大理 悠々自適に元気をチャージ 祭事通じて継ぐ民族の伝統
李家祺=文
冬の日、午後4時。双廊鎮で見つけたカフェに座った。西の空を眺めると、蒼山はすでに雪に覆われていた。雲が風に乗ってどんどん流れていく。渦を巻いたり、龍の形になったり……しばらくすると、大きな雲の塊が一つまた一つと人間の形に変わり、一列になって、編隊を組んだ兵士のように見えた。
太陽がゆっくりと沈んでいく。日光が雲を通過し、金の光の束となって山々や水面、野原を照らす。我を忘れてしまうほど美しい光景だ。
ここは、中国南西部の奥地にある雲南省大理ペー(白)族自治州(以下、大理)。詩的でロマンチックな風景、ゆったりとした生活、長い歴史のある神秘的な少数民族の文化が、人々が憧れる「桃源郷」を織り成している。
「海」を囲む町
中国の内陸部に位置する町、大理。ここにはなんと「海」がある。その海は、形が人間の耳に似ていることから「洱海」と呼ばれている。
もちろん、洱海は本物の海ではなく、周囲116㌔の湖だ。大昔、内陸にいたため海を見たことがなかった地元の人々が憧れの気持ちを込めて、この湖を「海」と呼んだという。
洱海は、大理で最も人気のある観光スポットに囲まれている。例えば、「耳たぶ」の辺りにある市街地・下関や、「耳珠」近くの大理古城、「耳輪脚」近くの喜洲、「耳輪」上部の上関と双廊などだ。また、大理を代表するもう一つの景勝地、ユネスコ世界ジオパークの蒼山も洱海の西岸に位置する。
ここでは海の雰囲気が感じられる。毎年冬になると、遠くシベリアからカモメの群れが飛来する。ゆったりと水面に浮かんだり、クルーズ船の周りを旋回したりして、洱海と共に素晴らしい景色を生み出す。
洱海には小さな島がいくつか浮かんでいる。早朝、クルーズ船に乗って、印章(はんこ)に似ていることから「海印」と親しまれている小普陀島に行った。立ち込める朝霧の中、あずまやの建つ島は、まるでおとぎの国のようで、対岸に立ち並ぶ建物が蜃気楼のようにかすかに見えた。夕方、金梭島の方を眺めると、あかね色の夕映えに染められた小島は、海に浮かぶ金色の梭(織機の横糸を通す道具)のようだった。
ここにはよそにない独特な絶景がある。大理古鎮では、たった50元ほどで電動バイクや自転車を丸1日レンタルできる。ここを出発して、近年進められている同地の生態保護の取り組みの一つである洱海生態回廊に入れば、青空の下でそよ風を感じながら、いつでも立ち止まって写真を撮ったり、道沿いの景色を堪能したりすることができる。もちろんサイクリングのほかに、洱海を巡る観光バスやレンタカーを利用して、より気軽な旅行を楽しむのもありだ。
途中、龍龕埠頭では、水辺に立ち並ぶ真っすぐなメタセコイアの原始林がすでに深い赤色に変わり、青い洱海とのコントラストがなんとも神秘的だ。
さらに北へ進むと、ぺー族の伝統家屋が最もよく保存されている集落・喜洲に到着する。ここでは、母系制の伝統が今でも受け継がれている。街には地元の人が経営する手工芸品の店が軒を連ねる。中でも特に、さまざまな植物染料を使ったスカートやスカーフが人気だ。
洱海の北端を回ると、湖畔で夕日を眺めるのに最適な場所の一つである双廊に着く。北緯25度に位置する大理では、冬でも平均気温が10度を下回らない。そのため、洱海一周はぜひとも旅程に入れたい観光ルートだ。
多様な年中行事と祭り
大理では、漢族以外の少数民族が総人口の半分以上を占めている。主要民族のペー族のほかに、漢族、イ(彝)族、リス(傈僳)族、ミャオ(苗)族など12の民族が何世紀にもわたりこの地で暮らしてきた。そのため、この地にはさまざまな特色を持った年中行事や祭りが誕生した。その多くは、正月の頃に行われる。
