麻雀

2021-09-14 14:53:44

姚任祥=文

 

日本で愛される中国ゲーム

麻将(麻雀)は4人で行うテーブルゲームで、中国将棋や囲碁と並ぶ中国の三大ゲームとされ、ここ100年余りで徐々に全世界に広まった。特に新年や祭日の集まりで、麻雀は家族や友人の間で最もよく行われる娯楽の一つとなっている。

しかし、戦術や技術を重視する中国将棋や囲碁と違い、麻雀の勝ち負けは運に左右されることが多い。専門家によると、麻雀は運が6割以上を占め、逆に技術は4割を超えない。このため、ギャンブルの傾向が強いと見られている。

まさに、麻雀=ギャンブルというイメージが強いため、もともと中国大陸部と台湾地区では公式には奨励されておらず、香港だけ合法的に認められていた。しかし、中国大陸部では改革開放後、麻雀を合法的な娯楽スポーツ種目に加え、「国家標準麻雀規則」を制定し、ギャンブル性を薄めた。日本に麻雀が入ると、合法的な娯楽ゲームとしてだけでなく、街中ににぎやかな「雀荘」が出現するなど人気を博し、日本は麻雀大国となった。

麻雀は清代末期から流行し始めたが、その由来については諸説まちまちで定説はない。先秦時代には早くも札とサイコロを組み合わせたゲーム「陸博」があった。これはサイコロを投げ、出た目の数によって札を取って始まり、ルールは後の麻雀とよく似ている。

今から1000年近く前の宋代(960~1279年)に、「馬吊」というカードゲームが現われた。紙のカードは全部で40枚あり、十萬貫、萬貫、索子と文銭の4種類に分かれていた。清代になると「馬吊」は「默和牌」と「碰和牌」へと発展し、カードも3種類になり、相手のカードを取る行為の「吃(チー)」と「碰(ポン)」があり、後の麻雀ととてもよく似ている。

麻雀の発祥地として公認されているのは、現在の浙江省の寧波だ。当地の有名な私設図書館「天一閣」には、「麻将起源地陳列館」が設けられている。そこに、麻雀は清朝の咸豊年間(1851~61年)に寧波出身の陳魚門が発明し、ルールや遊び方を定めたと強調されている。また館内にも、考証物として多くの蔵書と文化財が展示されている。

陳魚門は船乗りとして活躍し、役所の顧問を務めたこともあり、小さいころから聡明で、カードゲームにたけていた。紙のカードは傷みやすいと感じたため、カードを紙から竹や動物の骨を使った牌に変えた。そして、「碰和牌」から萬、筒、索の牌、計108枚を踏襲し、また「默和牌」にあった「公」「侯」「将」「相」を、航海で重要な「東」「南」「西」「北」の四つの風に置き換え、さらに「文」「武」「百」を出世や試験での成功を願う文句「百発百中」の音をもじって、「紅中」「白板」「青発」に置き換え、合計136枚の牌を麻雀とした。

寧波は当時、貿易が盛んな港で、陳魚門が発明した麻雀は大変評判がよく、あっという間に普及し、東は日本にまで伝えられた。もともと「マージャン」は寧波の言葉で、「麻雀」の字を使っていた。ところが、寧波方言で「雀」と「将」が同音であることから、後に標準の中国語で「麻将」と書かれるようになった。現在、私たちが「胡牌」(上がり)と呼ぶのも、実はもともと寧波方言で「和牌」と呼ばれていたものが、同様に音が変化して生じた結果だ。日本では今でも「マージャン」は「麻雀」と書かれている。

 

とりこになる頭の体操

麻雀の牌は、萬子、筒子、索子(「条子」とも呼ぶ)の3種類それぞれ36枚(各種一から九まで4枚ずつ)と、東、南、西、北と白、発、中の7種の字牌(各4枚ずつ)が加わり、全部で136枚だ。

