春節(上)

2023-02-07 15:38:51

姚任祥=文


春節の言い伝え「ねずみの嫁入り」を描いた清代の版画『無底洞老鼠嫁女』(『中国民俗芸術』)

年越しの由来 

中国人にとって一年で一番大切な祝祭日が年越し、つまり春節(旧暦の正月)だ。農業社会だった昔、人々は春に田を耕し、夏に草を刈り、秋に収穫して冬の食物を蓄えた。こうして旧暦の12月末になると、皆は一家団らんを楽しみ、親戚や友人を訪ね、古いものを新品に取り換え、清々しい気持ちで新たな年の訪れを迎えた。 

年越しの風習は、殷朝(紀元前1600年~同1046年)の年末年始に先祖を祭った「臘祭」にさかのぼる。中国人が旧暦12月を「臘月」と呼ぶのもこれに由来する。「臘」は狩りの「猟」を意味し、人々は暮れの手が空いたときに、狩りで仕留めた獲物を天と先祖に供える。その後、塩漬けし乾燥させて食べた「臘肉」(燻製肉)が、そもそもの発端だった。後にこうした風習は暮れの儀式となり、1年の苦労を互いにねぎらい、祝うようになった。 

「年」にまつわる神話がある――「年」とは人を食う怪獣で、姿かたちは牛のように大きく、血が滴る口を大きく開け、毎冬の収穫物を蓄える頃に現れては人を襲って食い、人々を恐れさせていた。だが、次第に人々はこの「年獣」が最も怖がる三つのものに気付いた。一つ目は赤い色、二つ目は火の光、三つ目は大きな音だ。そこで年獣が現れる前に、家々の門に赤い桃の木の板を立て掛け、門前で火を燃やした。さらに大みそかの晩は夜通し寝ずに絶えずいろいろな音を立てて、年獣が襲って来ないようにした。夜が明けてから、人々は外に出て来て互いの無事を確かめ、新年を迎えたことを喜び、宴会を催してにぎやかに祝った。 

年獣を防ぐ三つの魔よけは、時代とともに変わった。赤い桃の木は、めでたい言葉が書かれた赤い「春聨」(春節を祝って門などに貼る対句)となり、高く積んで燃やしたたきぎは真っ赤な大ちょうちんに、物を打ち鳴らして大きな音を立てていたのは爆竹に代わり、今のような年越しの風習となった。 

  

忙しい年末年始 

年越しは旧暦1224日、家々にいるかまどの神様を祭って天に送り出す「送神日」から始まる。かまどの神様は天から家々の台所に送られ、1年その家に留まり家族の行いの善悪を監察。この日、天に戻って下界で見たことを天の大王に報告する。そこで人々は「良く言ってもらう」ため、この日の早朝、乗り物を象徴する「雲馬」(神聖な飾り旗と馬車を描いた黄色い紙)を燃やし、甘い湯円(白玉団子)を供えてかまどの神様を送り出す。甘い物を口にして気分が良くなったかまどの神様は、この雲馬に乗って天に帰り、天の大王に甘い褒め言葉を並べるだろう。 

かまどの神様を送り出したら、もう年の瀬だ。まずは「清塵」を行う。これは年末の大掃除で、この風習は古く宋代(960~1279年)の生活記録『東京夢華録』にも紹介されている。とくに神仏像、先祖の位牌などの祭事用具は普段は動かしていないので、神様を送り出した後にだけ、きれいに洗って汚れを拭くことができる。台湾には、「大掃除をしてこそ大金持ちになれる」ということわざがある。これは、年越し前に家中をきれいに掃除して新年を迎えてこそ、新しい年にはお金がどんどん入って来るということだ。 

大掃除の後は、正月用品をたくさん買い込み、福を象徴するさまざまな餅を作る。例えば縁起の良い大根餅「菜頭粿」や、金持ちになる願いを込めた「発粿」だ。そして大みそかの夜は、一家で楽しむ年越し料理の準備に取り掛かる。 

年越しの行事は大みそかの夜に最高潮を迎える。台湾では、当日の午後2時から4時に、その年との別れを告げる「辞年」の儀式を行い、まず天に、続いて先祖に祈りをささげる。それから家族全員で山盛りの年越しのごちそうを楽しみ、夜通し寝ずに新年を迎える(守歳)。真夜中の零時には爆竹を鳴らして新年の到来を祝う。 

旧暦の正月の1日目(初一)には、まず「開正」の儀式を行う。「開正」とは新しい一年の始まりを意味し、家中にちょうちんなどをつるし、供物台にさまざまな正月料理を並べ、天の神と先祖を祭る風習だ。開正を行う時間は、毎年の干支によって異なってくる。 

台湾で新年の風習はとても多いが、中でも「行春」は欠かせない。普通は、近くの寺や廟に行き線香を上げて幸せを祈る。日本の「初詣」みたいなものだ。それから、親戚や友人の家に年始回りに出掛け、「お金がたまりますように」などと新年のあいさつを交わす。このとき、絶対に縁起の悪い言葉や人が嫌がるようなことを口にしてはいけない。そんなことをすると、その年は丸々一年、運が悪くなってしまうとされている。このように新年の1日目には多くのタブーがある。例えば、ごみを捨ててはいけない、子どもを叱ったり体罰をしたりしてはいけない、包丁やほうきに触れてはいけないなどだ。 

2日目(初二)は嫁が実家に戻る日で、この風習の起源も「年獣」の伝説と関わりがある。他家に嫁いだ娘はこの日、実家に戻って両親がつつがなく暮らしているかを見舞う。昔の伝統的な農業社会では、娘がいったん嫁いだらいつでも実家に戻れるというわけではなく、正月の2日目だけ、夫と子どもを連れて一緒に実家を訪れることが許されていた。 

