邢菲=文
「奪い合えば足らぬ、分け合えば余る」。新型コロナウイルス感染症が世界で広まりつつある中、マスクやトイレットペーパーから食料品や銃まで買いだめをする世界各国の人々を見ると、思わずこの一言を思い出す。北京市におよそ10年前から足りない物がある。それは自動車のナンバープレートだ。交通渋滞を解決するために、北京市政府は2011年1月から、ナンバープレートの交付を制限し、希望者に抽選で振り分けることにした。規制が始まってから半年余りの同年7月、権利を得るために奔走する人々を追った。
「お金はあるのに、車を買えないなんて」
「今度当たらなかったら、親戚にも抽選に参加してもらうよ」
「当選して困ったよ。こんなに早く当たるなんてさ」
ナンバープレートの抽選に対して、北京市民からこんな声を聞いた。
10年に北京市で登録された車の台数は480万台で、10年前のおよそ3倍だ。それまでも、市政府は渋滞緩和のためにさまざまな対策を講じていた。ナンバープレートの末尾番号による走行制限。奇数と偶数に分け、走ることのできる日を振り分けたのだ。しかし、車は相変わらず急速に増え続けた。抽選方式によるナンバープレートの所有制限は、最後の方策として行われた。1人につき1枚しか認めず、その売買も禁止した。たとえ中古車の転売でも、ナンバープレートを車両管理所に返却しなければならない。抽選会は毎月1回行われ、倍率は上がり続けていた。
交通渋滞は中国の多くの大都市に共通する悩みだ(cnsphoto)
北京市内の交通渋滞を撮影するために、撮影班は苦労した。朝7時ともなると、主要道路は車で埋め尽くされる。オフィスビルが集中するCBDと呼ばれるエリアの陸橋から撮るために、渋滞が始まる前の早朝にロケ車両で出発した。しかし、それでも目的地に到着するまでに渋滞がすでに始まり、ロケ車は時々止まって、平均速度は20㌔もない。これでは走ったほうが早い。目指した陸橋まで、500㍍の距離を走った。だが、せっかくカメラを立てて撮影するとなっても、満員のバスが通るたびに陸橋自体が揺れてしまい、安定した画面が簡単に撮れない。撮影の初日から、北京の渋滞ぶりを身をもって体験した。実はラッシュアワーに走れる車は皆、北京市内のナンバープレートの車だ。地方ナンバーの車を使うこともできるが、使用時間と走行範囲が制限されている。肝心な朝と夕方の通勤時間に都心部を走ることができない。もし捕まれば、罰金を徴収される。
ナンバープレートの抽選に挑戦中のごく普通の市民家庭を友人に紹介してもらった。劉偉さん(当時48歳)は、1月から夫婦二人で抽選に申し込んでいる。最初は運試しのつもりでいたが、仕事が変わることになり、車が必要となった。ナンバーの取得申請には、免許を持っていなければならない。劉さんは、息子にも抽選会に参加してもらおうと教習所に通わせた。しかし、劉さんと同じ考え方を持つ人が一気に増えてしまい、北京の教習所はどこもすぐに予約すら取れない。まだ当たっていないが、せっかちな劉さん一家はすでに販売店を見て回っている。抽選中だと知ると、店員がその場で熱意を失うことを劉さんは嘆いた。
現在、中国では北京や上海、広州、貴陽、石家荘、天津、杭州、深圳の8都市で自動車の購入制限が実施されている。多くの市民が購入制限実施前に駆け込みでナンバープレートを取得した(新華社)
ところが、抽選に当たったことで困る人もいる。規定では、当選から6カ月目の抽選会までに車を買わなければ、ナンバー取得権は無効になる(当時の規定)。7回目の抽選会がもうすぐやってくる週末に、中古車市場に1回目の抽選で当たった人たちが現れた。ある若いカップルは、近々結婚する予定で、子どもが生まれたら必要になると彼女が申請した。まさかの一発で当たった。「結婚も子どももできないうちに、車の権利が先に当たってしまった。ナンバーのためだから、安いものを買おうかな。2度目はないかもしれない」と彼女は言った。そもそも物が足りない中で、奪い合いによって状況がさらに深刻になってしまっていることを実感した。
杭州市で行われたナンバープレートの抽選式(cnsphoto)
いつ当たるかと悩む人のほか、当たるチャンスさえない人たちもいる。抽選に参加するためには、いくつかの条件がある。免許を取得し、車を1台も持っていないこと。それに、北京の戸籍を持つかそれと同等の資格を持つ者。地方出身者の場合は、5年以上継続して税金を納めていなければいけない。唯一抽選に参加せず、合法的に北京のナンバーを手に入れる方法がある。抵当として押収された車の競売に参加するのだ。これだけはナンバープレート付きでも売買することが許される。しかし、その台数は少ない。
競売に参加するある男性は、地方から出てきて北京で会社を立ち上げたばかりだ。「数年間は抽選に参加する資格さえない。たとえ参加できたとしても、当選するまで待っている余裕はない」という。彼が落とそうとしていたのは、車体はボロボロで走行距離10万㌔以上の物だ。それでも、付けられた値段はおよそ9万円。「この車を落としてすぐに廃棄する。新車にナンバーを付けるんだ。地方から来た者にはこの方法しかないのさ」。しかし、落札価格はなんと150万円だった。競売場を出る男性の後ろ姿を見て、彼の会社が北京でうまくやっていけるかと心配になってしまった。
7回目の抽選を間近に控える劉さん夫婦。倍率はおよそ35倍になった。確かに奥さんの名前で当選していると確認ができた劉さんは、興奮のあまり、思わず「君と結婚してよかったよ」と口にした。うれしいのは分かるが、ちょっと言い過ぎではないかとこっそり思った。日本人の視聴者が見たら、どう思うかと少し不安になった。
抽選に翻弄される人々の事情を生き生きと取材できたようで、台本を打ち合わせしたとき、日本人のプロデューサーたちが面白いと何度も言いながら大笑いした。それで自尊心が大きく傷つけられた私は、打ち合わせ室を出てすぐ会社のプロデューサーに抗議した。日本では考えられない事情かもしれないが、私は中国人の「おかしい」一面を日本人に笑われるために日本で働いているわけではないと強く訴えた。プロデューサーはそんなつもりはなかったと、その日のうちに私に謝った。今考えると、当時はちょっと反応し過ぎたと思う。自分でも心から改善すべきことだと思っていても、人には笑われたくないという羞恥心による反応だったと思う。
19年に北京市で登録された車は、およそ593万台だ。抽選会は2カ月に1回行われ、倍率は2000倍を超えている。いつか公共交通機関の建設などによって、ラッシュアワーの交通渋滞が解決できて初めて、車の購入制限が解禁されるだろうと思う。分け合っても必ず余る保証はないが、奪い合えば必ず足りなくなる。それは、新型コロナウイルス感染症が広まる今も通用することではないだろうか。
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