絶景広がる仙境で体感 少数民族の生活の息吹
袁舒=文 vcg=写真
静かな山林に足を踏み入れると、静まり返った大自然には落ち葉のきしむ音だけが響く。足を止めて一息つくと、そこに広がるのは青々と澄んだ湖。湖底には枯れ木がひっそりと横たわり、湖面には銀色に飾られた岸辺の木々と雪を頂いた遠い山々が映り、その美しさに人々は思わずため息をつく。空も山も木も湖もこんなに清らかで神々しいのは、きっとここが「地上の仙境(1)」だからだろう。
九寨溝自然保護区は四川省のアバ(阿壩)チベット(蔵)族チャン(羌)族自治州(以下、アバ州)にあり、その素晴らしい自然景観は世界中から観光客を集めている。アバ州はチベット族とチャン族の居住地でもあり、チャン族がのどかな牧歌を仙境に響かせ、チベット族が元気に「鍋荘舞」を舞う。今回の「美しい中国」では、温かな少数民族の生活を体験できる「地上の仙境」にご案内する。
絵のような風景の中を旅する
仙女が割った鏡
油絵画家の王夢雪さんは、インスピレーション(2)を刺激するためによく九寨溝へ来る。「九寨溝では、これまでの経験から想像して作れる色が一つもない。この地に足を踏み入れ、ここの大自然と触れ合って初めて、色と色の間の絶妙な変化を本当に理解できるようになります」と王夢雪さん。彼女はキャンバスボードの前に立ち、筆を操り、貪欲に目の前の絶景全てをキャンバスに取り込んでいく。「目の前に広がる幻想的で衝撃的な風景は言葉にできないほど美しい。その全てが真実の世界だとは思えないほどで、この風景を人々は『仙境』と呼ぶんだと思います」
九寨溝はアバ州北西部、岷山の南の麓に位置し、樹正、日則、則査窪という三つの渓谷からなり、ここに九つのチベット族の村があることから「九寨溝」と名付けられた。大自然はとりわけこの土地を愛しているようで、うっそうとした森林や高くそびえる山があり、世界自然遺産の九寨溝はその中に隠されており、渓流、湖、滝、石灰岩……どれも独特で美しい景観を醸し出している。
水は九寨溝の魂だ。中国西部に住む人々は湖を「海子」と呼ぶ習慣がある。海子は天宮に暮らす仙女が割った鏡だと言われ、大小の破片が高山の渓谷に散らばり、キラキラした夢のような色を映し出している。九寨溝には全部で114の海子があり、その大きさは小さいもので数平方㍍、大きいものでは直径7・5㌔にもなる。九寨溝の湖は鏡のように透き通っていて、水深20㍍まで見えるところもある。水中には藻がなびき、湖底の色とりどりの堆積岩が太陽光に照らされて、青、黄、オレンジ、緑などさまざまな色に輝き、まるで夢の世界にいるか、幻想を見ているかのようである。
中国には「九寨帰来不看水」ということわざがあるが、これは九寨溝が、川、海、湖などの水景観において最高であることを意味する。少し大げさだと思う人もいるかもしれないが、九寨溝に行けば、おのずとその言葉に同意することができるだろう。
九寨溝の入り口にはアシの海が広がる。風に揺られながら、日光に黄金色に輝くアシを見るだけで人々はその美しさに見とれてしまうものだが、これはまだまだ九寨溝の入り口にすぎない。奥へ進めば進むほど、目の前の景色は幻想的になる。炭酸カルシウムが湖の中に長い堤防を形成し、まるで水面下から飛び上がろうとしている白い竜のようだ。色とりどりの湖水はまるで巨大な色彩パレットのように鮮やかで、見る人は大自然の美しさに驚嘆する。
大自然の宝庫を守る
グラントさんは英国出身の写真家で、新型コロナウイルス感染症が流行する前は、バードウオッチングのために九寨溝に何度も足を運んでいた。コロナが収束すると、彼は森の中の「古い友人」に会うためにまたはるばる九寨溝へとやって来た。「九寨溝の環境はとてもよく保護されているから、ここでは多くの特別な鳥を見ることができるんです。まるで天然の博物館ですよ」とグラントさん。