3日目(初三)は俗に言う「ねずみの嫁入り」だ。この日の夜は、ねずみたちが結婚式を挙げるめでたい日とされ、人間は全ての祭事を行わず早めに寝て、翌日も遅く起き、ねずみの慶事の邪魔にならないようにする。昔の人たちはねずみを退治することができなかったため、こうした「和をもって貴しとなす」という風習が出来上がったのだ。実に興味深い。 

4日目(初四)は神様を迎える「接神日」だ。「神は朝に送り、夜に迎える」という言い方があるように、この日は午後に祭事を行うのが一般的だ。旧年の24日に天に戻ったかまどの神様と、その他の神々を再び家に迎え入れる。その後、その年が厄年に当たる人は寺や廟の太歳神のもとへ行き、凶を避けて吉となるよう一年の平穏無事を祈願する。この日になると春節の行事も終わりに近づいてくる。 

5日目(初五)は年越しの終わり(出年関)だ。年末年始の行事はこの日で一区切りとなり、旧正月のほとんどの伝統的行事は終わりを告げる。また旧暦1月5日は、仕事始めの大切な日でもあり、福の神がこの世に降りてくる。今でも多くの会社では、この日になると縁起の良い時刻と福の神がいる方向を選び、肉や菓子、花、果物などを供え、全社員が福の神を拝み商売繁盛を祈願する。 

  

年越しの主な風習 

【守歳】 

大みそかの晩に一家そろって徹夜をすること。中国語で眠りを表す「困」が貧困の困と同じ字であることから、大みそかに「(不困)眠らなければ、来年は困窮しない」という意味がある。また守歳は「長寿を守る」という意味もあり、子どもが遅くまで起きていればいるほど、両親はより長生きをするとされる。 

【紅包】 

お年玉のこと。普通は、大みそかの夜にごちそうを食べた後、大人が赤い祝儀袋にお金を入れて未成年の子どもに渡す。好運をもたらし、邪気を払うという意味が込められている。 

【爆竹】 

「年」は人を食う怪獣で、「夕」とも呼ばれたことから、大みそかの夜は「除夕」(除夜)と呼ばれた。昔々、人々は「除夕」に夜を徹して大きな音を立て、「夕」を追い払っていた。その後、これが爆竹を鳴らす風習となり、今では爆竹は春節に欠かせない風物詩となっている。 

除夜の零時近くになると、あちこちの家で爆竹が鳴り出す。数もある長い爆竹を鳴らす家もあり、バチバチと長く鳴り響いた後、最後の「バン」というひときわ大きな音で、ついに「夕」を退治できる。 

小さい頃は、酒の瓶に打ち上げ式の爆竹を立てて放つのが大好きで、あのバンッと破裂する大きな音に興奮し、また怖くもあり、今でも強く印象に残っている。今の爆竹はどんどん新しいものが増え、大みそかの夜空はまるで花火ショーのように光り輝いている。 

【龍の舞と獅子舞】 

これは中国の最も有名な伝統舞踊で、今でも世界中のチャイナタウンのフェスティバルで必ず行われる民俗的な文化イベントだ。龍と獅子の舞には、国の安泰と人々の平穏無事、天候の順調を祈り、凶を避けて好運を呼ぶ願いが込められている。また、銅鑼や太鼓のにぎやかな伴奏や、豪快で迫力たっぷりの踊りは素晴らしく、ほとんどの祭りで一番盛り上がる出し物となっている。 

龍は中国独自のもので、めでたい前兆を象徴する架空の生き物だ。龍の舞の起源は古く漢代にさかのぼり、雨乞いの儀式として行われた。唐宋時代には、すでに春節によく見られるようになっていた。 

龍の舞は歴史が長く、地域によって多くの形式がある。台湾の多くは「南龍」に属し、竹や木で作られた龍の胴体は長くてずっしりと重い。舞いは迫力を重んじるため、短くても10、長いものでは全長が100を超える龍もある。龍の胴体を支えて舞う者は、龍がどんなに長くても頭を持って舞う者の動きに合わせて動き、息もぴったりに龍のたくましさや俊敏さを表現する。 

中国にはもともと獅子(ライオン)はいなかったが、漢代以降に中国に入って来たとされている。獅子は百獣の王であるとともに、仏教では災厄を鎮め邪気を払う動物とされていることから、昔から獅子の石像を守り神として住宅の門前に置く家が多い。 

中国の獅子舞は、地域によって「北獅」と「南獅」に分けられる。北獅は「瑞獅」とも呼ばれる。中国語で「瑞」は「睡」と発音が似ていることから、広東を中心に発展した南獅は「醒(目覚める)獅」と名を改め、現在、多くの獅子舞の団体名は「醒獅団」と名乗っている。北獅が力強い立ち姿や舞の形を重んじるのに対し、南獅は技巧的な動きや特殊効果を取り入れ、すでに武術レベルにある。獅子舞の多くは2人1組で、一人が頭と前足、もう一人が胴体と後ろ足、尻尾を操作し、さまざまな型や舞いを披露する。中でも最も有名な演舞の「採青」は、高いところにつるされた「生菜」(レタス、金もうけを意味する「生財」と同音)を、獅子がいくつもの障害を飛び越えて取りに行くというものだ。これには商売繁盛を祝う意味が込められているため、旧暦1月5日の仕事始め店開きによく見られる祝いの出し物となっている。 

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