溶岩と海水が生んだ絶景 心も温まる魚介のスープ
袁舒=文 VCG=写真
広西チワン(壮)族自治区と聞いて、誰もが思い浮かべるのは、天下に名高い桂林のカルスト地形や、山歌を得意とするチワン族の伝説に登場する美しい女性劉三姐だ。しかし、南中国海沿岸に位置する北海市は、広西に属しながらも、全く違った景観を持っている。かつて広東省の一部だったこの地には、カルスト地形も山歌もなく、あるのは銀色に輝く砂浜、広東人が愛してやまない海鮮料理や糖水(甘くて温かいスープまたはカスタードの総称)、そして中国で最も新しい火山島である潿洲島だ。今回は、海上シルクロードの重要な出発港でもあった美しい海辺の町・北海市の魅力を紹介する。
潿洲島の風景
北海市の西部湾にある銀灘(銀色の砂浜)には、なだらかな砂浜が4・5㌔にわたって広がり、穏やかな波が白く細かい砂を優しくなでている。陽光を浴びて銀色にきらめくその砂浜の風景は、まるで夢のような美しさだ。この「中国第一の砂浜」と称される銀灘は、北海市の象徴ともいえる。
北海市は広西チワン族自治区の南部に位置し、かつて「合浦」と呼ばれていた。その名は、漢の武帝(紀元前141年~前87年在位)が河川が海に合流する地形を意味して命名したもので、海上シルクロードの起点の一つでもあった。漢代より、この地から黄金、絹、真珠といった貴重な品々が東南アジア諸国へ向けて輸出されていた。
しかし、合浦は古代において港の発展に理想的な場所ではなかった。長い海岸線と自然の入り江が港を築くのに適していたものの、広大な内陸部に物資を運ぶ珠江や長江のような大河がなく、物流は水路と陸路を組み合わせるしかなく、険しい広西の地形は、交通の便が悪く、運送に向かなかった。しかし、海がもたらした「ある宝物」が、合浦を歴史的な港町へと変えていった。
その宝物とは、真珠だった。銀灘の東部に位置する北部湾は、中国で最も重要な真珠の産地の一つで、特に合浦で採れる真珠は「南珠」と呼ばれ、その品質の高さで知られている。真珠は古来、装飾品としてだけでなく、薬材としても中国人に重宝されてきた。そして合浦の貿易を繁栄させる決め手となったのが仏教だった。真珠は仏教の「七宝」(仏教の儀式で使用する7種の必須の財宝)の一つで、国民の多くが仏教を信仰する東南アジアの国々で、「南珠」は大変重宝がられたのだ。それによって東南アジアとの貿易が増え、港は大いににぎわい、漢代末期から唐代までの数百年にわたり、合浦は重要な港町として栄えた。
真珠を採取した後の貝殻は、貴重な芸術品の素材となった。北海の街中を歩くと、きれいな額縁で飾られた精巧な絵が目に留まる。近づいて見ると、それらは凹凸のある輝く浮彫りの絵画だ。これらは全て「貝彫」(貝殻を使って作られる彫刻芸術)と呼ばれる工芸品で、北海の無形文化遺産でもある。
貝殻彫刻は、北部湾で採れる貝殻の自然な色や模様を生かし、立体的で生き生きとした作品を作り出す。この技術は明末清初の頃に成熟した。特に唐代から清代にかけて、この地は州や県の行政の中心地であったため、地元の権力者や富裕層が、木製の家具に貝殻で花や鳥、伝説物語の主人公などを装飾する「螺鈿細工」を愛用した。その伝統が現在の貝彫へと発展したのだ。
とある貝彫工房を訪ねると、北海貝殻彫刻の伝承者である何明軍さんが高速で回転する研磨機をじっと見つめ、小さな貝殻を研磨していた。白い粉末に覆われた指先が操るその貝殻は、研磨されるにつれて形を変え、美しい輝きを放った。一つの作品を完成させるには、構想、素材選び、切り出し、彫刻、研磨、積み上げ、貼り付け、額装といった七つの工程を経る。その中でも特に重要なのが研磨の工程で、磨き上げられた貝殻は、まるで宝石のように透明感のある輝きを見せる。
