オーロラ現れる最北の町 樹皮に刻む雪国の暮らし
「オーロラが現れる村を見たことはない……」。2021年に大ヒットした『漠河舞庁・2022(漠河のダンスホール・2022)』は、無数の人々の視線を漠河――中国で唯一オーロラが見られる町へと向けさせた。漠河は北緯53度付近、大興安嶺山脈の北麓に位置し、北部はロシアと川を隔てて向かい合っている。独特な地理的位置は「白夜」や「オーロラ」といった自然の奇観をもたらしただけでなく、同地特有の風土と人情、民俗文化も育んだ。
北極村で「北を見つける」
白い雪に覆われた林海雪原を抜けた列車は、中国最北端の町・漠河にゆっくりと入った。
漠河に向かう交通手段はいろいろあるが、深緑色の車体の鈍行列車に乗って行くのは依然として最も好まれている方法の一つだ。ハルビン(哈爾濱)から漠河への列車は親しみを込めて「雪国列車」と呼ばれている。18時間近い道中、乗客は暖かい車内で寝台に横になりながら、窓霜のついた車窓を通して、大興安嶺の樹氷の森を北へと抜けていく風景を眺め、中国の極北の地独特の果てしなさと雄大さを感じることができる。
雪と氷の世界で特別な体験
漠河の冬は長く、雪が多く、最低気温は氷点下50度以下にまで下がる。冬の屋外は巨大な「天然の冷凍庫」のようだ。漠河の町を歩くと、アイスキャンディーやアイスクリームを直接屋外に置いて販売する不思議な光景や、道端に置かれた冷凍梨、冷凍柿、冷凍ブルーベリーなどの各種「冷凍フルーツ」が視界に入ってくる。大興安嶺産のブルーベリーは漠河の有名な特産品で、それを使ったジュースや酒は品質がとても良く、果実を凍らせて食べるとまた格別な味わいがある。
数人の観光客が漠河の伝統的な屋外の遊び「潑水成氷」を体験していた。ボトルに入った湯を空中にまくと、水しぶきがたちまち氷結し、まるで白い花火が上がったかのように見える。ロマンチックで不思議な一幕をたくさんの人たちがカメラに収める。そして、その光景は全国各地の人々を引き付け、漠河に実際に行って体験してみたいと思わせる。
寒さが厳しく、自動車のエンジンはなかなかかからず、道に積もった厚い雪も外出を困難にする。そんなときは漠河の昔ながらの交通手段――馬そりの出番となる。厚い冬服を着てカバノキで作ったそりに乗って、東北地方の特色に富んだ派手な花柄の掛け布団で体を包み、頭から足先までしっかりと防寒する。御者が大きな掛け声を上げると、そりを引く馬はひづめを鳴らし、北極村に向かって出発した。陽光が沿道の白樺並木のこずえの間から、雪を振り払って揺れる馬の尾の上に降り注ぎ、御者は漠河の風土や人情を熱心に紹介してくれる。この寒い旅路に、それらが暖かな色彩となって加えられた。
オーロラに照らされる村
北極村は、文字通り漠河の「北極」であり、中国で唯一オーロラが見られる村だ。御者の説明によると、今年9月、多くの写真愛好家がここで美しく神秘的な赤いオーロラを撮影したという。
そりを引く馬は七星山の麓にゆっくりと止まった。そばには独特な造りの木造家屋が並んでいる。この「木刻楞」と呼ばれる家屋は現地の伝統建築で、丸太で造られており、冬は暖かく、夏は涼しい。家々の屋根には雪が積もり、軒には赤いちょうちんが掛けられている。連なった唐辛子やニンニクが庭の壁に掛かっている農家もあり、濃厚な農村の雰囲気に満ちている。
凍るような寒さの屋外から扉を開けて中に入ると、屋内にはオンドル(床暖房)があり、室温は20度余りで、来客はすぐに分厚い上着を脱いだ。家の主人が大きな魚のスープを運んできて、さらに現地の特色のある「小笨鶏炖蘑菇(鶏肉とキノコの煮物)」「笨猪肉炖粉条(豚肉と春雨の煮物)」などで、テーブルがいっぱいになった。東北地方では、名前の前に「笨」の字がついた家畜・家禽はたいてい「放し飼い」で育てられており、肉の食感が格別だ。キノコは大興安嶺で採取した野生のキノコ、魚は黒龍江で捕獲されたばかりの冷水魚を使う。天然の食材と、東北料理で最もよく使われる「炖」(とろ火で煮込む)という調理方法が組み合わさり、食材の本来の味が最大限に保たれる。東北地方の家々に完備されている暖かいオンドルに座って、あつあつの煮物を食べれば、温もりが胃から全身へと広がっていく。
