中元

2022-08-30 15:08:27

姚任祥=文

中国人は、旧暦の7月は「鬼月」だと信じている。1日に「鬼門」(この世とあの世をつなぐ扉)が開くと、地獄をさまよう霊魂がこの世に戻ってきて食べ物を探し回る。それが「鬼門」が閉じる月末まで続く。この期間は「諸事よろしからず」とされ、人々は家の購入から引っ越し、工事、結婚、旅行など、どんな活動でもなるべくこの期間を避け、慎重に振る舞うようにしている。 

旧暦の7月15日は中元節で、「鬼節」「七月半」とも呼ばれ、鬼月で一番重要な日だ。この日になると、家々は下界に降りてきた霊魂を供養する。これが「中元普渡」(衆生を救済する儀式)だ。 

中元節は儒教、仏教、道教が互いに影響し合って形作られたものだ。早くも東周(紀元前771~同256年)時代の儒教の経典『・月令篇』に、「是月也、農乃登谷、天子嘗新、先薦寝廟」とある。これは、7月の収穫になると、天子は新しく刈り入れた穀物を祖先の霊廟に供え、敬意を示すという意味だ。 

儒教では鬼神(天地万物の霊魂)は祖先であると考えられている。だから7月の祭事は、中国人が代々祖先を供養し、両親に孝行を尽くすという観念から来ていると分かる。 

旧暦7月15日は仏教の「盂蘭盆」(お盆)でもある。盂蘭盆はサンスクリット語の音「ウランバナ」から来ており、「逆さづりにされた人を救う」という意味だ。これは、人々が托鉢の椀の中に食べ物を入れて僧を供養し、仏の力によって地獄で苦しむ衆生を助け、逆さまにつり下げられ何も食べられない苦しみを取り除いてやることだ。 

盂蘭盆会の由来は、よく知られる「目連、母を救う」の物語だ。『盂蘭盆経』によると、ある日、釈迦の第一の弟子である目連は、千里眼によって亡くなった母を見た。生前の欲の深さから餓鬼道に堕ちた母は、逆さまにつり下げられて何も口にできず、苦しみもがいていた。それが忍びなかった目連は、神通力を使って食べ物を送ったが、母の口に近づくやたちまち灰と化してしまうのだった。 

悲しみに暮れた目連は、母を助けてくれるよう釈迦に救いを求めた。すると釈迦は、それには多くの僧侶の力を借りなければならず、さまざまな食べ物や果物などを托鉢僧に施し与え供養せよと諭した。 

目連は釈迦の教えの通りに、7月15日に供養を施すと、母親は本当に一切の餓鬼道の苦しみから脱したのだった。その後、7月15日が盂蘭盆会となった。仏教では、信者がこの日に心を込めて仏と僧侶を供養すれば、三宝の力が得られ、両親が長生きできるだけでなく、7代にわたり先祖が苦界から脱し幸せになることができるという。 

中元節の名称は、実は道教に由来している。道教では、上元(旧暦の1月15日)、中元、下元(同10月15日)の年中行事「三元」を祭る風習があり、旧暦7月15日は中元の神「地官大帝」が生まれた日とされる。地官は冥界を司る神で、この日に下界に降りてきて、善悪を裁き、罪を許す。そのため、道教の信者は全てこの日に地官大帝を祭って罪の許しを請い、さまよう魂に供養を施すのだ。 

儒教、仏教、道教の影響により、民間では徐々に鬼月のが溶け合い、今日のような中元普渡の風習となった。台湾では、もともと旧暦7月になると皆で代わる代わる毎日供養していた。ところが規模が大きくなり、ひと月にわたる宴席へと発展したことから、過度に見栄を張る浪費へと変わってしまった。そこで当局は1952年、条例により旧暦7月15日に統一して普渡の儀式を行うと決めた。そうでもしないと、実際に多くの道教寺院が7月15日以外に普渡を行ってしまうからだ。 

中元節の主な風習 

普渡 

誰からも供養されない孤独な霊魂を救って善道に導くことを指す。家畜を供えて盛大にもてなし、鬼門から出てきた霊魂に、人間界で悪さをしないよう腹いっぱい食べさせる。同時に、彼らを救うよう神仏に願う。これは善良で慈悲深い心の表れでもある。 

普渡は、台湾では一般的に「公普」と「私普」に分けられる。その名の通り、公普は地元の寺院や同業の組合、共通の祖先をもつ氏族集団が統一して行う普渡で、僧侶や道士を招いて儀式を行う。普通は「竪灯篙」という長い竹ざおを立て、その先に「慶讚中元」と書かれた灯籠(ちょうちん)をつるし、さまよう霊を招き寄せ供え物を食べてもらう。私普とは各家庭で行う普渡のことだ。 

放水灯 

竪灯篙は陸にいる霊を招くためだが、海や川をさまよう霊を招くために水灯籠を流すこと(日本の精霊流しに相当)。台湾の民間信仰では、水の霊は一年中水牢の苦しみを受けているとされ、何とかして生きている人を水中に引きずり込み、身代わりにしようとすると信じられている。そのため、この灯籠を流すのは水の霊を救い、苦海から抜け出せるようにするという意味が込められている。 

台湾で最も有名な中元祭は、海辺の基隆(キールン)で行われているものだ。基隆の中元祭のクライマックスは、旧暦7月14日の晩に行われる放水灯で、その規模は大きく、市内から海辺へと数キロにわたって灯籠の列が延々と続く。 

水灯籠は竹ひごを束ねた骨組みに紙を貼って家の形を作り、その真ん中にロウソクを置く。底には浮力のある発泡スチロールの板を使う。その他、竹ののような台の上に数十個から百個以上の灯籠を載せる「水灯籠列」もある。 

 

搶孤 

福建省の沿海部や台湾などの語系の地域特有の、鬼月に行われる競争イベント。この世に未練を残して帰りたがらない霊を追い払い供養するため、旧暦7月の最終日、鬼門が閉じるときに盛大な搶孤の儀式を行う。 

搶孤では、丸太で組まれた柱をよじ登り、その上につるされた供物を奪い合う。台湾では宜蘭県頭城の搶孤が最も有名だ。土台部分の柱には12本のスギが使われ、高さ約13㍍、4階建ての建物の高さに相当する。その上には、さらに竹で編んだ細長い円すい状の「孤棧」が13本立ち、そこにさまざまな供物が結びつるされ、先端に「順風旗」という旗が付けられている。 

搶孤は5人1チームで競い合う。メンバーを人間ピラミッドの要領で上に押し上げ、さらに上を目指してよじ登り、先に順風旗を手にしたチームが勝利となる。しかし、丸太には牛脂が塗られており、油断すると滑り落ちてしまう。死傷者が出やすく危険だということで、清朝時代から長らく禁止されていた。だが、近年になってようやく再開され、安全対策も強化されて、今では有名な観光・民俗イベントとなっている。 

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