中国に普及「顔認証」の是非

2021-12-03 17:31:35

鮑栄振=文

筆者は以前、顔認証(1)の技術は私たちの日常生活とは縁遠いものだと思っていた。ところがいつの頃からか、中国では生活のあらゆる場面で個人の識別に顔認証が使われるようになった。スマートフォンのロック解除(2)から始まり、飲食店での注文や支払い、オフィスの入室、買い物、銀行、空港、ホテル、マンションの出入り口……。スマホのロック解除だけでも日に何十回も顔認証を求められる。

進化した人工知能(AI)技術を導入することで、確かに私たちの日常生活は便利になった。だが同時に、顔データなどの個人情報(3)が悪用されることへの不安も高まっている。次の二つの顔認証を巡る訴訟事件は、現代人のこのような不安を端的に示している。

 

顔認証巡る初の裁判

中国で顔認証を巡る初の裁判を起こしたのは、浙江理工大学法学部の郭兵副教授だ。2019年4月27日、郭氏は浙江省杭州市にあるサファリパーク「杭州野生動物世界」の入園年間パスポートを購入する際、指紋のスキャンと顔写真の撮影を行った。これは、同パスポートが指紋認証で入園時の本人確認をしていたからだ。

ところが後日、同パークは認証方法を指紋から顔認証に変更。郭氏はショートメッセージでその旨が通知され、顔認証に変更登録するよう求められた。これに対し、郭氏は顔認証に用いられる顔のデータは、極めてセンシティブ(敏感)なプライバシー(個人情報)であるとして顔認証の登録を拒否。パーク側に年間パスポートの解約と購入金額の払い戻しを求めた。しかし両者間の協議は不調に終わり、郭氏は提訴に踏み切ったのだった。

昨年11月20日の一審判決と今年4月9日の二審判決は、ともに杭州野生動物世界が一方的に入園方法を変更したのは契約違反と認定。パーク側に対し、郭氏が受けた損害および交通費計1038元の賠償とともに、郭氏が年間パスポート購入時に提供した顔の特徴に関する情報(撮影写真を含む)を削除するよう命じた。

杭州野生動物世界側は裁判で、顔認証を採用したのは消費者の利便性のためであると主張した。これに対し郭氏は、顔認証には不便な点もあり、顔認証を唯一の認証方法とするのは問題があると反論した。

例えば、湖北省の94歳のお年寄りは歩行が不自由なのに、社会保険カードの本人確認のために銀行まで運ばれて行った上、周りの人に抱えられて顔認証を行ったというケースがある。また、企業が広範囲に個人情報を収集するのは通常、精密マーケティングなど営業上の目的を実現するためで、ユーザーの利便性だけを目的としたものではないと指摘した。

瞳の虹彩模様(4)など、人それぞれ異なり生涯不変と言われる人体の部位を使う生体認証は、現代における最も偉大な技術発展の成果の一つと言えるものだ。二審でもこの点を踏まえて、次のように指摘した。

「生物識別情報は機微(センシティブ)な個人情報であり、自然人の生理的・行為的特徴を色濃く表すものである。ひとたび流出または不正使用されると、個人が差別を受けたり、人身・財産の安全が不測の危害を受けたりする恐れがあるため、慎重な取り扱いと厳格な保護が求められる」

 

利便性か個人情報保護か

不動産管理を業務とする湖南省長沙市の中欣不動産管理会社(以下、中欣社)が、個人情報の取り扱い規則を公表しないまま顔認証を強制したとして、湖南天潤人合弁護士事務所の林宜燁弁護士が今年8月26日、中欣社を相手取り顔認証情報の保護を求める訴えを起こした。この訴訟は現在も係争中であり、「顔認証を巡る中国初の裁判」に続く「顔認証を巡る湖南省初の裁判」と呼ばれている。

訴訟に至った経緯はこうだ。今年6月、林弁護士は長沙市天心区の中欣国際ビルにオフィスを構える湖南天潤人合弁護士事務所に入所した。林弁護士はほどなくして、同ビルの入館者の本人認証方法が顔認証だけで、しかも個人情報の取り扱いに関する規則が一切掲示されていないことに気付いた。

オフィスのあるビルに入る必要に迫られ、林弁護士は中欣社による情報収集に同意。顔データや氏名、身分証明書番号など個人情報を提供した。その一方で、林弁護士は中欣社と何度も協議も重ねたが、満足いく回答は得られなかった。

中欣社は、顔認証を採用しているのは他の認証方式より安全性が高く、部外者のオフィスビルへの入館を効果的に防ぐことができるからだと説明した。だが林弁護士は、これは単なる言い訳で、実際はコストをかけてまでして、より合理的な個人認証方法を導入したくはないからだろうと判断した。

林弁護士はこう指摘する。「顔データはセンシティブな個人情報であり、本人だけで他になく変更もできない。さまざまなアプリケーションと関連付けられている顔データが流出すれば、非常に恐ろしいことになる。実際、オフィスビルの部外者でも顔データを入力すれば出入りができ、顔認証はセキュリティーを高めるどころか、個人情報流出のリスクを高める可能性がある。管理会社と利用者の双方にとって、顔認証はデメリットしかない」「セキュリティーの確保は公共の利益のためである、という中欣社側の主張には無理がある。たとえ本当にそうだとしても、個人情報の収集や取り扱いに関する規則を明示する義務があるのに、中欣社はそれを怠っている」

林弁護士からすれば、中欣社の対応や説明は法的にも論理的にも筋が通らないものだった。そこで、訴訟に踏み切ったのである。

 

顔データ保護へ進む法整備

現在、顔認証などの新技術は急速に普及しているが、多くの人々は往々にして身近な個人情報の侵害行為に気が付かないか、あるいは慣れっこになっている。また、多くの企業や部門も効率性の追求を第一の目標としており、意図的かどうかを問わず人々の個人情報を侵害している。

このような中で発生した上記の二つの訴訟案件から、個人情報の取扱者と一般の人々のあるべき姿を読み取ることができる。個人情報の取扱者は、情報の収集・使用に当たって「合法・正当・必要」などの原則を順守する必要があり、とりわけ生体認証情報(5)の収集・使用については細心の注意を払わなければならない。また一般の人々も、自らの個人情報が収集・使用される過程における自己の権利を知り、保護する必要がある。

顔データの保護に関する法制度の整備も進みつつある。今年11月1日から施行されている「個人情報保護法」では、特に一章を割いてセンシティブな個人情報の取り扱いに関する原則を定め、顔認証技術・設備にフォーカスした規定も設けられている。

その第26条は以下のように定めている。公共の場所において、画像収集および個人の身分を識別する設備を設置する場合、公共の安全を維持するために必要な場合に限り、国の関連規定を順守し、かつ、顕著な注意喚起標識を設置しなければならない。収集した個人の画像および身分識別情報は、公共の安全を維持する目的にのみ使用することができ、その他の目的に使用してはならないが、個人から個別の同意を取得した場合は、この限りでない。

また今年7月、最高人民法院(最高裁に相当)は『顔認証技術を使用した個人情報の処理に関連する民事事件の審理における法律適用の若干の問題についての規定』を公布し、実務上よく問題となる顔認証技術の活用について、法律レベルで規制を行っている。

このように、顔データを含めた市民の個人情報を保護する法律の網は次第に広がっていくだろう。

 

1)顔認証 人脸识别

2)ロック解除 解锁

3)個人情報 个人信息

4)虹彩模様 虹膜

5)生体認証情報 生物识别信息

関連文章