生まれも育ちも北極村の潘景志さんは村民委員会の主任を務めたことがあり、自分でも農家楽(農村生活が体験できる民宿兼レストラン)を開いて、観光客をもてなしている。北極村の自然や風習について話し出すと、彼は家宝を数え上げるかのように流ちょうになる。
「毎年6月21日は私たち北極村の北極光節(祭)で、その日は昼が最も長く、夜が最も短い日です。夜10時半にやっと暗くなり始め、夜中1時にはぼんやりと明るくなり、2時過ぎには太陽が昇ってきます」。「白夜」が現れる夏至前後は、一年で最もオーロラが見られる可能性のある時期でもある。「私が初めてオーロラを見たのは十六、七歳の頃でした」と潘さんは振り返る。「当時、空の果てが明るくなったかと思うと、巻き貝の螺旋模様のように、ぐるぐると旋回しながら、どんどん大きくなり、最後には空の半分にまで広がって、霧が散るように消えてしまいました」
多くの観光客は一生に一度でいいからオーロラを見たいと考えて遠路はるばるやって来る。北極村の夜空は高層ビルのネオンに遮られることがないため、たとえオーロラが現れなくとも、晴れていれば満天の星を見ることができ、無駄足になることはない。
冬至節は北極村のもう一つの重要な祭日で、この日の漠河は中国で夜が最も長い場所で、日の出から日没まで6~7時間しかない。昔、このように極端に昼が短く夜が長い日、人々はよく、自宅のオンドルに座って、ヒマワリの種を食べながら、伝説について語った。あるいは、家族や友人と共に火鍋を囲み、酒を飲み、おしゃべりをして、空の低い場所にある太陽を窓越しに見ながら、春に行う仕事の計画を練った。
近年、ウインター観光の急速な人気上昇に伴い、冬至節も北極村の人々だけの祭日ではなくなっている。この日、各地から観光客が七星山の麓の北極村に集まり、雪の上で巨大なかがり火を燃やし、歌やダンスを楽しむ。以前長い夜に寒く寂しかった村は、今ではにぎやかな笑い声に満ちている。
「北」を見つけた
北極村に来る人々には、オーロラを追う以外にもう一つ重要な目的がある。それは「北を見つけること」だ。中国語には「北が見つからない(找不到北)」という言い方があり、事の処理の端緒がつかめない、方向を見失うといった意味だ。だが、北極村では、至る所で「北を見つける」ことができる。中国の地図を声を張り上げているオスのニワトリに見立てると、北極村は「とさか」の位置にあり、よって同地は「金鶏の冠」ともたたえられている。ここには数々の「中国最北」の建物がある。北極村の黒龍江大街と北極大街の2本の幹線道路には、「最北郵便局」「最北学校」「最北病院」が点在し、川沿いの道を進むと、「最北の家」「最北旅館」なども目に入る。
多くの人が北極村に来てまずすることは、「最北郵便局」へ行き、中国の最北端から家族や友人に向けて、北極村の四季の風景が印刷された絵葉書を送ることだ。「北を見つけたよ!」という言葉を添えて。
永遠に色あせない絵
七星山の麓の北極村には、山を背に川に臨む「木刻楞」の家があり、中には、造形が素朴で色彩が独特な「樺樹皮画」(カバノキの樹皮で描かれた絵)がたくさん飾られている。樺樹皮画芸術家の劉書洋さんは、ずっと以前にここに居を構え、北極村の黒土と一面のカバノキの林から創作の素材を得てきた。
大興安嶺の森林には数千数万ものシラカバが生えており、空から俯瞰すると、黒土に直立している一群の哨兵のようだ。昔ここに住んでいた古い遊牧・狩猟民族――エベンキ(鄂温克)族にとって、シラカバの木には重要な意味があった。彼らはその樹皮の色の深さや模様から方向を判断し、さらに、シラカバの木から各種生活器具や工芸品を作ることができた。エベンキ族の人々はシラカバの樹皮を材料にして、彼らの日常生活風景を描いた。
