プチ休みには近場旅行へ

2024-09-25 15:43:00

京ライフの楽しみの一つは旅行だ。首都だから国内の主要都市ならどこへでも直通列車があり、北京駅北駅西駅南駅豊台駅朝陽駅清河駅と、多くが始発駅になっているから列車の入線時間は早く、発車まで比較的余裕がある。中国旅行で避けたいのは、「五一」「十一」(5月と10月のゴールデンウイーク)や年末年始などの長期休暇を利用しての人気スポットへの旅行で、人の波にもまれてろくに参観できずへきえきする上に、旅行客へのサービスの質は低下しがち。 

心掛けたいことは早めの切符確保と宿の予約だ。予約サイトは充実しており、手軽なだけに、とりわけ交通の便は思い立ったら押さえておかないと、キャンセル待ちや旅程変更を迫られたり、直通を断念して乗り換えの不便と時間の浪費に悩まされることになる。またとりわけ私のような外国人にとって頭が痛いのは、民宿や地方の賓館などで、中国の身分証がないと宿泊を受け付けないところが少なからずあることだ。 

こちらは大学教員。一般のサラリーマンには申し訳ないが、授業のない平日を活用すれば、近場の日帰りや1泊2日の小旅行に出掛けて、ゆったりと非日常の風景や文化を満喫できる。そんなわけで学期が終了し試験期間に入った7月のある日、「奥の細道」ではないが、「片雲の風に誘われて」、暑気を払うように、早朝の北京北駅から北上した。 

目的地は内蒙古自治区の省都フフホト(呼和浩特)。8時発の高速鉄道(高鉄)に乗れば2時間余りでフフホト東駅に着ける。2010年の初秋にモンゴルを旅したときは、早朝に家を出て、飛行機を北京で乗り継いでウランバートル空港に着いたのは夕刻だった。空港を出たときに鼻腔(びこう)に入った清々しい草の香り、漆黒の蒼穹に降るような星々、草原に点在するゲルや放牧馬、ミルクティーや羊肉の丸ごと煮込みの味などが忘れられず、いつか必ず内蒙古も旅してみたいと思っていた。それが予定の空いた前日に突然思い立ち、翌日午前中に実現してしまった。 

車窓からは、北京の高層ビル街が途絶えたと思うと陰山山脈の南端がついたてのように視界に飛び込み、農耕地と草原が混在する張家口、馬や羊を放牧した草原の広がるウランチャブ(烏蘭察布)を過ぎると、草原の中に大都市フフホトの威容が浮かび上がる。2時間の移りゆく自然景観のパノラマ劇場を満喫した。 

たまたま古本屋で入手した1988年版のわずか100強の全国列車時刻表を開いてみると、北京1853分発フフホト行きの直通特急列車は、張家口南、大同などを経由して、終着は7時16分と、ほぼ半日を要している。高鉄のおかげで、フフホトは今や日帰り圏内となった。 

北京のこの時季の猛暑と違ってしのぎやすく、乾燥しているから街歩きでも汗をかかない。省都旅行では必ず訪れる省立博物館に向かう地下鉄では駅表示は漢字と蒙古文字が併記され、車内放送も漢語と蒙古語だ。壮大な博物館の豊富な展示物から北方遊牧民族の暮らしや遼契丹元など遊牧民族の王朝が目まぐるしく交替し、中原の農耕文明と交接し融合していく歴史を大づかみで学習した。 

草原気分を味わいたくて、バスで北郊の勅勒川草原に向かった。広大な草原ではあるが、牧草播種と農薬散布によって維持された人工の草原で、モンゴルでの草いきれの 再体感はできない。やはり本格的な草原での遊牧生活の体験には、レンタカーで1週間ほどかけてフルンボイル、カラチン、シリンゴル、オルドスなどの草原を回るほかない。近場ではウランチャブ草原がよさそうだ。 

旅の醍醐味(だいごみ)は地元の食材を使った料理に舌鼓を打つこと。フフホトのソウルフードはショウガとネギを和えた羊肉の具を小麦粉で作った何層もの薄皮で花のように包んだ、大ぶりのシューマイのような「稍麦(シャオマイ)」で、蒸すか揚げるかしていただく。山芋で粘り気を出し、アワを発酵させて酸味の効いた酸粥もうまかった。それらをカルピスソーダのような甘酸っぱい風味の馬乳酒で合わせる。 

