リアルガチ中華」と呼ぶことにしよう。ではどのような料理が「リアルガチ」だというのか。乏しい食体験からいえば、その特色は「早点(朝食)」に最も顕著に表れるように思う。例えば納豆に生卵をかき混ぜネギをあえて炊き立ての白米にのせてみそ汁と食べる日本人独特の朝食とか、「熱乾麺」というこってりしたごまだれ汁なし麺を食堂で食べる武漢の朝食。
北京料理の場合、「烤鴨(北京ダック)」や「涮羊肉(羊のしゃぶしゃぶ)」などは越境料理の部類で、やや高級料理。土俗料理は何かと朝の食堂をのぞいてみると、「包子(あん入りマントウ)」「粥」「焼餅」などは越境性があるが、「油条(棒状の揚げパン)」「豆腐脳(あんかけ絹豆腐)」は越境に限りがあり、「炒肝(モツのこってり煮スープ)」「面茶(キビの粉などをのり状に煮詰めたこげ茶色のスープ、茶葉はない)」となると「老北京(北京っ子)」以外はまず口にしない。
極め付きは「豆汁児」で、その色と姿は溶かしたセメントさながら。老北京の作家・梁実秋の『雅舎談喫』によると、緑豆を原料に発酵させ、漬物をつまみながら飲むと、酸味とすえた匂いが漂い、汗が吹き出し、舌先がしびれ、これを飲めなければ本当の北京人とはいえないという。このほか、「炖吊子(豚モツ煮込み)」なども土俗北京菜といってもいいだろう。それら北京ローカルの特徴といえば、大豆発酵料理や内臓の「鹵煮(こってり煮込み)」系だろうか。いずれも塩味が効いている。要は肉体労働者向けの「早い、安い」料理で、その「怪味(奇妙な味)」に病みつきになる中毒性があるようだ。
では「マイリアルガチ北京菜」は何か。それは驢肉(ロバ肉)料理。ロバ肉は脂身が少なく臭みもない。専門店に行くと、尻尾までもどの部位も供され、鍋、スープ、ギョーザ、炒め物と調理法も豊富。一番人気は「驢肉火焼(ロバ肉バーガー)」。それらも安くてしょっぱい。皆さんもマイリアルガチを探訪してディープ北京を究めてはいかが。
北京の地元料理店にて。中心は炸醤面、その上から時計回りに麻豆腐、松花蛋、乾隆白菜、茄泥、香椿炒鶏蛋、炖吊子、面茶