九寨溝の数ある海子の中でも、箭竹海は特に観光客に人気がある。湖岸にはジャイアントパンダの好物である矢竹が広く生い茂っているため、箭竹海を散策していると、運が良ければ野生のパンダが食事を終えて竹林から湖に水を飲みに来る姿を見ることができる。九寨溝には、驚くほどユニークな景観があるだけでなく、キンシコウ、パンダ、カモシカ、ユキヒョウ、各種の珍しい鳥類など、さまざまな野生動物が生息しており、手つかずの自然が残る森林と相互に依存しながら、調和のとれた生態系バランス(3)を保ち、悠々と暮らしている。
九寨溝の85%は植生に覆われ、自生植物は2500種を超えており、九寨溝を変幻極まりない(4)美しさで彩っている。これらの豊富な植物は観光客を引き付けるだけでなく、この地域の生態保護(5)に参加する人々を世界中から呼び寄せている。フランス出身のベンジャミンさんは、九寨溝の樹木の年輪を調査している。「九寨溝には国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストに載っている絶滅の危機にひんしている植物が多く生息しています。これらの貴重な植物資源を保護することは、世界への大きな貢献でもあります」と彼は語る。
中国は九寨溝の生態保護を重視しており、多くの生態保護プロジェクトがここで成果を上げている。林業技師の雷開明さんは、九寨溝の山林を32年間守ってきた。彼によると、中国は九寨溝自然保護区内に27本の観測ラインを引いており、保護区の大部分をカバーしている。この20年間の観測データから、近年、野生動物の活動の痕跡が増えていることが分かっている。
九寨溝の最も深いところに向かって歩いていくと、「8・8」という文字が刻まれた巨石が湖のほとりに傾いた状態で立っていた。地元のガイドによると、この巨石は重さ522㌧もあり、かつて標高2600㍍以上の山から転がり落ちてきたという。2017年8月8日、マグニチュード7・0の地震が九寨溝を襲い、地滑りを引き起こし、山や森を破壊し、かつては鏡のように澄んでいた湖を泥沼に変えてしまった。しかし4年後の21年、国内外の環境保護団体の共同の努力により、九寨溝は元の姿を再び取り戻し、観光客受け入れを再開することに成功した。
「私たちは九寨溝の震災復興(6)の奇跡を目の当たりにしました。人為的な介入はあったものの、時間をかけて自然がみずから回復するのに任せたのです」と雷さん。震災後の九寨溝の様子を撮った写真と目の前に広がる九寨溝の絶景を見比べても、この短期間でこれほど劇的に変化したとは想像しがたい。自然はその強力な自己治癒力で傷を見事に癒やした。それを目の当たりにする人間は自らの小ささを感じずにはいられない。山、森、湖、そしてここに住む動植物たちこそがこの地の主なのだ。
迷宮のような千年の要塞
九寨溝自然保護区から300㌔ほど離れたところに、桃坪羌寨がある。外から見ると、村というより要塞のように見える。中央にそびえ立つ望楼(7)の周囲には石造りの家々が建ち並び、中心部から外に向かって地形に沿って徐々に低くなっている。村に足を踏み入れる前から、スコットランドのバグパイプのような、爽やかで甲高い楽器のメロディーが中から響いてきた。その音に導かれるように村に入ると、チャン族の衣装を身にまとった少女たちが、長い赤い布を手に、笑顔いっぱいで客人たちを出迎えた。これがチャン族の歓迎の儀式「献羌紅」だ。
桃坪古寨は紀元前111年、今から2000年以上も前に建設された。集落の奥に進むと、「迷宮入口」という看板が石の壁に掛かっている。「なぜこんなところにアトラクションが?」と不思議に思わずにはいられない。実はこの「迷宮」、アトラクションではなく、村の路地なのだ。桃坪は村全体が巨大な迷路のようになっており、中に住む人は迷うことなく自由自在に出入りできるが、部外者は入ると縦横無尽に張り巡らされた狭い路地に行く手を阻まれ、くらくらして方向が分からなくなり、進退窮まってしまう。路地はとても狭く、両腕を広げることすらできない。奥に入るほど狭くなり、一人しか通過できない幅になる。
