人間国宝・野村万作と中国
2018-07-30 16:38:55
劉徳有=文
朝起きてテレビをつけたら、NHKの番組「おはよう日本」に、いきなり野村万作先生と昆劇の女優張継青さんのコラボレーション『秋江』の画面が飛び込んできて、ビックリした。
1998年12月7日のことだった。所用で東京に行っており、後楽園近辺の日中友好会館の一室に泊まっていて、思いがけなくもテレビを通じて狂言と昆劇の初めての合作を知り、うれしく思った。これは、 二つの異なる芸術の形態と言語の完全な融合であった。――片や恋人に一刻も早く追い付こうと焦る妙齢の尼さん、片や冗談好きで、わざと尼さんをじらす善良な渡し舟の船頭さん。せりふは、尼さんが中国語、船頭さんが日本語だったが、間の取り方がよく、呼吸が合っていて、違和感を感じさせなかった。『秋江』の合作の話になると、野村先生はいつも目を輝かせるのだった。北京でたまたま張継青さんに会ったとき、張さんも野村先生との合作を回顧しながら、とても懐かしんでおられた。
狂言と昆劇はともに600年ほどの歴史を持っており、2001年にユネスコによって「世界無形文化遺産」に指定されている。
その狂言だが、私が最初に接触したのは戦前、大連の小学校4年生のときだった。普通では考えられないことだが、物好きな担任の先生が「今度の学芸会では、面白いものをやってみよう」と言って、4年生の僕らに狂言『萩大名』を演じさせた。無風流で極端に物覚えの悪い大名の失態を風刺した狂言で、振り当てられた役は大名でも太郎冠者でもなく、庭の主だった。リハーサルには苦労したが、本番は思ったよりよくでき、うれしかった。また、当時「古典演劇」という難しい言葉は知らなかったが、日本にこんな形の面白い芝居があるということを知り、さらには「三十一文字」という言葉と読み方もそのとき初めて教わった。
02年の春、東京椿山荘のフォーシーズンズホテルだったと記憶しているが、舞踊家の花柳千代先生の肝いりでセットされた会合で野村万作先生にお目にかかった折、この話をすると、ビックリされたのを覚えている。『萩大名』に出てくる和歌を思い出しながら、「七重八重九重とこそ思いしに」まで暗誦すると、その後に続く「十重咲き出づる萩の花かな」と補ってくださった。
『萩大名』は、野村万作先生が「人間国宝」の認定を受けられた07年に選出された18作品「万作・狂言十八選」の中の一番で、日本全国で公演されたとのことだが、残念ながら野村万作先生の演じられる『萩大名』を拝見する機会にはまだ恵まれていない。現代随一の狂言師の誉れに輝く大家の演じる本場の『萩大名』をぜひ拝見したいものだ。
だが、幸運にも「十八選」中の『二人袴』と『棒縛』の二番だけは北京で鑑賞するチャンスに恵まれた。『二人袴』は、01年5月に花柳千代氏が企画された「日本伝統芸術代表団」の訪中の際、北京で万作、萬斎の名コンビによって演じられた。1枚の袴を婿と父親の親子が交代ではき替え、舅の前へ出てあいさつするうち、「両人ご一緒に」と誘われ、やむを得ず1枚の袴を二つに分けてその場を繕うのだが、舅に祝いの舞を所望されてついに馬脚を現すという筋書きで、親子2人の感情がそれぞれ細やかに、しかも温かく観客席に伝わり、見えっ張りで体裁を重んじる心理状態が見事に表現され、風刺が効いていて面白かった。このような名コンビを中国語で「珠聯璧合」というが、「真珠に連なる美玉」の意味で、まさにピッタリの表現であるといえよう。
一方『棒縛』は、04年6月3日の夜、北京の東の一角・菖蒲河公園内にある伝統的様式の「東苑戯楼」で、「狂言・語り・生け花の宴」と銘打ったコラボレーション(川村耕太郎氏企画)の中で拝見することができた。野村万作先生は主人役。外出中に大事な酒を盗まれないようにと、太郎冠者と次郎冠者を縛り上げるが、棒に縛られてもなお協力して主人の酒を盗む太郎冠者と次郎冠者や、2人を置き去りにして満足げに出て行き、帰宅して怒り心頭に発した主人の表情と動きだけで、日本語の分からない中国の観客の爆笑を誘ったものだった。
狂言は、庶民の芸術であるとともに、ある意味では笑いを誘う芸術であるといえるかもしれない。これは、中国の伝統的な風刺劇と相通じるものがある。また、謡(歌)あり、舞あり、しぐさあり、せりふありという点でも共通しているといえよう。野村万作先生のお話では、ご尊父の人間国宝・6世野村万蔵は常々「狂言は動きよりせりふだ」と言われたそうだが、中国の戯曲界にも「千斤話白、四両唱」(せりふは千斤、唱は四十匁)という言葉があるが、全く同じ精神である。
常に芸術に忠実であり、伝統を重んじるとともに創意性に富み、個性があり、リズムがある――これが知的完成度と芸術的香りに満ちた芸風で他の追随を許さない野村万作先生の舞台の特質ではなかろうか。野村万作先生が人間国宝に認定されたとき、「緻密な演技の中に深い情感を表現し、舞台は軽妙洒脱で品格がある」という評価がなされたが、そのものズバリといえよう。
09年5月15日、野村万作先生は北京で「文化芸術のアカデミー」といわれる中国芸術研究院から「名誉教授」の称号を与えられたが、11年6月15日、先生は中国芸術研究院で、『わたしの歩んだ狂言の道』と題して講演を行い、その日の出席者――中国演劇界の有名人や研究院戯曲学部の学生たちに大きな感銘を与えた。続いて、お弟子さんによる、狂言の決まりや型について実演を交えての説明があったが、とても分かりやすく、出席者に大いに喜ばれた。この日は、野村万作先生と2人のお弟子さんによる狂言『蝸牛』の舞台が特に光っていた。この出し物は、カタツムリと山伏の連想の奇抜さと、囃子物にのせられる面白さが眼目だが、お弟子さんが前もって囃子物の指導を行ったため、観衆による囃子物の唱和は、その日の舞台をいやが上にも盛り上げた。
狂言の度重なる中国公演が日本の伝統芸能に対する中国の人々の理解を深めたばかりでなく、中日友好と文化交流の促進にも大いに寄与したことは言うまでもない。
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