裁判所だます「虚偽訴訟」
鮑栄振=文
弁護士をしていると、変わった話を耳にすることが多い。先日も同僚から興味深い話を聞いた。
2018年から19年にかけて、魏さんと劉さん夫婦は、知り合いの游さんから計61万元(約1000万円)の金を借りた。借用書は夫の魏さんが書き、金は妻の劉さんの口座に振り込んでもらった。借りた金は後日、劉さんが全額返済した。よくある私人間の金の貸し借りだ。だが、これが後に事件に発展するとは誰も思わなかった。
昨年1月、夫の魏さんは夫婦間の愛情がなくなったとして、裁判所に離婚訴訟を提起した。離婚を切り出された劉さんは一計を案じた。母の林さんと共謀して劉さんは游さんを訪ね、実際には返済済みの借金61万元が未返済だとして、魏さんを相手取り訴訟を起こすよう頼んだのだ。游さんは劉さんらの依頼に応じて訴訟を提起。当時の借用書を証拠に魏さんに61万元の返済を求めた。
だが、このようなやり方で裁判所を欺くことはできなかった。裁判所は双方が提出した証拠を精査し、借用書の作成時期や双方の銀行口座の取引履歴を確認した。その結果、争点となっている借金61万元はすでに全額返済されていると認定。この訴訟は、裁判所をだまして訴訟に勝ち、その判決によって他人の財物や利益などを得る「虚偽訴訟」であるとして、游さんらの請求を棄却した。これは一見よくある詐欺のようだが、手段として悪意を持って裁判所を利用した点が特徴的だ。
日本にもある虚偽訴訟?
上記の事例から分かるように、中国で虚偽訴訟(日本の訴訟詐欺に相当)とは、虚偽の事実や法律関係をでっち上げ、あるいは偽造した証拠を裁判所に提出して虚偽の訴訟を行うことだ。いわば司法という国家権力を利用して自らの目的を不当に実現し、他人の合法的な権利・利益を侵害する行為であり、社会秩序を混乱させ、司法の公平・公正を損なわせるものである。
日本の法学者によると、日本にも虚偽告訴等罪(刑法第172条)という犯罪類型があるが、その事例はあまり多くないようだ。では、なぜ日本は訴訟詐欺が少ないのか。筆者が調べたところでは、件数や発生率は中国より少ないものの類似例はある。
例えば、裁判所から通知が届き無視していたところ、いつの間にか敗訴が確定し支払いを命じられるという「知らぬ間敗訴」というケースが少なからず起きている。昨年には次のような報道もあった。
大分県警は昨年8月25日、国の新型コロナウイルス対策の持続化給付金をだまし取ったとして、詐欺容疑で男(38)を逮捕した。実はこの男、九州の裁判所関係者や詐欺を担当する捜査員の間では、以下のような事件に関連し、知らない者はいないほどの「有名人」だったという。
その事件とはこうだ。複数の飲食店で働いては短期間で辞めた男が、未払い賃金があるとして経営者を相手に提訴する。男は裁判書類が届かないよう、経営者の住所に関して虚偽の報告書を裁判所に提出。経営者は、知らない間に裁判を起こされ、出廷することなく負け、預金が差し押さえられるというものだ。こうした「知らぬ間敗訴」の被害が相次ぎ、この事件に関与の疑いがある男に、捜査関係者も「かなりの法知識を持つ」と舌を巻くほどだった。
このケースからも分かるが、日本でこの手の詐欺が広がらないのは、裁判所をだます相当の法知識が必要で、手間も時間もかかる。しかし、その割に得る物は少なく、むしろ普通に人をだます詐欺の方が手っ取り早く稼げるからだ、と関係者は見ている。
中国の虚偽訴訟事情
一方、中国では虚偽訴訟はさまざまな分野で起こっている。特に多いのは、民間のローンを巡る争いや建物売買を巡る契約トラブル、労働争議、離婚や相続での財産分与などを巡る家庭争議、破産や分割・合併など企業関連の問題などだ。
虚偽訴訟の手口も時代と共に進化しているが、よく見られるのは、不動産の強制執行を回避するために使われる以下の三つのケースだ。▽対象の不動産について所有権を持つという第三者をでっち上げ、異議を申し立てさせて強制執行を妨害する▽自分の不動産の強制執行を回避するため、夫婦が偽の離婚協議書を裁判所に提出する▽離婚訴訟で自らの財産受け取り分を増やすため、または強制執行対象の財産を不法移転するために、第三者とグルになって債権債務関係や代物弁済契約をねつ造する。
虚偽訴訟への法的対応
前述のとおり、虚偽訴訟は法律を利用して法律をおとしめる極めて悪質な行為であり、司法の権威や公平・公正を損ない、中国の法治化実現の大きな障害となっている。このため、国も虚偽訴訟を撲滅すべく一連の対応策を打ち出している。例えば15年11月に施行された『刑法改正案(九)』では、「虚偽訴訟罪」が新たに盛り込まれた。これは民事裁判における虚偽訴訟を対象とする罪名で、虚偽訴訟行為に対する刑事罰を強化している。
また15年6月には、最高人民法院(最高裁に相当)が『虚偽訴訟の予防および制裁に関する指導意見』を公表。さらに18年9月に、最高人民法院と最高人民検察院(最高検察庁に相当)が共同で『虚偽訴訟を扱う刑事事件について法律適用の若干の問題に関する解釈』を発表し、虚偽訴訟に対する立法面での対応をさらに充実させている。特に20年11月9日に最高人民法院が公表した『虚偽訴訟の取り締まり活動の踏み込んだ展開に関する意見』(以下、「意見」)では、各裁判所に対し、虚偽訴訟が頻発している分野の事件を厳しく審査し、虚偽訴訟の取り締まり強化を求めている。
中国で虚偽訴訟がなかなか減らない原因の一つは、その代償が大きくないことだ。一般的に、虚偽訴訟は複数の当事者がグルになっているので違法行為が発覚しにくい。また、たとえ裁判所に虚偽訴訟と見抜かれても、訴えを取り下げれば、責任が追及されない場合もある。中国の民事訴訟法第112条では、虚偽訴訟を行った者について、過料または拘留などの強制措置に処することができると定めているが、実際には、前述の刑法の「虚偽訴訟罪」とならない限り、多額とは言えない過料に処せられるだけで、抑止効果は限定的である。
こうした問題を解決するため、前述の「意見」では、虚偽訴訟行為の情状が悪質である者、重大な被害を引き起こした者、虚偽訴訟に複数回関与した者は厳しく処罰することを求めている。
また近年、一部の地方裁判所では、「虚偽訴訟ブラックリスト制度」が試験的に導入されている。例えば浙江省寧波市の裁判所では、19年から虚偽訴訟に関する「ブラックリスト」と「イエローリスト」を4回公表し、昨年10月下旬までに前者は企業13社と個人252人、後者は企業11社と個人410人を特定。両リストの掲載者には、3年から5年の「信用懲戒」という罰(高価な買い物やサービスの利用が禁止されたり、銀行からの借入が制限されたりする罰)を与える。その結果は上々だったため、「意見」でも積極的に「ブラックリスト制度」を構築するよう求めている。
同様に、検察もさまざまな措置を講じて虚偽訴訟に対する取り締まりを強化している。20年には、中国各地の検察機関が虚偽訴訟事件1万90件(前年比27・9%増)を摘発し、1352人(前年比6・5%増)を起訴したという。
こうして中国では、立法と司法の両面から虚偽訴訟の撲滅に向けた対策が着々と進められている。中国から虚偽訴訟がなくなる日も近づいてきていると言えるだろう。