春節(下)

2023-02-27 10:09:00

姚任祥=文

にぎやかに獅子や龍が舞い、子どもたちが庭で花火や爆竹を楽しむ――春節(旧正月)には、これ以外にも家々が門を飾り付け、町はめでたい赤色に染まる。また食べ物にも「新年の雰囲気」が欠かせない。 

  

春聯を貼る 

春節の風習として、中国の東西南北を問わず定着している伝統がある。それが春聯を貼ることだ。春節が近づくと、どの家庭でも門の両脇と上の横木に真新しい春聯を貼る。 

春聯は通常、赤い紙を細長い短冊ふうに切り、そこに縁起が良く、めでたい文句を一対そろえて筆で書く。これを門扉の両側に1枚ずつ、さらに横木にも横書きの額を掲げ、人々の初春を迎える喜びと新年に込めた願いを表す。 

春聯の歴史は古いが、もとから赤い紙に墨で書かれていたわけではない。古代、春聯は「桃符」と呼ばれていた。 

言い伝えによると、神と鬱塁は鬼神を懲らしめる神話上の神であった。鬼たちは神荼と鬱塁を見ると怖くて悪さをしなくなることから、人々は昔から魔除けの植物とされる桃の木の板に神荼と鬱塁の姿を彫り刻み、門扉に掛けて魔よけにした。その後、板に神荼と鬱塁の名だけ彫るようになった。 

このように神荼と鬱塁の名前や姿が彫られた板は、桃符(守り札)と呼ばれた。春節前になると、人々はそれまで門扉に掛けていた古い桃符を外し、新たに彫った守り札を掛け、年に1度取り替えた。こうして古きを捨て新しきを取り入れる形式が、新年の際に良い兆しを呼び込むと考えられるようになった。 

時代が進むにつれて美意識も変化し、神荼と鬱塁の名前を彫っただけの桃符に少し物足りなさを感じた人々は、縁起の良い言葉を桃符に刻むようになった。それが好評で、桃符の内容が次第に文化的な意味合いを持つようになり、さらに春聯の形へと進化。宋の時代には、桃符という名称以外は現在のような春聯と同じ形になった。 

宋代以降、春聯を貼る風習は広まり、明の時代には「春聯」という言葉が登場する。史料によると、明の初代皇帝・朱元璋(1328~98年)は春聯をこよなく愛し、春節には自ら対聯を作って書いただけでなく、大臣たちにも春聯作りを勧めていたという。 

私が子どもの頃、横丁を歩いて家々の門に貼られた春聯を見ても、その深い意味が分からなかった。むしろ、赤い紙が雨に濡れていたり、日に焼けて色あせたりしていて、どこか殺風景な感じしかしなかった。それが大人になるにつれ、私たちのこのユニークな文体の絶妙な味わいが分かるようになった。 

春聯の基本形は、深い意味を持つ字句を平仄という発音の規則やリズム、文法に従い、上下一対になるよう組み合わせたものだ。言葉の優雅さの中に季節感があり、教育や遊び心なども含まれ、心情を表現したり願望を述べたりすることもできる。さらに善良さや戒め、風刺、自慢などの細かな心の動きを巧みに反映することもできる。 

春節になるとどの家も門に春聯を貼るが、一番よく見掛けるのが、上の句が「門迎春夏秋冬福」(家に春夏秋冬四季の福を迎える)、下の句は「戸納東西南北財」(家に東西南北全ての富を得る)、そして横の句が「千門瑞慶新」(家々は新年を祝う)というものだ。この春聯は家・季節・方角、そして吉祥・息災・祝福の全てが短い言葉の中に巧みに盛り込まれている。 

だから私たちは春聯を読むとき、短い字句の中で語義・字形・音声、比較などが巧みに使われ、語句を豊かにしているのが分かる。また同時に、その言葉が醸し出す雰囲気や楽しさも味わえ、深い思索を呼び起こされる。しかも漢字を知っている人ならば誰でもこの「特権」を楽しみ、心行くままに春聯を作ることができる。 

