「仕事の鬼」康大川氏

2023-12-19 13:31:00

本シリーズもいよいよ最終回を迎え、いろいろ考えた挙句、『人民中国』日本語版の創刊を真っ先に提案した、いわば本誌の「生みの親」、そしてその基礎を築いた最大の功労者康大川氏についてまとめ、結びとしたい。 

日本通の康大川氏の強みは何といっても、日本の事情に明るいことであった。 

しかし、中国にいながら刻々変化する日本の情勢を的確に知るため、当時中国で入手困難な日本の新聞や週刊誌を取り寄せ、そこから雑誌編集のヒントを得ていた。 

右端が安井正幸氏、左端が本文筆者(1954年北京にて、写真劉徳有氏提供)

『人民中国』日本語版創刊後、長い間、「編集長」というはっきりした名義がなかったものの、康大川氏は実質的に編集長としての役割を果たし、日本語版の雑誌の一切を切り盛りした。 

建前として、『人民中国』の日本語版は、英語版やロシア語版の内容とほぼ同じであったが、康大川氏の発意で独自のコラムや記事、例えば、寓話や笑話、トピックスなどを盛り込んだ「話の広場」、ニュースが一目で分かる「中国だより」、少数民族や各地の「民話」「小説」「歴史物語」「私の歩んだ道」「中日友好史話」、有名人の「エッセイ」などを掲載し、読者から大いに喜ばれた。 

日本では、雑誌などでよく対談や鼎談などの形式が取られるが、中国ではほとんど見掛けない。しかし、『人民中国』が日本向けの雑誌である以上、やはりこのような形式を取り入れた方が良いと考え、康大川氏が先頭に立って大胆に試みたのが、確か1956年の新年号を飾った初代猿翁こと二代目市川猿之助と京劇女形の名優梅蘭芳(めいらんふぁん)の対談だったと記憶している。タイトルは「歌舞伎と京劇」。たまたま前年の10月に、日本から戦後初めて歌舞伎一座が中国を訪問し、二代目猿之助による『勧進帳』と『ども又』が演じられ、観衆から喝采を浴びた。『人民中国』として、対談形式は初の試みであったが、成功だった。 

続いて第2弾。中日両国の新劇運動の先駆者である土方与志、村山知義、田漢の3氏による鼎談「中国の演劇を語る」が企画され、両国の新劇界の直面するもろもろの問題が語られ、その記録は57年の12月号に掲載された。 

58年の新年号を飾った対談「映画を通じての友情」は、ユニークな企画の一つであったといえよう。主役は、日本の「貧しいお母さん役の第一人者」望月優子さんと中国きっての女優白楊さん。たまたまその前の年に北京で「アジア映画祭」が催され、日本から、戦後の農村生活を反映した『米』(今井正監督)が出品され、それを話題に、役作りや両国の映画交流について熱っぽく語られた。 

康大川氏(中央)と本文筆者夫妻(康氏宅にて、写真劉徳有氏提供)

『人民中国』のこの良き伝統は、王衆一氏はじめ歴代編集長によって受け継がれ、脈々と生きている。 

康大川氏は普段仕事には格別厳しかった。とにかく、要求の条件に満たない原稿や写真、レイアウトなどは片っ端から、やり直しを命じ、絶対に妥協することがなかった。「ワンマン」的なところがあったことは否めない。その意味では怖い存在だった。しかし、部下に対しては思いやりがあり、面倒見がよかった。そんなわけで、みんなから、「康さん」「康さん」と親しまれていた。 

ここで、康氏の人となりを面目躍如に描いた李順然さん――中国の日本向け放送担当者の回想録の一部を引用させてもらおう。 

――あるとき、作家の陳舜臣さんと『人民中国』の日本における発行元である東方書店の社長安井正幸氏が誘い合って、老朋友の康氏宅を訪れ、ビールを飲みながら、楽しく語り合い、「大川節」の名調子に酔いしれたことがある。 

「康:そもそもだな。国と国との友好ってやつはね、その国民)同士の情がなければ根無し草だよ。えらそうなことを言わせてもらうけど、『人民中国』は創刊以来、いささかもブレることなく、この国民同士の情を深めることを最高の原則、社是としてきたんだ。まあ、ちっぽけな小さな小さな雑誌だし、ボクのような融通のきかない男がボスの椅子に座っているんじゃ、たいしたことも出来ないけど、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ…… 

陳、安井:いやいや、りっぱな仕事をしてきましたよ。創刊10周年の祝賀パーティー、周恩来さんや陳毅さんが出席してくれたじゃないですか。みんなから認められているんですよ、『人民中国』の存在価値は。康さんは功労者です、押しも押されぬ…… 

:と、と、とんでもない。ぼくはじゃまばかりしていて……。でもスタッフがよかったな、中国人も日本人も、みんな一緒に命を懸けてくれた。苦しいときも、困ったときも一所懸命やってくれた。本当にありがたい。みんなには済まなかったかも知れないが……。だけど周恩来さんがきてくれたのは嬉しかったなあ。愚痴も文句も吹っ飛んでしまった、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ。 

陳、安井:これからもがんばってください、康さん! ますます国民の情を深めあうことが大切になっていますからねえ。 

:その通りだな、ますます重要になっているし、ますます難しくなっている。それにしても、安井さんと陳さんにはお世話になりっぱなしだなあ。安井さんは大昔から『人民中国』の普及っていうか、読者拡大に汗を流してくれた、雨の日も、風の日も。ほんとうだよ、安井さんがいなかったら、『人民中国』はとっくの昔に潰れてましたよ、ボクは失業してましたね。大恩人ですよ。中国人のこと、あれこれいう人もいるけれど、中国人の最大の美徳は恩を忘れないことだ。(略)ぼくは安井さんにも、東方書店にも足を向けて寝るわけにはいかない、中国人だからな。(略)ボクがバカの一つ覚えみたいに口にしている『読者は神様』とか『読者の視線』とかは、ネタを明かせば、みんなこうした先生方が教えてくれたのさ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ。」 

日頃酒に目のない康大川氏が健在だったころ、誕生祝いに妻が紅梅を描き、その横に私が金釘流の筆字で七言絶句らしき賛を添えてお贈りしたことがあるが、披露して結びとしたい。 

 

当年邂逅在遼東,  

その昔、初対面は遼寧省の東 

共事京華旧誼濃。 

共に仕事をした北京では旧き(よしみ)ますます濃厚に 

為飲一樽歌此曲, 

樽酒を飲み干さんがためこの曲を歌おうではないか 

梅花万朶喚春風。 

万朶の梅花そよ吹く春風を()び起さん 

 

人民中国インターネット版

 

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