忘れ得ぬ廖承志夫妻

2023-11-30 18:37:00

藤田基彦=文・写真提供

箱根ホテル小涌園は1973年5月6日、日中国交正常化後で初めてとなる中国政府派遣の代表団――中日友好協会訪日代表団(団長・廖承志同協会会長)の一行を迎えた。 

日中交流の歴史を振り返ると、廖承志氏の名前はしばしば登場する。廖氏は日中友好に生涯をささげ、83年6月に亡くなられた。 

廖氏は54年10月、李徳全・中国紅十字会会長と共に中国紅十字会代表団を率いて訪日した。それは新中国成立後に最初に派遣された訪日代表団で、両国の民間交流の扉を開いた。62年11月に、廖氏と高碕達之助氏が、あの有名な『日中長期総合貿易に関する覚書』(通称LT協定)に調印。64年4月には両国の貿易事務所の設置と常駐記者の交換に関する覚書が調印され、日中関係は新しい発展段階に入った。 

その後、国交正常化のために田中角栄首相が72年9月25日から中国を訪問した際、廖氏は病気であったにもかかわらず、その会談の全過程に参加した。同29日、『日中共同声明』が調印され、両国の国交正常化が実現した。その裏には廖氏の多大な貢献があった。そんな尊敬する方を間近に見るのは、まるで夢のようだった。 

代表団一行を迎えるに際しては万全を尽くした。ホテルの玄関には「熱烈歓迎中日友好協会訪日代表団」の紙横断幕を設置した。生水は飲まないと聞いていたので、客室にはポットを二つ置き、それぞれに「熱水(お湯)」と「凉開水(湯冷まし)」の紙を貼った。お茶は中国と日本の茶葉を用意した。また、刺身・生魚は食べないと聞いたので、夕食には焼き魚や鍋物、天ぷら、茶碗蒸しなどの温かいものを用意した。 

五月晴れで大にぎわいした連休明けの6日夕、日中友好促進のために各地を訪問していた中日友好協会の代表団一行は、小涌園に到着した。大勢の従業員が日本と中国の手旗を振って出迎えた。一行は笑顔一色で、不安を感じていた抗日戦争の影は少しも見受けられず、中国人の寛大さ偉大さを実感した。また、私のぎこちなさを払拭する笑顔と礼儀正しさ、その悠然とした態度にホテル側も初対面であることを忘れて感服した。 

2泊して8日朝に出立するときには、ホテルの従業員、特に客室担当者やレストランの給仕係の好感を不動のものにしていた。一番気が付いたのは、こちらの配慮の一つ一つに実に的確に応えられるということだ。例えば6日夜に、翌日の箱根観光の参考にと箱根の写真入りガイドブックを一行全員に渡したところ、夜9時頃だったにもかかわらず、「これから皆で学習します」と言ってくれた。 

夫人の経普椿さんの揮毫(1989年)

一行に接して、われわれも中国により親しみを持つようになった。また、『日中共同声明』の中に書かれた「(前略)日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である(後略)」ということを実感し、両国間のこのような民間交流が盛んになれば、日中のさらなる友好にもつながると思うようになった。 

宿泊時に廖氏から揮毫をいただいた。「箱根風景确無雙」(箱根の風景は比べようもなく素晴らしい)。今でも光栄に思う。 

それから16年後、すでに廖氏は亡くなっていたが、夫人で中国人民政治協商会議全国委員会の委員を務める経普椿さんが、廖承志像除幕式訪日団の団長として89年9月に来日。東京の日中友好会館で行われた銅像除幕式の翌日の26日、当ホテルに宿泊された。 

廖氏夫妻が最初の宿泊時に出した、廖氏の好物の献立「納豆、トロの刺身、イワシの丸干し」などを再現して朝食時に提供すると、経さんは大変懐かしがられ、ご長男と共に大いに喜ばれた。 

この除幕式の記念品『写真集廖承志の生涯』に、73年5月の宿泊時にご夫妻と廖氏の着物姿の写真が掲載されていた。御礼を申し上げたところ、経さんから「二遊箱根終生難忘(再び箱根に遊ぶ。終生忘れがたい思い出である)」という揮毫をいただいた。本当にありがたく思っている。小生にとっても、2回もの来館は一生忘れ得ぬ貴重な思い出である。 

藤田基彦(ふじたもとひこ) 

1969年4月藤田観光入社、箱根ホテル小涌園に配属、ベルボーイからスタートして同園支配人に。その後、フォーシーズンズホテル椿山荘東京や藤田観光常勤監査役、同西日本営業本部長兼中国担当本部長などを歴任、2015年3月同社を退社。1970年代初めから約半世紀にわたり中国事業を担当。現在も日中間の交流事業に携わる。 

1961年から半世紀にわたり、箱根ホテル小涌園が迎えた中国各界の賓客・代表団は、多くの貴重な書を残した。芳名録の数は50冊に達した。 

半世紀にわたる中国各界代表団の真筆のには、個人的心情や物語、即興詩、古典の引用などがあり、揮毫の書体も真書・草書・隷書・篆書とさまざまだ。また歴史的価値と芸術的価値がある上に、両国各界の先輩たちの困難を恐れず友好親善関係を発展させた信念と、両国友好のために払ったたゆまぬ努力が強く感じられる。この連載を通して、今を生きる両国の人々に友好交流の記録を読み取っていただくとともに、相互理解が深まり、日中の良好な関係発展に寄与することを願う。

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