象のレストラン

2020-06-23 17:11:24

邢菲=文

 新型コロナウイルス感染症のまん延で、人間が引きこもり生活を始めると同時に、動物が人間の生活エリアに入り、のんびりしているというニュースが相次いだ。人間と動物の共存は昔からの課題だが、今また改めて考える必要があるようだ。以前、中国・雲南省シーサンパンナ・ダイ(傣)族自治州に暮らす住民と野生のアジア象の攻防を取材したことを思い出す。

 「物音がして、振り向いたときにはもう象がいた。逃げようとしたけど、恐怖で気を失ってしまった。当時は本当に憎かった。殺してやりたかった」

 こんな怖い経験を語ってくれたのは、シーサンパンナ・ダイ族自治州に暮らす農民の女性だった。彼女が襲われたのは、トウモロコシの収獲が始まった8月のことだった。突然現れた象に鼻で木にたたきつけられ、あばら骨を8本折る大けがをした。けがが治るまで2年。治療費のために、20万円ほどの借金をした。彼女の家の年収2年分に相当する。

 

2008年11月に設立された中国雲南アジア象種源繁殖・救助センターは、シーサンパンナの森で困難に陥った野生の象を保護している(新華社)

 「犯人」の象は、野生のアジア象だった。シーサンパンナ・ダイ族自治州は中国の南西部に位置し、ラオスとミャンマーに接している。仏教徒であるダイ族は、昔から象を神聖な動物とし、共に生きてきた。しかし、密猟により、野生のアジア象の生息数は5万頭以下に減ったと推測され、IUCN(国際自然保護連合)の絶滅危惧種に指定されている。

 中国では、1980年代から保護活動が続けられている。現在、野生の象が生息するのは、熱帯雨林に設けられた三つの自然保護区だ。自然保護区の中には、昔から暮らす人々の集落や耕作地が点在している。20年ほど前から、野生の象が耕作地に入り込み、農作物を食い荒らすようになった。畑で収獲中の老人が象に踏まれて死亡する事故も起きた。

 野生の象を保護しながら、住民とのトラブルを避けるために、地元政府が特別な対策を講じている。それを聞いた撮影班は2010年の夏、シーサンパンナ・ダイ族自治州に入った。万が一、象と行き会ったら、急いで木に登るように、と自然保護区管理官の李中員さんに教えられた。李中員さんは16年前から野生の象の保護に携わっているベテランだ。作物が実る7~8月、彼と仲間たちは森林のパトロールを強化する。森に暮らすアジア象は、茂る木にさえぎられ、上空から確認できないため、残された足跡が唯一の手掛かりだという。

 「爪の向きを見れば、向かっている先が分かる。象は動きが遅そうに見えるが、走るスピードは意外と速い。象の足跡を調べることで、通った時間や群れの頭数などが分かる」。李中員さんたちが経度や緯度を記録し、象の行き先を予想して村人に警告を出す。この日見つかったのは、小象を含む8頭の足跡だった。

 パトロールから帰って来る途中、象が現れたとの連絡が李中員さんのところに入った。被害を受けた村では、山の斜面にトウモロコシを植え、平地に水田を作っている。7月に入ってから、幾度となく象が来たという。象の足跡は、水田を踏みつぶし、トウモロコシ畑へと向かっていた。トウモロコシは全滅だった。

 村人は爆竹や電気フェンスを使い、象を傷つけず追い払おうとしたが、効果がなかった。地元政府は被害に対し、市場価格の5分の1を援助金として出した。「皆不満だ。それでも象を保護するしかない。援助金を市場価格と同じにしてほしい。息子は皆出稼ぎに行っている。こんなに作物を食い荒らされては、食べていけない」と被害を受けた村人は訴えた。このような被害が起こるたびに、李中員さんは、象を攻撃しないようにと農民たちに言って回る。

 そもそも野生の象は、なぜ農作物を食い荒らすようになったのか。象の習性を研究する羅愛東さんは、象が頻繁に現れるようになったのは、生息地が狭くなったこと以外にも理由があると分析する。「人口が増えて、象の生息地に田畑を作るようになった。最初は偶然その作物を食べたのでしょう。稲やトウモロコシは草より栄養価が高く、少し食べただけで十分にエネルギーを取ることができる。毎年食べているうちに、象の食性が変わってしまったのです」

 試行錯誤の末、自然保護区管理局は、保護区の中に象が自由に食べることができる専用の畑5カ所を作り、芭蕉やトウモロコシなど象が好きなものを植えた。この場所は「象のレストラン」と村人に呼ばれている。撮影班は保護区管理局が1カ月前に撮影した映像を入手した。映像では、象のレストランに、4頭の小象を引き連れた12頭の群れが訪れていた。象たちは13日間この場所にとどまり、6万平方㍍に植えられたトウモロコシと芭蕉を食べ尽した。野生の象を飼いならすつもりかと関係者に聞くと、「象のレストランの目的は餌付けではない。少しずつ植える作物を変えて、本来の食性に戻す計画だ」という。

 野生の象は実に臆病な動物で、昼間に人間のエリアに入ることはほとんどない。かつて英国のカメラマンが1カ月間滞在したが、一度もその姿を撮れなかったそうだ。予算的に10日間しか与えられなかった撮影班は、自分たちのカメラで撮影ができるようにと初日から祈るばかりだった。そんな中、ある施設に行ってみることを勧められた。

 その施設に入ってみると、ロープウエー、歩道橋、歩道などがあちこちに設けられていた。そこは保護区の中にある野生の象を観察できる「野象谷」と呼ばれるテーマパークだった。年間100万人が訪れ、ロープウエーなどさまざまな角度から象を観察できるようになっている。しかし、臆病な象が観光客がいる間に姿を見せることはほとんどない。観光客を楽しませるため、タイで芸を仕込まれた象が1日3回のショーをこなす。

 

村人が「象のレストラン」と呼ばれる場所に象の好物を植えている(写真提供・邢菲)

 野象谷で働くのは近隣の村人600人ほどだ。この施設ができたおかげで、出稼ぎをしなくても暮らせるようになった。中には、象の被害に遭い、農家を辞めて就職した人もいる。職員の李付明さんの仕事は、やって来る象をいち早く見つけ、観光客を安全な場所へ誘導することだ。そして、象がテーマパークに来るように、川沿いの砂に象の好物の塩を埋める。象は匂いで塩のある場所が分かるという。

 撮影班は夜のテーマパークに入園することを禁止された。夜勤に行く李付明さんに夜間でも撮影できるカメラを1台渡した。塩を埋めた日の夜10時に、12頭の野生の象の群れが来た。足で砂を掘り、塩を上手に溶かしながら鼻で口に運ぶ。水辺で8時間過ごし、朝日が上る6時前に、再び森へと戻っていった。観光客がやって来たのは、その2時間後だった。

 

管理局から提供された、象の群れが「象のレストラン」で作物を食べている映像(写真提供・邢菲)

 貴重な映像を撮ってくれた李付明さんに人間と象の関係と聞くと、「この施設があるからこそ、仕事もできる。村人が農業をせずに暮らせるなら、人間と象のトラブルは減るはずだ。人間と象は共存できるはずだ」という。同じ質問に対して、パトロール隊の李中員さんは、「アジア象は私たちだけでなく、世界の財産だ。全ての人たちに人間と象のトラブルを考えてほしい」と答えた。

 共存という課題に対して、撮影班が簡単に解決策を考え出し、「象のレストラン」の良し悪しをコメントすることはできないと思う。人間と象だけでなく、ウイルスも含めて、今は人間と全ての生き物との関係を考える時期だ。

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