具体的な遊び方やルールは各地域によって異なるが、その根本は、サイコロを振って順番を決めた後、4人が順番に牌を取ったり要らない牌を捨てたりしながら役と呼ばれる牌の組み合わせを完成させ、「和牌」(上がり)を目指すことだ。

麻雀で一番大切なのは、もちろん「和牌」だ。一人の持ち牌が13枚の場合、3枚1組の牌4組と「雀頭」と呼ばれる同じ牌2枚1組の計14枚で上がりとなる。3枚1組とは、「一萬、二萬、三萬」のように同じ種類で数の連続や、全く同じ牌3枚のことだ。

ところで、麻雀にもタブーがある。私の父は細かいことにこだわらない大雑把な人で、普段はあまり麻雀をしないし、タブーも全く気にしなかった。ところが、ある時、麻雀をしていていた父は、持ち牌でめったにない上がりの組み合わせ「大四喜」(東南西北の牌が3枚ずつ全部揃う役)に出会った。これがそもそもの始まりだった。

これは確率的にほとんどあり得ないことだ。普通の人は自分の持ち牌や役作りがそんなにうまく行くとは信じていないし、万一本当にうまく行っても、何かばちが当たりそうで、かえってそれを避けようとするものだ。だが、父はそうしなかった

母によると、それは父が亡くなる前、最後となった麻雀をした時だった。「大四喜」の時のように牌のツキが異常に良く、欲しい牌を次々と引いていったそうだ。普通ならこんな状態になると、むしろ上がるのを避けたり、不吉なほどのツキを断とうとしたりする。

ところが父はそれが分からず、しかも最もタブーである「西風」牌で上がってしまったのだ。普通、要らない牌を捨てるとき、もし万一前の3人が続けて「西」を捨てたら、4人目は「西」が要らなくても続けて捨てるのを避ける。これは、「上西天」(あの世に行くこと)を連想させるからだ。

ともあれ、父はあの「大四喜」を上がってから、ほどなくして本当に他界してしまった。麻雀をしていると、時にとても不思議な状況に出会う。でも、その理由など聞かず、ただ先人の習わしに従うのが一番無難だと思う。

麻雀好きな人にとって、「三欠一」(3人そろったが1人足りず麻雀が始められないこと)は辛いことだ。知り合いにとても麻雀好きなおじさんがいて、一度、家で晩ご飯近くまで麻雀をしていたが、おじさんは急に後輩の結婚で保証人として立ち会わなければならないことを思い出し、奥さんと共にそそくさと席を立ってしまった。あの時残された3人の何とも言えない気持ちを思うと……。

おじさんは結婚式に立ち会って二言三言話した後、急いでまた打ちに戻って来た。奥さんは家に入るなり、みんなにおじさんは立ち会いが済んだ後、司会者の手を取り、「食事にいられなくて申し訳ない、これから『先輩』の結婚式に行かなければならないもんで」とウソをつき、慌てて引き上げてきたと話した。奥さんは、おじさんの麻雀中毒ぶりと一人抜けることへの焦りから、「後輩」と言うつもりを「先輩」と言い間違えたことをからかった。その年で結婚するような先輩がいるわけもないのに……。麻雀にハマると、他の事には頭が回らなくなってしまうものだとつくづく思った。

麻雀は数学のゲームであり、大変良い頭の体操でもある。ゲーム中、自分と他の3人が捨てた牌をしっかり覚え、そこから相手の持ち牌を推測しなければならない。また、すでに出た牌がいくつあるか数えれば、残る牌が何かを割り出すこともできる。

何人かの友人が定期的に集まり、おしゃべりをしながら、お酒を少したしなみ、お菓子をつまみつつ遊ぶ麻雀はとても楽しいものだ。定年退職された年配の方々にも、麻雀をお勧めしたい。麻雀は楽しく健康的な遊びで、頭の老化を予防する効果もあるだろう。

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