一弦の旋律が心に染みる 海洋民族暮らす国境の町

2024-09-19 14:29:00

中国大陸の海岸線の南西端に位置し、ベトナムとの国境に接している防城港市は、あまり知られていない美しい港町だ。ここには、中国56の民族の中で唯一の海洋民族ジン(京)族が代々暮らしている。数千年にわたり、海に生きてきたジン族はその恵みにより、優れた生活の技術を多数生み出し、独自の文化をこの土地に深く刻み込んできた。 

海に生きる民族

広西チワン(壮)族自治区南部の防城港市は、海沿いかつ国境に接している、中国に二つしかない都市の一つだ。最も南にある東興市(防城港市が管理する県級市)は南東は北部湾に臨み、南西はベトナムと国境を接している。同市の澫尾(まんお)島(万尾島ともいう)、巫頭島、山心島の三つの島にはジン族が集住している。言い伝えによると、16世紀初頭、ジン族の祖先がここに移り住み、それから代々漁をして生計を立ててきたという。そうしてこの三つの島は徐々に「ジン族三島」と呼ばれるようになった。 

神にささげる歌 

早朝、尾島。細い竹竿の一端に真っ赤な爆竹がつるされ、パチパチという音の中で、ジン族は一年で最も盛大な祭りである「(ハー)節」を迎えた。 

小雨のため、ジン族が祝賀行事を行う哈亭の外には、色とりどりの傘が集まり、色鮮やかな海のようだ。各地から人々がここに集まり、儀式の開始を待っている。長老たちが線香を燃やし祖先を祭ると、人々は祝日の晴れ着をまとって、花と赤い絹で飾った神座を担ぎ上げ、神を迎えるために海辺に向かって出発した。 

道端に、円錐形のかさをかぶり、黄色のチャイナドレスのようなジン族の衣装を着たおばあさんがいた。彼女によると、ジン族の言葉で「哈」は「歌」の意味だという。哈節は「唱哈節」とも呼ばれ、ジン族の人々が「神に歌をささげる」祭りだ。 

伝説によると、数百年前、北部湾沿岸の白龍嶺の麓で、巨大なムカデの妖怪が波風を立て、舟を転覆させ、人を食っていた。ある仙人が物乞いに化身し、船で海を渡り、事前にあつあつに煮込んだ大きなカボチャをムカデの妖怪の口に押し込んだ。やけどをしてのたうち回ったムカデの妖怪の体は三つにちぎれて波間を漂い、尾、巫頭、山心という三つの島になった。付近の住民はようやく安心して、幸せに暮らせるようになった。こうしてジン族の人々は、仙人を「鎮海大王」としてあがめ、廟を建てて祭り、毎年哈節の際に海岸へ「鎮海大王」を迎えに行くようになったのである。 

神を迎える行列がどらや太鼓を鳴らしながら尾島の金灘にやって来た。砂浜には独特の造形をした楽器が何列も並べられている。ジン族の少女たちが色とりどりの裾を海風にはためかせ、片手で楽器の左側のレバーを持ち、もう一方の手で唯一の弦を弾きながら、ジン族民謡の「橋を渡ると風が吹き」を歌い始めた。 

「今日橋を渡るとき強い風に遭った 風が吹き風が吹き かさが空に飛ばされた……」 

1本の弦で奏でる音楽 

この1本の弦のみを持つ楽器はジン族独特の独弦琴で、たった一本の弦と一本のレバーで六つの音域、3オクターブを奏でることができる。中国では、早くも8世紀の唐代には、すでに竹製の独弦琴についての記録が存在していた。この古い楽器は数百年にわたってジン族三島で伝えられてきたが、20世紀末に一時、伝承が途絶える危機にひんした。  

独弦琴の自治区級の無形文化遺産伝承者のジン族女性趙霞さんは子どもの頃からジン族三島で生活してきた。村ではほとんどの人が漁をなりわいとし、毎日暗いうちから港で働き、一日中忙しくしていた。夜に独弦琴の演奏を聴くことは、村の人にとって最もリラックスできる方法だった。しかしジン族の独弦琴には楽譜がないため、年配の人たちが口伝で教えるしかない。若者がどんどん村を離れていくにつれて、独弦琴の伝承は後継者不足に直面するようになった。 

