元宵節

2023-03-20 16:27:00

姚任祥=文

旧暦の1月15日は(小正月)だ。「上元節」とも呼ばれるこの日は、1年のうちで最初の満月の夜であり、旧正月を祝う最後の1日でもある。元宵節は灯籠(ちょうちん)の祭りでもあり、人々はこの日、盛大なちょうちんの鑑賞会を開き、色鮮やかでさまざまな形をしたちょうちんをめでながら元宵(具入りの白玉団子)を食べ、「灯謎」(ちょうちんに貼られたなぞなぞ)を解いて正月の休日の最後の1日を思う存分に楽しむ。 

  

思い出のちょうちん祭り 

子どもの頃、立派なちょうちんを手に入れて友達に自慢するために、普段はやんちゃな子でも、元宵節の数日前からおとなしくお利口さんにしていたものだ。当時、私は動物の形をした車輪付きのちょうちんが喉から手が出るほど欲しかった。それを引いて通りを歩けば、みんなからうらやましく思われること間違いなしだからだ。そして兄たち男の子はといえば、関羽の刀や飛行機の形をしたちょうちんに目がなかった。だが、車輪付きのちょうちんは値が張るので、私は動物の形をした車輪付きちょうちんを一度持ったきりで、それ以外は毎年普通のちょうちんだった。たまたま近所に一人娘がいて、とてもかわいらしいお姫様スカートをはいて、黄色い毛がふわふわしたウサギの車輪付きのちょうちんを引いていた。周りの女の子たちは皆、それはそれはうらやましがったものだ。 

ある年、わが家の数軒先にあるお金持ちの家の男の子が、青い軍艦型の車輪付きちょうちんを元気いっぱいに引き歩いていた。だが自慢し過ぎたせいか、その子が公園を走り回っているうちに突然、ちょうちんのろうそくの火が外側の紙に燃え移ってしまった。その子は大声で泣き出し、近くにいた私たちは皆ちょうちんを手にその子の周りに駆け付けた。ところが近づき過ぎたせいか、折からの風に吹かれた火は他の二人のちょうちんにも燃え移り、大騒ぎになってしまった。結局、大人たちは火消しに大慌て、子どもたちはパニックで泣き叫び、楽しいはずの元宵節が早くもその場で中止となってしまった――。 

時はたち、私の子どもたちもちょうちんを持って遊び回る年になった。しかし、売られているちょうちんを見ると、昔のような紙を貼ったものはなく、どれも乾電池で光るプラスチック製ばかりとなってしまった。またデザインも、伝統的な動物や花をあしらったものはなくなり、日本のアニメキャラクター「ハローキティ」や「マジンガーZ」などに変わった。何とも残念でならない。 


深圳市の歓楽海岸では、市民が飾り付けられたちょうちんを楽しんでいる(vcg)

 

なぞなぞを解く 

元宵節は漢の時代に始まり、2000年以上の歴史がある。言い伝えによると、武将の周勃が旧暦の1月15日に「諸呂の乱」を平定したことにちなむ。漢の文帝はこれを祝うため、毎年元宵節になると宮廷を出て庶民と一緒になって楽しみ、祭事を執り行って国の安泰と人々の幸福を祈願したという。 

元宵節の楽しみといえば、色とりどりのちょうちんを鑑賞することだ。大きな寺院ではちょうちん祭りが開かれ、たくさんの平和を願うちょうちんが所狭しと掲げられる。そして、さまざまなテーマで作られたちょうちんの中から、一番の人気作品を人々が投票で選ぶ。こうした催しに人々は皆こぞって集まる。 

また元宵節の面白さといえば、「灯謎」(なぞなぞ)を解くことだ。これはもともと文人の間ではやっていた知恵比べの遊びだった。それが、南宋時代の物好きが元宵節になぞなぞを短冊に書き、ちょうちんに貼って皆に解かせたことから、面白く、老若男女が一緒になって楽しめる遊びとして、あっという間に広がった。その後、解けたらごほうびがもらえる謎解きゲームへと変化した。 

「灯謎」は立派な文学作品というわけではないが、創作する上で語句や意味、格式などの原則を重んじなければならない。今では数十種類の形式が派生し、謎の後ろに記されてヒントとされる。例えばよく見られる「巻簾格」(巻き簾形式)という形式では、を巻き上げるように答えを下から上へ逆に読む必要がある。例えば、「九千九百九十九」というなぞなぞから四字熟語を当てる問題では、その意味は「失一無万」(1万に一つ少ない)だが、これを逆から読むと、正解の「万無一失」(絶対に失敗しないという意味)という成語になる。 

