第18回 タイ北部 元国民党華人が作る茶(3)メーホンソーンとパーイで

2020-12-07 14:16:11

須賀努=文・写真

  2回に渡ってメーサローンについて紹介してきたが、国民党軍とその家族が移住した場所はここ以外にもタイ北部にはたくさんある。今回はタイ、ミャンマー国境の町メーホンソーン郊外のメイオ村、そしてメーホンソーンとチェンマイの中間位置するパーイ郊外の国民党村を訪ね、そこで見た茶業について紹介したい。

 

メイオ村で

  メーホンソーンはチェンマイからバスに乗ると7時間も掛る僻地であるが、バンコックから飛行機に乗れば1時間ちょっと到着する。そして空港を出れば横に街があるので非常に便利だ。以前ビルマの支配下にあった時期もあり、その文化の影響を受けている寺院などが見られるなど、如何にも国境の街と言った雰囲気がある。

 

メイオ村 古い茶畑

  更にメーホンソーンの街から45㎞、車で1時間ほど走ると、メイオ村に着き、茶畑が目に入ってくる。ただその茶畑は、現代的な管理されたものとは異なり、株ごとに間隔が開いて植えられている昔風のものだった。勿論これも誰かが植えたに違いないが、台湾人がやって来て、現代的な茶畑を作ったという感じはない。

  村は池を中心にこじんまりしていた。近くの店に入り、ジャスミン茶と烏龍茶を飲んだが、茶の質は正直それほど高くはない。やはり30年ぐらい前から茶作りを始めたというが、メーサローンのように競争に晒されてはいないのだろう。この村も台湾からの支援で作られた建物などがいくつか見られ、また漢字で書かれたものもあり、国民党残党の村であることは確認できる。この村の人口(約500人)の9割は中国系だと言われ、あちこちで華語が飛び交っていた。

 

メイオ村 観光茶園

  村の食堂の上の茶畑は間隔が狭く、現代的な茶樹の植え方だった。そこにはコテージも作られており、聞けば観光茶園として売り出すための物であり、茶畑を美しく見せる為の造作だった。周辺にはいくつかお茶を売っている店があり、華語も通じたが、茶の歴史に関する有力な情報は得られなかった。皆茶作りを仕事とは考えているが、文化とは思っていないらしい。

 

メイオ村 タイ国境ゲート

  因みに車で5分ほど山道を入ると、タイ領の終わりを意味するゲートに着いた。ミャンマー側には入れないので引き返すつもりだったが、何とそこはミャンマー政府の管理が及ばない地域だというではないか。ゲートをガイドと一緒にあっけなく通過して、ちょっと向こう側を散歩して住民に話を聞いた。ミャンマーの少数民族問題は本当に簡単ではない、とつくづく思った。同時に国境とは何か、領土とは何かを改めて考えさせられた。これは島国の日本人にとっては稀有な体験だった。

 

パーイ郊外で

  メーソンホーンからミニバスで山道を4時間ほど行くと、パーイに着く。パーイというのは、チェンマイとメーホンソーンの中間にあり、昔はバス路線の中継点として、バックパッカーなどが宿泊したとても良い田舎、というイメージだった。だが今回歩いてみると、すでにかなり発展してしまい、ある種の観光地になっていて、正直それほど面白い街とは思えない。夜市も規模がかなり大きく、ちょっと驚く。

 

パーイ 山地村

  街から約5㎞の田舎道を1時間かけてゆっくり進んだ。山地村、と書かれた門を潜ると、急に漢字の看板が増える。その先には、まるで遺跡のような広い敷地に、テーマパークのような村が存在していた。なんだここは、という意外感。中国風の大きな建物や門があるかと思えば、ちょっと古代の雰囲気を持つ池などが配されている。国民党関係の村とはかけ離れた中華世界がそこに展開されている。タイ人の中国に対するイメージって、こんな感じなのだろうか。

 

山地村 茶屋

  覗いてみると、一軒のお茶屋が目に入る。中から「お茶飲んでいってよ」と華語で声が掛かったので、これ幸いと入っていく。ここはやはり国民党系が移住した村だったが、店主は国民党とは関係ないという。「爺さんが雲南から移住してきたんだ。あちこち歩き回る商人で、親父もその商売を継いだ」という。

  売っている茶は烏龍茶を中心に、前述のメイオ村と山向こうのメーサローン近くから持ってきたもので、ここには茶畑はなく、製茶も行われていない。「ここが中国人村という観光地になったので茶を売っているだけさ。タイ人が安いお茶を買っていってくれるよ」と屈託なく話す。以前彼らは茶の商売ではなく、もっと儲かる物を運んでいたのだろうな、と感じさせる。奥さんはこの村の出身だというから、その縁で定住したのだろう。

  村の食堂といった雰囲気の店があった。メニューが漢字で壁に貼ってある。雲南米線と書かれていたので、迷わず注文すると、大きな鶏肉が骨付きでドーンと入っており、味も悪くなく、コスパは抜群だった。やはりタイ北部の華人はその地理的関係から、その多くが雲南系であるが、タイ北部と雲南の歴史的な深い繋がりについては、もう少し勉強が必要だと痛感する。
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