優しかった孫平化氏

2023-07-12 11:34:00

藤田基彦=文・写真提供

孫平化氏は、中日友好協会第3代会長で、長きにわたり日中交流に取り組んでいた。孫氏は周恩来総理の指示を受け1972年7月、上海舞劇団団長として来日。当時の田中角栄首相、大平正芳外相との会談(8月15日)で、周恩来総理からの招待を伝え、田中首相の受諾の回答を得るなど、日中国交正常化の実現に尽力された。92年には日本政府から勲一等瑞宝章を授与された。 

そんな孫氏の小涌園における初めての宿泊は、国交正常化前の61年12月だった。その時は、中国人民対外文化協会(現中国人民対外友好協会)の楚図南会長が率いる中国文化友好代表団の秘書長として来日した。 

私が初めて迎えたのは、国交正常化後の74年10月の中国友好訪問団で、名前は存じ上げていたが、多数の国会議員が面会に来ていたので雲の上の人だと感じた。その後、孫氏は何度も来園され、調理師の交流をお願いしたりするなど、親しく話をするようになった。 

78年1月、私は中国担当の村川登と二人で東京の中国大使館に新年のあいさつに行った。一等秘書の金蘇城氏との話の中で「中国と調理師の交流をしませんか」と提案された。後日、上司と相談し、「やってみましょう」ということになり、日中友好協会の本部を通し、当時、中日友好協会の秘書長を務めていた孫平化氏にお願いすることになった。 

その後、同年6月に依頼書を提出した。しかし連絡がなかったので、翌79年3月に再提出した。同年4月には、全国人民代表大会の訪日代表団(鄧穎超団長)が来園。孫氏も同行して来たので、「ホテル調理師交流の件、よろしくお願いします」と上司の支配人からお願いした。同年7月には、私が「北京放送を聞く会友好訪中団」で訪中した。北京滞在中の同月17日午後4時頃、私たち一行がホテル北京飯店1階のラウンジで休憩していたところ、孫氏がホテルに入ってきた。 

私は偶然にびっくりし、近寄ってあいさつすると、孫氏は「あなたから頼まれています調理師の交流はちゃんとやりますので、もう少しお待ちください」とおっしゃった。 

その後、同年9月30日に江蘇省経済友好代表団の一行が来園。副秘書長の汪良・江蘇省革命委員会外事弁公室主任から、後で部屋に来てほしいと言われた。部屋に伺うと、なんと孫平化氏自筆の紹介状を見せられ、「私たち江蘇省は、藤田観光の皆さまと調理師の交流をすることになりましたので、よろしく」とあいさつされた。 

そして同年12月19日、「江蘇省調理師友好代表団」の一行を迎えた。当初は11月に来日する予定だったが、ビザ発給などの遅れもあり、年末になった。 

それから2年後、北京を訪れたとき、中国国際旅行社総社の李豪哲氏から、一昨年の調理師代表の訪日について意外な説明を受けた。「あのとき、中央を通さずに交流の話が進んでいたので、いったん訪日の許可はしないことになりました。しかし、ここまで来て中止にすると、準備万端整えている日本の友人に迷惑がかかることになるという意見があり、今回は特別に許可しましょうとなったのです」。これを聞き、ようやく代表団の来日が遅れた理由がわかった。私は「中国の方は優しい」と感激した。 

その後、時は流れて88年3月19日、安藤彦太郎日中学院院長の案内で、孫平化氏が来園。昼食の際、安藤先生の希望で私も同席した。しかし、私一人だけ中国語ができないのを気遣い、お二人とも日本語で会話されたのには恐縮し、大変ありがたいと思った。 

孫氏から帰国前に次の揮毫をいただいた。 

良店千年不変客 

一九八八年同安藤彦太郎岸陽子伉儷一家重遊箱根宿小涌園有感 

孫平化三月十九日 

(訳)良い店は万年を経ても客足が途絶えない 

1988年安藤彦太郎・岸陽子ご夫妻一家と再び箱根に遊び、小涌園に宿泊して、感慨を記す。 

孫氏はユーモアのある人柄で大変優しかった。何度も会っているうちに、親近感が湧いてきたのを覚えている。 

孫氏は89年1月13日、昼食で再び来園された。レストランで私と蛯名峻中国料理長に、「私の古里では良質のカニが取れます。10月には脚を縛って上海経由で輸出しています。ぜひ使ってみてください」と上機嫌で話された。蛯名料理長が詳しく聞くと、薬膳料理も中国料理のメニューに入れると良いと言われ、クコの実や生薬のキバナオウギ(黄芪)を紹介された。話題は中国の精進料理や人民大会堂の食事などに及び、話は尽きなかった。 

79年に孫氏が秘書長を務めた鄧穎超全人代副委員長一行が当園に宿泊されてから13年後、鄧副委員長の警護責任者だった髙振普氏を団長とする訪日団一行が92年9月21日、当園に来られた。団員の中日友好協会の呉瑞鈞女史から、「孫平化先生からあなたにお渡しするようにと言われ、持って来ました」と鄧穎超女史の写真集を渡された。 

贈藤田基彦先生 

中日友好協会代表団孫平化 

一九八九年一月一三日 

於箱根小涌園 

そこには孫氏の揮毫が入っており、本当にまさかのサプライズだった。また、呉女史が全378㌻の重い本をわざわざ北京から持参していただいたのにも感激し、恐縮した。 

その後も、安藤彦太郎先生、岸陽子先生ご夫妻との縁で、孫氏の娘さんの孫暁燕女史や息子さんの孫小力氏と交流が続いている。 


孫平化氏(前列右から3人目)と筆者(後列右端)ら(1988年3月19日、箱根ホテル小涌園で) 

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