趙さんは幼い頃に独弦琴を短期間学んだことがあったが、就職後は演奏の腕が次第に落ちていた。ある日、思いがけない招待状が趙さんのもとに届いた。テレビ局がジン族の独弦琴の演奏会を企画し、合奏のため、ジン族の女性演奏者を3人必要としていた。しかし現地では独弦琴を演奏できる若者3人をなかなか見つけられなかった。やむを得ず参加した趙さんだったが、その後、ある決心が芽生えた。独弦琴をしっかり学び直し、このジン族の伝統楽器を絶対に継承していく――と。 

それから彼女はジン族の独弦琴の名手に弟子入りした。11年間の厳しい修行の末、地元でそこそこ知られる独弦琴奏者となった。  

「独弦琴は古筝や二胡のように広く知られているわけではありません。伝統を受け継いでいきたいという人を増やすには、まず人々にその存在を知ってもらうことが必要です」  

独弦琴を多くの若者に知ってもらうため、趙さんはティックトック(TikTok)にアカウントを開設し、演奏のショートビデオを多数投稿した。さらにライブ配信で独弦琴でのポップスの演奏にも挑戦した。2020年、彼女のある動画が約10万の「いいね」を獲得した。その夜には数千人のネットユーザーが彼女のライブ配信を視聴し、この一本の弦の楽器への関心が高まった。ライブ配信を見た多くの人が東興市まで来て彼女に弟子入りした。オフラインで開いた二つの独弦琴無形文化遺産伝承教室では、毎日約100人の受講生が彼女から演奏技術を学んでいる。今や彼女のティックトックのアカウントには50万以上のフォロワーがいる。 

近年の哈節では、尾島の金灘で「千人独弦琴」のパフォーマンスが行われたこともある。歴史ある楽器の音は1000人にも上る演奏者の指先から流れ出て、再びこの大海の上空に響き渡った。 

竹馬に乗って漁へ 

哈節では、観光客は独弦琴の演奏を楽しむだけでなく、ジン族の昔ながらの漁法である「竹馬漁」も見られる。 

竹馬漁を披露する高阿明さんは肌が黒く、がっしりした体格だ。仲間たちと竹馬に乗り、特製の巨大な三角網を手に、荒波の中を歩いて魚やエビを捕る。  

安全のために竹馬はしっかりとすねに縛られており、初心者はしばしば脚の痛みで立って歩けなくなるが、高さんの歩みはしっかりと安定している。彼が持つ網は水に浸すと35以上にもなり、強風と高波の中で歩くのは非常に体力を消耗する。高さんは激しい波に何度も倒されながら何度も立ち上がる。何世紀にもわたり、彼の先祖たちはこのようにしてジン族を養ってきた。 

「船がなかった時代、潮が満ちて海水が頭の高さを超えると、漁ができなくなりました。そんな中、私たちの祖先は身長を高くするために竹馬を利用することを考えつきました」と高さん。脚に付けた長さ1の竹馬を見せながら、「この方法は広く伝わり、やがてジン族の家の主人たちは皆、竹馬を持つようになりました」と話した。  

尾島の金灘には長さ13の海岸線があり、この辺りの魚やエビは深さ1余りの浅瀬に多く生息しているため、竹馬漁によって漁師たちはより多くの魚やエビを捕まえることができた。豊漁の場合、高さんは市場に魚やエビを売りに行く。不漁の場合はその場にかまどを設けて、共に漁をした仲間たちと海辺で夕食をとる。  

新鮮な食材はシンプルな調理法が一番だ。地元名産の東興タイショウエビは、ゆでると食材の旨味が最大限に保たれ、ひと口かめば、柔らかく弾力がある食感と濃厚な海鮮の味が口の中いっぱいに広がる。高さんと仲間たちは新鮮な海の幸を味わいながら、丸い形の薄いパンをかじっている。このパンは風に吹かれて飛ばされそうなほど薄いため、「風吹餅」と呼ばれている。サクサクとした風吹餅は、口に入れるとすぐに溶け、最後に口の中にはゴマの甘い香りが残る。  

近年、伝統的な竹馬漁は便利な現代漁法に徐々に取って代わられ、ジン族三島で竹馬漁ができる人はごくわずかになった。「先祖代々の生計の技ですから、失われてはなりません」。竹馬漁の伝承について心配な高さんは弟子の育成により力を入れるようになった。幸いなことに観光業の発展が新たな機会をもたらし、竹馬漁は徐々に地元の特色ある観光アトラクションになっている。哈節などの祝日に、高さんは弟子たちと共に竹馬漁を披露する。また時間があれば観光客を連れて海辺でこの技を体験してもらう。「全国のテレビ局が私たちの竹馬漁を取材に来ましたよ」。楽しそうに語る高さんの目には希望の光が再びともり始めている。 

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