観光地を巡る交通手段は地下鉄バスタクシーもいいが、何といっても走行距離に応じて電動と足こぎのシェアバイクを併用すると、安価な上に小回りが効いて便利だ。2日目の午前中はこれでチベット仏教寺院3カ所と、イスラム寺院、天主教教会を参観した。 

全国各地の観光宣伝を見ていると、ご当地の「映え」と「推し」ポイントが分かって面白い。北京を取り囲む河北省のコピーは、「こんなに近くてあんなに美しい 週末は河北へ出掛けよう」である。 

私がこれまで出掛けた週末河北ツアーは、避暑山荘で有名な夏の承徳、海水浴が楽しめる唐山、広大な湿地が広がる白洋淀。いずれも高鉄を使えば北京から2時間圏内だ。 

承徳は山荘を取り囲む四周の山に山城がめぐらされていて、城壁から見下ろす盆地に、豊かで多様な樹木湖沼寺院が点在している風景が美しい。羊ロバ鹿などの肉料理のほか、日本人には貴重な食材である(ワラビ)やタラの芽などの山菜やキノコをふんだんに使った地元料理は野趣に富む。 

唐山は1976年7月28日に発生した地震で、地震の被害としてはおそらく史上最大の24万人余りもの犠牲者を出した震源地だ。倒壊した工場の遺構とひん曲がった鉄路が残る被災跡に建てられた「唐山地震博物館」のある公園を訪ねた。園内には犠牲者の名を刻んだ長大な石碑の壁が慰霊と鎮魂の想いを伝え、館内では被害状況の各種統計、建物の倒壊状況、猛暑での遺体処理、震災初期と後期での心的外傷の実態とケア措置、仮設住宅建設とそこでの暮らし、さまざまな救援活動など当時の状況を、写真映像パネルジオラマ展示を通して生々しく伝えている。阪神淡路大震災や東日本大震災の地元にこれほどの充実した博物館はまだない。犠牲の記憶の継承と防災減災教育の実践にとって、被災地に永久に残る博物館と慰霊碑の建設は欠かせないことを実感した。 

10月に訪れたため、宿泊したホテル界隈の海浜リゾートは閑散としていた。それだけにオーシャンビューの部屋に安く泊まれて窓からの夕陽や旭光を視界に収め、海辺の海鮮料理屋は貸し切り状態で、路地に面したテラスで地元産の魚貝を堪能した。 

白洋淀は副都心の雄安新区に位置する。河川と湖沼が入り組んだ広大な湿地帯で、7月に訪れたときはハスの花が満開で、農民が操る舟を貸切ってアシとハスの繁茂する水路を巡った。作業中の舟では炊き込みご飯を包んだり、煎茶にするために、大量のハスの葉を摘んで舟に積み込んでいた。時期が来ればハスの実やレンコンが積まれていくのだろう。鑑賞用にハスの花を摘み、ラッパ状のハスの実をその場でいただくと、生の落花生をかじったような、ほのかな甘みと渋みが広がった。 

自然が豊かな田舎旅行の楽しみは、地元農家が営む「農家楽」での地元料理だ。大皿の周囲に「花巻(肉まんの皮のようなふわふわ食感の中華風蒸しパン)」と「玉米餅(トウモロコシの粉で作った中華風パンケーキ)の主食が並べられ、4種の川魚(フナナマズライギョギギ)と野菜の煮込みを地元産の白酒で合わせていただいた。 

馬場公彦 

1958年生まれ、北海道大学文学部卒業、同大学文学部大学院修士課程修了。早稲田大学大学院博士課程修了、学術博士。出版業界で35年間勤務し、定年退職後、北京大学外国語学院外籍専家を経て北京外国語大学日本語学院北京日本学研究センター准教授。著書『戦後日本人の中国像』(中国語訳あり)『現代日本人の中国像』『播種人―平成時代編輯実録』(中国語)等。 

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