旧正月を祝う龍踊り
旧暦の正月の際、多くのペー族集落にとって重要な催しといえば「龍踊り」だ。旧正月の2日目、銀橋鎮富美邑村では、龍踊りチームのメンバーたちが早朝から村の祠堂に集まり、龍踊りの準備を始めた。
「ドンドン、カッ! ドンドン、カッ!」。銅鑼や太鼓のけたたましい音に合わせ、龍の体がリズミカルに動き、パレードが始まった。黄龍は口を大きく開け、ひげを風になびかせ、風雨を操るかのような勢いを見せる。祭りばやしに合わせて素早く動く操り手によって、龍の体は、時に雲へ突き進むように急に高く飛び上がり、時に荒波に立ち向かうようにくねくねと地面をはい回る。球状の「龍灯」を持つ男性が先頭に立つと、黄龍はすぐに頭と尻尾を振りながらそれを追いかけて遊び始めた。
街頭に集まった村の人々が、龍踊りチームや彼らに同行する「財神」を家に招いていた。幸運を呼ぶ歌舞を披露してもらうためだ。財神がめでたい祝辞を歌うたびに、人々は「ご祝辞ありがとう」と歓声を上げる。村は喜びと祝いのムードに包まれた。
村の芸術団団長の李文章さん(67)は、18歳の頃から龍踊りに参加してきた。李さんの話によると、ペー族が踊る龍は、黒龍、青龍、黄龍の3種類に分けられるという。富美邑村で踊る「黄龍」は、村の人々が自分たちで作ったもの。体長20㍍超、鏡でできた目は光を反射し、口は自在に開閉することができる。12節からなる体は竹ひごでできた円筒形で、それぞれの節に短い木の棒が付けられており、それを持って龍を操るようになっている。「この龍の『骨組み』は私が作りました」と誇らしげな李さん。竹の購入から、竹ひご作り、乾燥、編み、たが作りまで、全て自ら行ったという。
富美邑村では、龍踊りは男女共に参加する伝統行事。今年14歳になる李さんの孫娘・李薇さんも、もう少し大きくなったら祖父と同じように龍踊りチームに参加したいと意気込みを語っていた。
伝説の神に扮し息災祈る
旧正月の8日目、祥雲県の七宣村は、朝8時半からすでににぎわっていた。村の正門から広場までの2㌔弱の道沿いには、地元のグルメや小物を販売するさまざまな屋台が立ち並んでいる。至る所に赤い布が掛けられ、広場の地面は松の葉で覆われている。1万人もの観客が広場に集まり、「唖巴節」の開幕を待っていた。
「唖巴節」は、七宣イ族に代々受け継がれてきた祭りで、最も年配の村人でもどれくらいの歴史があるのかはっきり言えないほど古いものだ。「唖巴」とは、中国語で口の利けない人という意味。伝説によると、大昔、七宣村で疫病が流行したとき、ある心優しい口の利けない女性が村人たちを救うために薬を求めて奔走した。その女性の行動に感動した龍王は、彼女をめとっただけでなく、村人の病気を治し、村に豊作と安寧をもたらした。その後、村人たちは旧正月の8日目を「唖巴節」と定めた。龍王と口の利けない女性への敬意を表すため、皆から選ばれた村人が無言の龍王、通称「大唖巴」の役を演じるようになった。
村の東端にある龍王廟では、祭りでパフォーマンスをする村の人々による「唖巴隊」が待機していた。「大唖巴」は左手に臼、右手にきねを持ち、キジの羽を挿した牛革の帽子をかぶり、羊皮の短いズボンだけを身に着けている。裸の上半身と腕、足には龍の絵が描かれており、勢いに満ちている。村の若い男女が扮する「中唖巴」たちの体や顔には彩色の紋様が描かれている。また、幼い子どもたちが扮する「小唖巴」は、顔や手に無造作にすすを塗りつけている。「農夫」役は竹笠をかぶり、みのを身に着け、ズボンの裾を巻き上げ、手にすきとむちを持つ。「神牛」は木彫りの牛頭を持ち、灰色のマントを羽織る。
