張掖 砂漠・湿地・雪山隣り合う 東西結ぶ絹の道に輝く真珠

2023-04-20 10:21:00

蔡夢瑶=文

李昀=イラスト

vcg=写真

中国の西北地域といえば、唐代の詩人王維の「大漠孤煙直、長河落日圓(大砂漠に真っすぐに立ちのぼる一筋の煙、大河に円い太陽が落ちていく)」という詩句が連想される。そんな西北部に、広大な砂漠以外にも、真っ白な雪山、不思議な丹霞地形、葦が生い茂る美しい湿地帯を併せ持つ都市がある。河西回廊に位置するシルクロードの古都張掖だ。 

甘粛省西部に位置する張掖市の南には、延々と続く祁連山脈がある。山頂には一年中雪が積もり、春には雪解け水が黒河に流れ込み、市内を通り、千里に及ぶ肥沃な土地をかんがいし、江南(長江以南)の水郷のような雰囲気を醸し出す。そのため、よく「祁連山頂の雪を見なければ、張掖を江南と見間違う」と言われている。 

「辺境の江南」と呼ばれている張掖は、その独特な地理的位置と美しい自然風景に加え、長い歴史に残された無数の貴重な人文景観を持っている。今日、張掖はよく「町の半分は葦で、半分は塔」と形容されている。 

「町の半分は葦」とは、張掖の独特な湿地景観のことを指している。 

 

葦の生い茂る湿地景観 

この地を流れる中国第2の内陸河川黒河は、およそ380万ムー(1ムーは約0067)のさまざまな湿地を育んできた。毎年秋になると、湿地に生える金色の葦が海のように広がり、張掖の独特な風物詩となる。張掖の黒河湿地は水生植物資源が豊富で、野鳥が繁殖するための独特な条件を備えている。毎年冬から春にかけて、渡り鳥がこの楽園を目指して南方から旅立つ。 

西北部の乾燥した砂漠地帯にある張掖は、河西回廊最大のオアシスで、北側にはバタンギリン砂漠がある。砂漠の侵食が進む中、張掖のオアシスを守ることが一層重要となっている。黒河湿地は、水源涵養、気候調節、水質浄化、飛砂防止、生物多様性保全など、さまざまな生態系機能を果たしており、砂嵐の被害を緩和し、祁連山水域の環境安全性を守る天然の障壁となっている。しかし同時に、この地域の生態系は極めて脆弱である。 

1980~90年代、都市開発に伴い、黒河湿地の生態系は一時期破壊された。川底から石や砂が採掘されたり、川岸に工場が建てられたりして、湿地は侵食され、かつての澄んだ水と緑の風景は灰色のコンクリートに変わり、鳥や昆虫は生息地を失った。 

1992年、甘粛省林業局は「高台県黒河流域自然保護区」を設立した。過去数十年間、同地は10億元以上を費やし、湿地の整備、河川のしゅんせつ、植物の補植、巡回路や公園の建設など、全市を挙げて黒河湿地の生態環境の改善に取り組んだ。 

生態環境の回復に伴い、湿地は次第に再び生命力を取り戻した。現在、この総面積25の広大な湿地には、1万以上の人工湿地があり、「都市の肺」「生物のスーパーマーケット」「自然のジーンバンク」と呼ばれている。大量の渡り鳥が生息や繁殖のためにここに戻ってくる。モニタリングデータによると、毎年1825万羽の水鳥が張掖の湿地に集まって休息しているという。 

湿地公園の遊歩道を散策していると、サワサワと風が葦を揺らす音が聴こえてくる。時折、白鳥が水中に潜り、くちばしで銀色の魚を捕まえる。ガンが列になって空低く飛び、その高い鳴き声は金の葦の海に消えていく。頭部が緑色のカモが数羽、小さな湖の水面で頭を動かし、遠くで朝の体操をしている人間を観察する……。ここでは風の音、水の音、鳥のさえずり、人間の足音が一つになり、人と自然による調和共生のソナタが奏でられている。 


張掖市高台県に飛来し、黒河湿地で餌を捕ったり、たわむれたりしている渡り鳥たち

 

寺院や旧跡が建ち並ぶ古城 

「町の半分は葦」というロマンチックな風景に加え、数千年の歴史がこの古い都市にさらに「町の半分は塔」といわれるほどの名所旧跡を残した。 

元代、中国にやって来たマルコポーロ(1254~1324年)は、張掖で1年過ごした。その間、彼は現地の文化や風土について詳しく調べ、後世に影響を与えた『東方見聞録』に張掖の「大仏寺」について記した。 

張掖古城の南に位置する大仏寺は、西夏永安元(1098)年に建立され、その後、何度も改修されてきた。代々王室の廟として、西夏、元、明、清の王室と密接な関係を持ち、典型的な宮殿建築の様式を備えている。中でも有名なのは、身長34、肩幅7の巨大な寝釈迦像だ。これは中国最大の室内寝釈迦像で、指の上に大人1人が横たわることができる。全身には彩色上絵が施され、顔には金箔が貼られ、目は半分開き、穏やかな表情をしている。後ろには10人の弟子がいる。 

張掖大仏寺には、次のような伝説がある。 

昔、張掖にやって来た旅の僧侶が座禅を組んでいると、突然、目の前に光が現れ、かすかに読経の声が聞こえてきた。その光と音をたどると、現在の仏像が安置されている場所に着いた。地面を掘って、精巧な玉製の寝釈迦像を発見した僧侶は、この奇妙な発見を周囲に伝えた。これを聞いた西夏の貴族や僧侶、信者が次々と参拝に訪れ、さらに資金や資材を寄付して壮大な寺院を建て、本堂に大きな寝釈迦像を作ったという。 