樺樹皮画の最大の特徴は、切る、刻む、彫る、熱する、筆で描くなど、多くの手法を使って絵を作ることで、樹齢を重ねたシラカバの剥がれ落ちた樹皮を利用し、殺菌、漂白、剥皮などさまざまな手法で加工して完成させる。色は主に焼き跡によって付けられ、永遠に色あせないため、コレクションに向いている。
子どもの頃から絵を描くことが好きだった劉さんは、高校卒業後、エベンキ族が住む村にやって来て、樺樹皮画に触れた。それから数十年が過ぎ、樺樹皮画はすでに彼の生活に欠かせない一部分となっている。
「この土地は私を育て、たくさんのインスピレーションをくれました。私はもうここを離れられません。ずっとここで生活していきます」。現在、古希に近い劉さんは依然として彫刻刀を手放していない。古い遊牧・狩猟民族の生活から創作のインスピレーションをよりくみ取るため、劉さんは森の中に「撮羅子」を一軒建てた。これはエベンキ族などの東北地方の遊牧・狩猟民族がかつて住んでいた円錐形の「家」で、「木の棒で建てたトンガリ屋根の家」という意味がある。烙筆(焼き絵用の筆)と彫刻刀を手に持って、劉さんは自分の方法で古い大興安嶺の遊牧・狩猟民族の文化を保護・継承している。
代々守られる森の「精霊」
エベンキ族の日常生活はカバノキから離れられないだけでなく、森の中のトナカイとも密接に関わっている。
スチントゥヤ(斯琴図雅)さんは両親と共に北極村で暮らすエベンキ族で、子どもの頃、よく大人からエベンキ族とトナカイの物語を聞いた。
「言い伝えによると、大規模な狩りの途中、エベンキ族の人がある獲物を捕まえました。それはヘラジカのようでもなく、鹿のようでもなく、馬より少し小さく、ロバより少し大きかった。みんなでこの動物に『四不像』と名付けようということになりました。これがエベンキ族とトナカイの『出会い』でした。手なずけられたトナカイは高い山に登ったり、密林に入ったり、エベンキ族の人々が捕った獲物を引いてテントに戻ったりでき、徐々に私たちエベンキ族の重要な交通手段ともなりました」
トナカイは柵で囲って飼育できないため、エベンキ族の人々はトナカイの群れを追って各所で遊牧・狩猟しながら暮らす。長い時間を経て、エベンキ族の狩猟民はトナカイと深い感情を培い、自分の子どもに接するように彼らに接するようになった。それぞれの特徴に基づいて彼らに名前をつけるだけでなく、あれこれと世話を焼く。祭日になると、自分の娘を着飾るようにトナカイに化粧をし、色とりどりの布を飾り付け、さらにピカピカの銅製の錠前を掛ける。トナカイが一頭でも不幸にも死んでしまうと、彼らはひどく悲しんで声も出ないほどである。
古い風習によれば、トナカイはエベンキ族の人々が結婚する際の聘礼でもある。まず求婚するときに男性側が数頭の大きくて美しいトナカイを連れてくる。結婚するときには新婦も同じ数のトナカイを連れてくるが、数がさらに多くなる場合もある。結婚式の際に新郎新婦はトナカイを引いて新しく建てたテントの周りを何周か回る。そうして、家族が増え、トナカイが健康であることを示す。
現在、スチントゥヤさんの2番目の伯父一家はまだ山中でトナカイを飼う生活を営み、この森の中の「精霊」を守っている。
また、北極村の近くには、エベンキ族のトナカイパークも建てられている。園内では、放し飼いのトナカイが山林を自由に駆け回っている。参観者はパークが提供するトナカイが好むコケを餌として与え、この親しみやすく、かわいい「精霊」と近距離で触れ合うことができる。
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あつあつの東北の煮物で客人をもてなす北極村の親切な村民も、山林を愛し、代々自然と共生してきたエベンキ族の人々も、この漠河という土地と同じく、純朴で誠実だ。オーロラはいつでも見られるわけではないが、温かい人の心の物語は常にそこにある。気候は寒冷だが、人情は温かい。これこそがこの中国最北端の町の魅力の在りかなのかもしれない。
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