「唖神よ、山からいでたまえ!」。大きな呼び声が広場から龍王廟まで響いてくると、4人の中唖巴が、大唖巴を載せた彩色のみこしを持ち上げ、唖巴隊を率いて広場へと勢いよく出発した。
広場の中央には、高さ約5㍍の松の木が立っていて、その下には四角いテーブルがある。テーブルの上には、赤い線香が挿された升と、茶、酒、肉などの供物が置かれている。
チャルメラや竹笛、太鼓が鳴り響く中、唖巴隊は手をつないで二重の輪を作り松の木を取り囲み、複雑なステップの唖神踊りを披露し、新年の無病息災と豊作を祈る。大唖巴は内側の輪の中に立ち、手に持ったきねで臼をリズミカルにたたく。伝説によると、この臼ですりつぶした食べ物にはあらゆる病気を治す不思議な効果があるという。
現在の七宣村の大唖巴役は、羅金全さん(48)だ。幼い頃、家族から唖巴節の伝説を聞き、「唖神」への畏敬の念を抱いた羅さんは、7歳で村の唖巴隊に加わった。「初めて踊ったとき、幼かったのですぐにとても疲れて大泣きしました。母は私を心配して、家まで背負って帰って、『辛かったらやめよう』と言ってくれました」。だが、唖神踊りは羅さんの長年の憧れだった。そのため、暇さえあれば自宅の鏡の前で練習を繰り返した。また、唖巴隊で練習するときも、常にみんなより集中し、大唖巴のあらゆる表情や動きをしっかりと心に刻むようにした。
23歳のとき、羅さんは前任の大唖巴役と村の長老たちに認められ、次世代の大唖巴役に選ばれた。それから25年たった。近年は村で行われる唖巴節に出演するほか、チームを率いて他の地域で公演を行ったり、雲南省民族舞踊大会に出場したりして、それにより唖神踊りは徐々に世間に知られるようになった。「これから私も次世代の大唖巴役の育成を手掛け、唖巴節の文化を継承し続けていきたいと考えています」と羅さんは語った。
リス族の新年彩る奇祭
賓川県宝峰寺村の広場の中央には、高さ約20㍍の太い木の棒が2本が立っている。その間には、枝を研ぐこともできるほど鋭く長い刀が約50㌢ごとに36本。やいばは全て上向きで、まるで恐ろしい「刀のはしご」だ。周辺地域のイ族やミャオ族、ペー族、漢族などの住民、各地からの観光客が見物に集まってきた。広場から多少距離のある田んぼのあぜや高所の小道までもが熱心な観客たちで埋め尽くされた。
祭司が祈りの言葉を唱え終わると、赤と黒の布を頭に巻いたリス族青年が素足を横向きにして刀に掛け、両手で上方の刀をつかみ、一歩一歩慎重に登り始めた。手に汗握るシーンだ。はしごの頂上に着いた青年が彩色の手旗を取り出して地面に投げると、観客から歓声と拍手が起こった。
これは「刀山登り」と呼ばれる、リス族の「闊時節」の伝統的な催し物だ。あらゆる難関を乗り越えるとの意味が込められており、新しい一年の天候の順調と平和、幸福を祈るものである。
「闊時」はリス語で「年の始まり」という意味。毎年1~2月頃に開催される闊時節は、リス族の人々にとって一年で最も盛大な祭りである。
祭りは「刀山登り」で幕を開けた後、さまざまな一風変わったイベントの目白押しだ。刀のはしごの下では炭火がたかれ、リス族の青年が裸足で熱い炭火の中に勢いよく飛び込むと、蹴られた炭火はまるで鋼鉄の火花のように四方に飛び散った。これは「火海入り」と呼ばれる闊時節のもう一つの伝統だ。
広場の反対側では、頭に柄入りの布を巻きカラフルなドレスを着た女性が織機の前に座り、「カシャン、カシャン」と音を鳴らしながら、梭と筬を両手で交互に器用に操っている。しばらくすると、白い雲のような布の形が現れてきた。「これは火草布といいます。火草という地元の植物から作った糸を麻の糸と合わせて織るもので、私たちリス族の独特な手工芸品です」と説明してくれた。