桃坪寨出身の李燕さんが、この村がこのような構造になっているのはチャン族の悲惨な歴史に由来すると教えてくれた。3000年余り前、商(殷)の時代、チャン族は戦で商の部隊に山奥まで追いやられ、この地に定住することを余儀なくされた。安定した生活環境を手に入れるため、チャン族は民衆を最大限に保護できる家を造るために多大な労力を費やした。村の中心に高さ30㍍の望楼を建てて外敵を監視し、家屋はできるだけ高く建て、上層階には人が住み、下層階は家畜を飼うだけにした。うす暗くて狭い路地が迷路のように入り組んでいるのも、外敵が侵入してきたときに相手を混乱させ、自分たちが逃げるのに十分な時間を稼ぐためだった。
悲しい物語を聞いた。望楼に登り、村を見下ろす。端正な民族衣装に身を包んだお年寄りたちが、畑でリンゴを摘んではしゃいでいる子どもたちをほほ笑みながら見つめている。チャン族の刺しゅうをする若い娘とハダカムギの酒を豪快に飲む青年の姿もほほえましい。この牧歌的な生活の一コマは、見る人をも和ませてくれる。平和な今日の時代、戦争は色あせ、古くから人々に守られてきた生活の息吹(8)はより尊いものとなっている。
神の住むチベット族の村
赤い瓦に石造りの壁、彫刻が施された窓に小さな庭。これはアバ州黒水県の典型的なチベット式建築の外観だ。2015年、「羊茸・哈徳」村が正式に観光客向けにオープンした。ここは新式のチベット族の村で、四川・汶川大地震を経験した元の羊茸・哈徳の村全体をここに移転させたものだ。「羊茸・哈徳」はチベット語で「仙人が住む場所」という意味で、実に仙境のように美しい。新しい村は三方を水に囲まれ、コテージの前に小川が流れ、春夏秋冬と季節ごとにさまざまな景色を見せてくれる。現在、真冬の太陽の下、村全体が銀色に覆われ、まるでおとぎ話に出てくる雪の国のようだ。
村に40軒以上あるコテージは、縦4本、横3本の格子状の道沿いに整然と並んでいる(9)。家々のドアや窓は全て木造で、至る所にチベット風の彫刻が丁寧に施され、壁は基本的に地元の石材を積み重ねて出来ている。各家の前には小さな中庭があり、そこには二、三脚の木製の椅子が置かれていたり、野菜や山から移植された花が植えられていたりする。新しい住宅は村人の生活環境を改善するだけでなく、民宿としても利用され、農耕や遊牧に頼っていた生活から観光開発(10)によって富を得るスタイルへと、地元の人々の生活を変貌させた。
羊茸・哈徳の食堂では、見た目も味も良いチベット料理をいつでも堪能することができる。今年27歳になるサンラン・ドロルマさんは中等専門学校で飲食業について学んだ後、ふるさと羊茸・哈徳村に戻り、スタッフとして働いている。
「私の夢はツアーガイドになることです」とドロルマさんは笑顔で言う。「今、私のふるさとは観光業の振興に取り組んでいます。それを見て私は戻ってくることを決心しました。学校で学んだ知識を生かすことができてとてもうれしいです!」
ドロルマさんと同じく、羊茸・哈徳に暮らすドゥラチョさんも村で観光の仕事に携わっている。看護学校を卒業した彼女は今、フロントの受付の仕事をしており、都市のサラリーマンと同じように、毎月月給をもらい、安定した幸せな生活を送っている。ドロルマさんが見せたような笑顔はこの村のあちこちで目にすることができる。幼稚園で言葉を学ぶ無邪気な子どもたちも、道端に座って日光浴をするお年寄りも、村の観光開発の成果を享受している。「みんな仙人のすみかに住み、仙人の生活を送っているようです」とドロルマさんはまた幸せそうな笑みを浮かべた。
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