第12回 タイ バンコック 建峰茶行と集友茶行
2020-05-31 09:29:29
文・写真=須賀努
建峰茶行を探す旅は頓挫したかに思われた。だが近所で聞いてみると、5年ほど前にここから引っ越したが「確か中国料理屋をやっていたはず」と言い、その店名から検索して、電話を入れてもらった。すると今はレストランだが、以前は建峰茶行だったというではないか。
建峰茶行の看板の前で
教えられた住所に出向くと、そこはチャイナタウンからはかなり離れた、チャオプラヤ川沿いの高級広東レストランで、夕暮れ時に川風に吹かれながら、本格的な広東料理を堪能した。そしてそこのオーナー女性の案内で入り口付近に行くと、何と「建峰茶行」の看板と、店の名前が入ったパッケージのお茶が置かれているではないか。
建峰茶行の包装
建峰茶行の歴史はまるで小説のようだった。清末から民国の時代、安渓出身で廈門の大茶商の一つ、林奇苑に一人の娘がおり、上海に勉強に行った。そこでタイの軍人と劇的に出会い、恋に落ちてバンコックに嫁いできたというだ。実家の茶荘は娘を心配して、番頭と茶葉を送り、建峰茶行を立ち上げ、夫が軍人で家を空けることが多い中、娘を見守ったと伝えられている。
それは1930年代のことで、実は林奇苑にとっても娘の結婚がバンコック進出のよいきっかけとなり、戦争の気配が漂い、国内が混乱した時期でもあったので、娘がタイに嫁ぐことが安全に繋がると考えたのかもしれない。いずれにしても廈門の大茶商がバンコックに出した店だからそれなりの商売をしていたことは想像に難くない。
因みにこの林奇苑という大茶商のことが知りたくて、廈門の専門家を何人も訪ねたが、その詳細を知ることはできていない。1860年代に安渓出身で武夷山にも所縁のある林心博という人物が創業し、その後漳州、泉州、廈門などに支店を作り、主に武夷水仙茶を商っていたと聞く。アヘン戦争後、各地の港が開港、欧米茶商などが茶葉を買い付ける中、安渓出身者が多く茶行を創業するが、その草分け的存在であったろうか。
1950年代まで厦門の港近く、水仙路に大きな店舗を構えていたというが、その後の国営化で名が消え、子孫は別の職業に就き、その歴史は埋もれた。因みに香港上環に、現在林奇苑という茶荘が存在するが、ここは潮州人が1955年に創業した店で、厦門とは無関係だという。
建峰茶行についても、残念ながらどのような歴史を辿ったのか、正直ハッキリしない。オーナー女性(タイに嫁いだ女性の娘)もあまりよく知らないようで、「親族である集友茶行の老板の方がよく分かるだろう」と言って、王さんを紹介されたので訪ねてみた。
集友茶行は、安渓西坪堯陽の茶農家出身で、茶の商売で安渓とタイを行き来していた王清時が1940年にバンコックで創業した。祖母はあの厦門林奇苑の娘、そして建峰茶荘に嫁いだ娘は妹に当たると言い、1948年に撮影された写真を見せてくれた。
集友茶行 伝統的な工夫茶
王清時は実家で作った安渓茶をバンコックに持ち込み、売りさばいていたが、その際のねぐらは建峰茶行であり、その後自らの店を構えた。大茶商林奇苑を通じて親戚である建峰茶行と集友茶行、この2つはバンコック茶業の創成期に作られた茶荘だが、当時のタイは国力が弱く、安い茶(安渓の色種など)しか輸入できなかったという。
厦門 林奇苑一族の集合写真
また香港の老舗堯陽茶行とも親戚だというから、集友茶行はまさに福建茶業界で主流を占める店だったと言ってよいかもしれない。堯陽茶行は1930年代に厦門から香港に移ったが、現在でも厦門の開元路に当時の建物が残されており、茶葉輸出基地を持つ大規模茶商であり、今でも香港で営業を続けている。
集友茶行の茶業が軌道に乗った頃、中国で国営化の波が来て、茶葉の入手が制限されたことから、安い台湾の包種茶を輸入して販売した時期もある。だが華人排斥の波がタイにも訪れ、一層のタイ人化が進み、中国茶は飲まれなくなっていく。そこで苦肉の策として、余った茶葉の使い道として、プーアル茶熟茶製造を行い、その茶を保存したのは1970年代のことだった、と2代目王国星は語る。
集友茶行 王国星氏(右)
1980年代になるとタイ政府の輸入規制などもあり、またタイ北部で烏龍茶などが作られ始めたこともあり、多くの茶荘がタイ産茶葉の販売に傾斜していき、その頃からヤワラーの茶荘がどんどん消えていった。その中で、集友茶行は中国茶にこだわり、密輸茶などを避け、きちんと農薬検査などに合格した茶だけを扱ってきたことから、常連客の信頼を得て、茶荘を続けているという。それは父王清時が中国への深いこだわりがあり、100歳となった今でもタイ国籍を取得せず、中国パスポートを所持していることからも分かる。
2代目に建峰茶行のレターヘッドで手紙を書いた王文述さんについて聞いてみると「確かにそんな人がいたな。彼は茶商ではなく製茶師だったが、随分前に亡くなった。息子は三人いたが、誰も茶業はやっていないよ」と懐かしそうに話す。ついに突き止めた。そしてここで建峰茶行探索の旅はようやく終わりを告げた。
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