ちょうちんの鑑賞と謎解き以外にも、元宵節では各地に地方独特の風習がある。例えば、有名な台湾新北市の「平渓天燈祭り」(平渓ランタン祭り)がその一つだ。 

天燈は「孔明燈」とも呼ばれ、諸葛孔明が戦いの際の連絡用に発明したものだと言われる。天燈の胴体の骨組みには細長い竹ひごを使い、宣紙(画仙紙)や油紙を外側に貼り付ける。全体的に長方形で、下は丸く開いている。台座の真ん中には灯油に浸した布か金色の紙をくくり付けてあり、火をつけると空気が熱せられて本体が膨張し、天燈はゆっくりと上昇してゆく。 

清の道光帝の時代(1821~50年)、福建省安渓の農民は続々と平渓や十分などの山間部へと移り住み、開墾に励んだ。しかし夜になると山賊がよく村を荒らすので、成年男性だけを村に残し、年寄りや子ども女性などは山奥へと避難させた。盗賊が去ると、村に残った男性たちは天燈を放ち、避難した村民に村へ戻ってくるよう合図を送ったという。 

これがその後、徐々に元宵節で無病息災を祈願する催しへと変化していった。今の元宵節では、多くの観光客が平渓に押し寄せ、天燈に願い事を書いて空に上げて願掛けをする。夜になり、山に囲まれて天燈がゆらゆら揺れながら風に乗って空へ舞い上がるのを静かに見守る――このようなロマンチックな願掛けは多くの人を魅了してやまない。 


元宵と湯円 

元宵を食べずして元宵節は始まらない。この丸いもちもちしたお菓子は、北方地域では「元宵」と呼ばれ、南方では「湯円」と呼ばれている。元宵は、丸めたあんをもち米粉の入ったふるいに入れて転がしながら作るもので、湯円は手のひらで丸めて作る。 

元々の「元宵」は、唐代の頃の歴史書に記載があり、初めは「粉果」と呼ばれていた。宋の時代には「円子」「団子」と名を変え、明の永楽帝の時代(1403~24年)に「元宵」という名称が定着した。元宵は一般的に甘く、あんを小口切りしてから、もち米粉の入ったふるいに入れて、転がしながら丸く大きくしていく。これをゆでた汁は白く濁っている。 

一方、湯円の作り方はギョーザと似ていて、もち米で作った皮であんを包み、両手のひらで丸めていく。湯円のあんは植物性の食材もあれば肉もあり、このスープはさっぱりしている。湯円や元宵のあんは実に多彩で、各地方によって味も食べ方も異なる。有名なものに蘇州の五色湯円や南京の雨花石湯円、山東省のごまとナツメのこしあんの湯円、上海の甘酒湯円、カニ湯円、台湾の塩辛い湯円などがある。 


元宵節が近づくと、南京市随一の繁華街・夫子廟近くにある「老太畳元宵」工房の職人たちは元宵作りに大忙し(vcg)

  

台湾の塩辛い湯円の中身は、豚のひき肉が主な具材で、スープは骨を煮込んだこってり味。香ばしく炒めたニンニク、ネギ、シイタケのみじん切り、春菊をスープに入れ、仕上げはひきたてのコショウで味付け。スープから湯円まで、香ばしい風味が食欲をそそる。上海のカニ湯円といえば、あんは濃厚なカニのみそと身に豚肉を混ぜたもので、潮の香りが口いっぱいに広がる。 

私の一番好きな甘い湯円は、あんに練りナツメを使ったものだ。干しナツメをゆでて種を取り、擦りつぶす。そこにラードと白砂糖を加えて包み、ゆで上がったら炒ったゴマと砂糖をまぶせば完成だ。 

私の母は甘酒湯円が一番のお気に入りだ。湯円を甘酒が入った鍋に入れ、よく熟したバナナと皮をむいたミカン、砂糖とモクセイのジャムを加えて煮込む。甘くて香ばしく、ちょっと酸っぱい甘酒の後味がくせになる。 

南京の雨花石湯円は見た目が一番ユニークで、広東省潮州のお菓子に由来する。もち米の生地にココアや抹茶のパウダーを混ぜ、雨花石のような模様の生地に練り上げる。形は丸いもの以外に四角形や尖った形、平べったくすることもでき、形の違いで中のあんを見分ける。 

湯円は油で揚げてもおいしい。揚げるときはとろ火で温度は低め。湯円に卵白を絡め、ようじで小さな穴をいくつか開けておく。揚げるときに皮が破けて油がはねないようにするためだ。揚げ上がったらキッチンペーパーで余分な油を吸い取り、皿に盛りつける。できたての揚げ湯円は、外はサクッとして中はもちもちで、甘いあんが胃袋を温める。夕飯のデザートにぴったりの一品だ。あんの入っていない湯円の「円子」は、油で揚げて砂糖につけて食べれば、それだけで簡単でおいしいお菓子になる。 

 

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