唐の時代から、仏教伝来の道にある張掖には寺院が多く建てられてきた。巨大な寝釈迦像のある大仏寺以外にも、絶壁に造られた馬蹄寺石窟群、貴重な西夏壁画を保存している文殊山石窟群などがある。何世紀にもわたって、東西の僧侶や学者がシルクロードを通って仏教文化をここに伝えたことにより、東西の異なる文化芸術が混ざり合い、現地の石窟壁画や彫像の芸術様式に影響を与えた。そしてそれは、この古い町に独特な宗教的色彩を添えることにもなった。 

 

大地にこぼれた絵の具 

上空から張掖を眺めると、真っ白な雪山と黄色いゴビ砂漠、金色の葦の間に、ひときわ目を引くカラフルな色彩がある。そこは七彩丹霞観光エリアという。 

初めて七彩丹霞を見た観光客はよく、「まるで神様が絵の具をこぼしたようだ」と感嘆する。赤紫色、灰緑色、黄緑色、灰黒色などがバランスよく分布し、さまざまな形の丘を形成している。夕日に照らされると、色鮮やかな丘は、赤いベールに包まれ、大地が燃え盛るように輝く。 

この自然の造形物は、主に赤砂岩が長年風化によって削られ、流水によって浸食され、形成されたものだ。何百万年もの間、太陽や風、雨にさらされ、ようやく最も美しい姿となって世に姿を現した。 

張掖の色とりどりの地形と豊かな自然資源は、この町の最も印象的な「名刺」の一つとなって、世界中の観光客を引き付けている。また、無数の文化的景観や文化財旧跡も、張掖に歴史的な価値を与えている。数千年の歴史は、張掖に多くの物語を残し、現代の人々の来訪を待っている。


張掖の七彩丹霞

  

シルクロードの真珠 

張掖は古くは甘州と呼ばれた。前漢の時代、武帝(在位紀元前141~前87年)は霍去病大将軍を辺境に派遣し、河西回廊を奪還。その後、武威、張掖、酒泉、敦煌の4郡を設置して西域への通路を守った。張掖の郡名は、「国の臂掖(脇の下)を張り、もって西域に通ず」という言葉から取られたもので、武帝は張掖を帝国の脇の下と見なし、ここから中原の文明を西方へ伝達しようと考えていた。 

以来、古都長安を起点に、ローマに至る全長6440のシルクロードが開かれ、東西文明交流の一大経路となった。儒教、仏教、音楽、舞踊など、さまざまな文化がこの地に根付いた。古城張掖はシルクロードの「真珠」となり、歴史の中で輝き、それ以降「金張掖(黄金の張掖)」という美称が語り継がれてきた。 

数千年の歴史の中で、多くの有名人が張掖に足跡を刻んだ。張騫は2回もここを経由して西域諸国を訪問した。玄奘法師も天竺(インド)への旅の途中、張掖に立ち寄ったという。また、隋の煬帝は西へ巡遊する際、張掖で27カ国の使節と会見し、盛大な万国博覧会を開催したと言われている。唐の時代、河西回廊の貿易が最盛期を迎えるにつれ、張掖はその重要な地となった。 

シルクロードの繁栄とともに、世界各地の作物が張掖に持ち込まれた。西域の小麦やトウモロコシばかりでなく、江南特有の稲米などもあった。祁連山脈の雪解け水によるかんがいと平坦な地形がこれらの作物の生育に最適な自然条件となった。そのため、張掖は古くから「西北の穀倉」「魚米の郷」と呼ばれている。 

漢の時代、霍去病は張掖の山丹県に王室専用の馬場を設け、西域から上質な馬と良質の飼料を持ち込み、優秀な騎馬軍団の育成を図り、漢の勃興のための強固な軍事基盤を築いた。山丹軍馬場は現在、同地の有名な景勝地となり、多くの中国映画やテレビドラマの舞台となっている。 

 

「一帯一路」の「金張掖」 

大きな汽笛の音が2回鳴り、1300の輸入大麦を積んだカザフスタンからの国際貨物列車が張掖捷安物流園に到着した。その一方、張掖の新鮮な野菜や果物も続々と「一帯一路」沿線の都市に運ばれている。 

古代シルクロードの北、南、中央3ルートの交差点だった張掖は、現代でも交通の要衝として重要な役割を担っている。今日でも、張掖は中国の重要な商品穀物の拠点であり、果物野菜生産の拠点だ。「一帯一路」建設に寄与するために、張掖はここ数年、有機生産拠点づくりやゴビ砂漠農業の発展などを通じ、政策と市場の力を借りて、高品質の農産物と先進的な農業技術、設備、人材の輸出輸入を促している。張掖捷安物流園は国際物流と「一帯一路」輸出入業務に全力で取り組み、現在、カザフスタン、ロシア、ウズベキスタンなど「一帯一路」沿線諸国の企業と良好な協力関係を構築している。 

数回にわたって開催され成功を収めた「シルクロード国際エコ産業博覧会張掖交易会」は、シルクロードでは初の「エコ産業」をテーマとした博覧会で、毎年、国内外から出展者を集め、張掖の農業、家畜飼育、加工業などの発展をさらに後押ししている。 

数千年前、シルクロードが異国の文明を張掖にもたらした。今日、「一帯一路」が張掖と世界の距離を縮めた。この「シルクロードの真珠」は歴史の流れの中で消えることはなかった。そして、古今東西を貫く張掖の「世界への道」はこれからも続いていく……。 

二十四節気の小暑の頃、張掖市高台県黒泉鎮にある金河湾養殖産業パークで栽培されている小麦は収穫の時期を迎える 


祁連山の麓の山丹軍馬場で馬の群れが駆け抜ける壮観な光景

 

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