派手と地味 (华丽与朴素)
北京冬季オリンピックが終わった。今回の中国における羽生選手人気は、日本人にとってとても嬉しいことだったし、日本でもビンドゥンドゥンが大人気となり、特に中日両国の好みの「共通点」が際立っていたように思う。開会式のセレモニーも、中国ならではの、良く言えば「壮大で大がかり」な、悪く言えば「派手(はで)で大げさ」な演出がなされるのではないかとの大方の予想を裏切り、非常にシンプルで地味なものだった。特に、聖火がそのまま聖火台になるという演出は、シンプルで小さいものを好む日本人の感性に極めて合致し、とても高評価だった。
北京冬奥会结束了。不仅花样滑冰选手与羽生结弦在中国的人气,让日本人感到非常惊喜,冰墩墩在日本也是人气爆棚,让人感觉中日两国民众的喜好有非常明显的“共通点”。开幕式表演,也和大多数人预想的不同,并没有展现中国一贯追求的特色,说好听点是“恢弘盛大”,说不好听的就是“浮华夸张”,而是非常简洁朴素。特别是点燃圣火环节,火炬直接变成火炬台的安排,非常契合喜欢简单、小巧事物的日本人的审美,获得高度好评。
日本人からみると、中国人は一般的に「派手で大げさ」なもの好きに見える。これは中国の国土が大きく、人が多いということに関係するのだろう。日本語の「派手」という言葉は、華やかで人目を引くという意味で、その言葉自体には悪い意味も良い意味も含まれていないが、実際に会話で使われる時には、いい意味で使わないことが多い。例えば友人の着ている服を褒めるとき、「その服派手でいいね」とは言わない。それは、「目立ちすぎる」と言っているに他ならないからだ(だから、褒めたい時には「その服華やかでいいね」と言ったほうがいい)。その背後には、自分の存在をアピールしたり、一人だけ目立ったりするのを嫌う日本人の考え方があって、集団の調和を乱すことを恐れ、常に遠慮ぎみに、自分の存在が目立たないようにふるまう「控え目」が良しとされるからだ。
在日本人看来,中国人通常喜欢“华丽夸张”的事物。这可能和中国幅员辽阔,人口众多有关。日语中的“派手”一词,原本是绚丽夺目的意思,既非褒义也非贬义,但在实际会话中使用时,大多用于贬义。比如赞美朋友的着装时,不会说:“这衣服很艳丽啊。”因为这意味着“太过招摇”(所以,想要表达赞美时,可以说:“这衣服很靓丽啊。”)。这种表达方式的背后,体现了日本人不爱张扬,不喜欢鹤立鸡群的思维方式,他们唯恐破坏集体和谐,倾向于“低调行事”,常常会很谦逊地淡化自身的存在感。
では「派手」の逆の意味の「地味(じみ)」がよい意味をもつかといえば、そうでもなく、やはり「地味でいい」とは言わず、「地味過ぎる」のように使う。どちらも標準より、どちらかに傾き過ぎているという意味で、良くないものなのだろう。
那么“华丽”的反义词“朴素”一定是正面含义吗?并非如此。日本人常说“过于朴素”,却不会说“朴素就好”。无论华丽还是朴素,如果太过极端,就是过犹不及。
「地味派手」という言葉もある。地味なようだけど派手。派手なようだけど地味なことをいう。この一見矛盾したこの言葉に、おしゃれの極意をみる人もいる。例えばいつもグレーや黒という地味な服を着ていても、その人自身にどこかパッと人目を引くものをもっているような人だ。逆に、いつも派手な服装をしているのに、本人は意外にも目立たないタイプであるような場合もある。このように、着ている人と服装の特性のバランスをうまく取るのがおしゃれの極意なんだそうな。
有一个词叫作“朴素而华丽(低调的奢华)”。意思是看起来朴素,实则华丽。或者表面华丽,内在朴素。甚至有人从这个乍看上去自相矛盾的词语中,体会到了时尚的真谛。比如有的人,即便总是身穿灰或黑的素色服装,其身上却有某些让人眼前一亮的特质。反之,有的人虽然总是穿着华服,其身上却并无卓越之处。如此,穿着者和服饰特性的相得益彰,便是时尚的真谛。
また、「地味にスゴイ」という言葉もある。これは地道に目立たずコツコツとすごい仕事を成し遂げるような人を称賛する時などに使う言葉で、「派手にスゴイ」よりもずっと蘊蓄があって、本人はいたって地味なのに、やっていることは派手であるというギャップが驚きにつながる。「地味にスゴイ」は、もともと地味好きな日本人が、理想とするところであると言える。
还有一个词叫作“朴素而精彩(低调牛人)”。用来赞美那些踏踏实实默默努力,却做成了不起大事的人。和“华丽而精彩(高调牛人)”相比,这样的人要内敛得多,而其“为人很低调,做事不一般”所形成的反差令人瞠目。“低调牛人”,可以说是原本喜欢质朴的日本人的理想目标。
文/福井ゆり子 翻訳/編集=銭海澎