笛や太鼓が鳴り、色とりどりの民族衣装を着た集落の老若男女が手をつないで輪になり、リス族の伝統舞踊を踊り始めた。多くの観客もムードに乗って次々と加わり、音楽に合わせて歌や踊りを楽しんだ。
「リス族の音楽に合わせて一緒に踊る他の民族の人たちの姿を見て、本当に光栄に思います。自分の民族の文化が認められ、愛されていると感じます」と賓川県リス族学会会長の谷国鋒さんは顔をほころばせた。
若者の人生の充電スタンド
早起きをして満員の地下鉄に乗ったり、仕事に遅刻することを心配したりする必要はない。毎日、自然に目が覚めるまで寝て、起きて身支度を整えた後、秦荃宇さんは愛用の電動バイクに乗って、ゆっくりと大理古城北門の市場へ向かう。そこで稀豆粉と油条(細長い中国式揚げパン)を食べて、静かなカフェを見つけて仕事を始める。
20代の秦さんは大理に来てから、このような日常生活を送っている。「大都市で長く暮らし、毎日同じスケジュールで同じような生活を繰り返していたため、自由な生活に憧れ、『詩的な居場所』を見つけたいと思うようになりました」
昨年話題になったテレビドラマ『去有風的地方(仮訳・風の吹く場所へ)』は、親友を亡くし、職場でも挫折を経験したヒロインが、退職し、大理に来て起業の方向性を見つけ、美しい出会いに恵まれるという物語で、近年の若者の大理移住ブームを反映した。豊かな自然と暮らしやすい環境、便利な交通、比較的低い生活コストに加え、新型コロナウイルス感染症による在宅ワークの普及によって、大理に来て「デジタルノマド(IT技術を活用して旅をしながら仕事をする人)」になることを選択する若者が増えている。
「ここでは、人生が『スローモーション』モードになっているような感じがします」と秦さん。「世の中がどんなに忙しくても、都市の人々がどんなに不安を抱えていても、大理の空はいつも澄んでいて、蒼山も洱海も、美しい景色は永遠に消えることなく、ずっとここで私たちを待っているかのようです」
大理の素朴な環境にいて、物欲が急に少なくなったと感じる人は多い。
北京の大手インターネット企業での高収入の仕事を辞めて大理に来た晏さん(31)の話によると、彼は以前、買い物や速達便の開封が人生最大の楽しみだった。毎年最新モデルのiPadを手に入れ、服も引っ越しのたびに半分捨てるほどたくさん持っていたという。
しかし、大理に来てから、晏さんはもう2カ月もネットショッピングをしていない。心境の変化について晏さんは、「日々の生活がとても楽しいので、買い物で退屈を紛らわす必要はなくなりました」と語った。
大理では、ブランド物の服やアクセサリーを身に着ける人はほとんどいない。市場ではワンピース1着が20~30元で買える。「例えば、カメラやギターを買ったり、生け花や栄養食の教室に行ったり、趣味のためにお金を使う方がいいと思っている人が多いのです」
また、人と交際するときも、いつも気楽で、出会った人がみんな幸せそうで親切だと晏さんは感じている。「以前何をしていたかとか、職業が何かとか、そういうことを気にする人はいないし、みんな平等で同じ人間だという雰囲気があります。互いに話が弾めば友達になれます」
一方、ほとんどの若者にとって、大理は「終点」ではなく、長い人生における「充電スタンド」のようなものだ。ここで数カ月、あるいは数年暮らして、十分な「電力」を貯めた後、また新たな目標に向かって再び旅立つことになる。