春聯は一字一句そのものが珠玉で、その書き方は人によって異なる。楷書はきちんと整った上品な風情があり、草書は飛び跳ねる龍のように力強くさっそうとして、いずれも目を楽しませる特別な面白さがある。年越し時期に春聯を貼ることは、道ゆく人を励まし、共に喜び、祝福する深い意味も込められている。 


春節が近づくと、海南省海口市の年越し用品市場では、天井から春聯がずらりと下げられ、ひもの伝統工芸の中国結びや「福」の字、赤ちょうちんなど春節用品が所狭しと並べられる(vcg)

 

春節に食べる年(餅) 

春節を彩る風物詩として、もう一つ欠かせないのが「食べ物」だ。 

春節に年を食べるのは、「年年高」(毎年昇進するという意味。年と年高は発音が同じ)という縁起の良さの象徴だ。 

中国では、どの地方でも年を食べる習慣がある。台湾年、寧波年、大根年、発(米粉の蒸しパン)、松(うるち米の蒸しパン)……どれも米から作られるが、地方によって形や風味が異なり、作り方もさまざまだ。例えば台湾では、春節前に米を一晩水に漬けてふやかした後、すりつぶし、水分を絞ってから鉄鍋に入れる。そこに黒砂糖を加えて木の棒でかき混ぜ、全体が茶色のペースト状になったら蒸し器に移す。鉄鍋に残った薄いおこげをヘラでこそぎ取って食べると、黒砂糖の甘さと米の香ばしさが口の中で溶け合い、子どもが大喜びするおやつになる。田舎では、大きなかまどにまきをくべてじっくりと年を蒸す。蒸し上がるのに通常3~4時間はかかるものだ。 

台湾の発には新しい年の繁栄を願う意味が込められている。だから台湾では、一家の嫁が蒸し上げた発の上部が割れていないと、ちゃんと発酵できていないと見なされ、しゅうとめからなじられたものだ。昔はベーキングパウダー(膨らし粉)がなく、米粉を小麦粉のように発酵させることができなかったので、経験と熟練の技が必要だった。発作りは、間違いなく至難の技だった。だから、蒸し器のふたを開けるとき、家族全員がかたずをのんで見守る。もし発の上部が割れて開いていたら、皆が喜んで「発だ!発だ!」(発財=繁盛、もうける)と叫ぶ。だが割れていなかったら、「ああ、発じゃないね」とがっかりする。こんな時、そばにいる一家の嫁は良い気分ではないだろう。 

の食べ方はさまざまで、例えば、台湾の年は、冷えたまま切って食べたり、酸菜(白菜などの酸っぱい漬物)を挟んだり、油できつね色にこんがり焼いたり、溶き卵などの生地で包んで揚げる食べ方がある。少量の油でこんがり焼く台湾年が一番難しく、鍋肌にくっついたり、全部ひと固まりになったりしやすい。 

以前、米国のわが家で友人と会ったとき、何か食べたくて冷蔵庫の中を探していると、チャイナタウンで買った台湾の黒砂糖年が出てきた。二人の息子に揚げるのを任せ、友人と「後でピザが出て来るかもしれないわよ」と冗談を言いながら、おしゃべりを続けた。しばらくたって年のことなど忘れかけたころ、なんと息子たちが見栄えも良く食感も外がカリッとした黒糖年を皿に乗せ、恭しく運んで来たのだ。友人は驚いて、男の子なのによく我慢強く台所に立っていられたわね、と息子たちを褒め上げた。 

その後、私も不思議に思い、「どうやってあんなにうまく揚げたの」と息子たちに聞くと、二人は「そんなの簡単だよ。年を鍋に放り込んで、後は二人でじゃんけんするだけさ。負けた方が年をひっくり返せばいいだけだよ」としれっと言ってのけた。つまり、一見難しそうな揚げ年糕をうまく作る秘訣は、ひっくり返すことにあったのだ 


日差しと寒風で年を乾燥させる(江蘇省興化市の村で、vcg)

 

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