「同じ形の貝殻は二つとして存在せず、同じ模様の貝殻彫刻も生まれません。これこそが貝彫の魅力なのです」と何さん。彼にとって貝殻は自然が与えてくれた贈り物であり、それを作品として仕上げることで、彼は生活感と芸術性を兼ね備えた独自の世界観を表現しているのだ。彼の手の中で、淡い光を放つ貝殻は、たこだらけの指先に導かれながら、一つの精巧な芸術品へと姿を変えていく。
火と水が交わる火山の島
銀灘の東端にある北海国際旅客港からフェリーに乗ると、約1時間20分で中国で最も新しい火山島・潿洲島に到着する。船を降りると、ほのかな磯の香りが漂い、一瞬にして漁村の素朴な雰囲気に包まれる。この島は開発が進んでおらず、至る所で昔ながらの漁民の生活風景を目にすることができる。
潿洲島は火山噴火で噴出した溶岩が堆積してできた島で、北部湾海域の中央に位置している。島内では海食(海水による侵食)、海積(海流や波による堆積)、溶岩など、さまざまな地質景観を楽しむことができる。島で遊ぶなら環島サイクリングが一番のお薦めだ。ここには全国で最も海辺に近い町並みがあり、海に面したレンタルショップで電動スクーターを借りて海岸線沿いを走れば、涼しい潮風を感じながら美しい景色を堪能できる。夕暮れ時には、オレンジ色に染まるロマンチックな海景に出会うことも。
潿洲島は、何百回もの火山噴火を経て、熱い溶岩と冷たい海水が交錯し、現在の姿が生まれた。柔らかくきめ細かな砂浜が西、北、東の三方を取り囲み、南部では火山地質の遺跡や火山岩が削られてできた海食地形が圧巻の景観を見せている。その中でも最も壮観なのが鰐魚山の火山口だ。上空から見ると、冷えて固まった火山岩がワニの形に見えることからその名が付けられた。ここでは変化に富んだ火山景観が楽しめ、風が吹くと波が岩にぶつかり、高くしぶきを上げ、海浪、断崖、岩礁、サボテンが織りなす風景は、迫力ある絵画のようだ。
潿洲島の東海岸に位置する五彩灘は、白い砂浜ではなく、貝殻や火山岩が砕けてできた黒い砂礫が特徴だ。ここでは国内でも珍しい海食崖、海食台、海食洞といった地質景観が見られ、鰐魚山の火山岩景観とは異なり、水の力が生み出した独特の迫力を感じることができる。
五彩灘の全長1・5㌔の海岸線には、20~50㍍の高さの海食崖が連なっている。砂浜への入口を進んで左手に少し歩くと、島内最大の海食台が広がる。これらの海食台は海食崖の前にへばりつくように広がり、干潮時には幅が数百㍍に及ぶこともあり、その壮大さに圧倒されるばかりだ。
五彩灘の景観は干潮の時間帯が一番きれいだ。潮が引くと、海食溝が浮かび上がり、朝陽に照らされた青苔と海水が鮮やかな色彩を放つ。また、海食崖と海食台の境目にはさまざまな形をした海食洞が点在しており、満潮時にはごく一部しか見えないこれらの洞窟も、干潮時にはその全貌が明らかになる。ただし、五彩灘の岩場は非常に滑りやすいため、足元には十分注意が必要だ。
さらに、五彩灘は潿洲島随一の日の出観賞スポットでもある。ただ、島の気候は変わりやすく、特に秋冬は霧が濃いため、日の出が見られる確率は10分の1以下と言われている。それでも運よく見られることを祈って、多くの観光客が日の出予報の時間に合わせてここを訪れるのだ。
2018年から、潿洲島近海ではカツオクジラの活動が頻繁に見られるようになり、北海市は中国国内唯一のホエールウオッチングができる場所となった。毎年12月から翌年4月にかけて、クジラたちは北部湾で繁殖期を迎える。特に日没前は気温が快適で、クジラが水面に出て餌を食べるので、ホエールウオッチングには絶好の時間帯だ。
観光客は地元の漁民に依頼して小型船をチャーターすれば、クジラを追う冒険に出掛けることもできる。小船は波に大きく揺られながら進むが、やがて静かな広い海域に到着すると、クジラが水面に姿を現して大きく口を開けて餌をとる光景に出会える。その周囲を旋回するカモメたちの姿と相まって、壮大な自然のドラマが展開され、訪れた価値を実感するだろう。
海が育むふるさとの味
北海は中国四大漁場の一つであり、魚、エビ、カニ、貝類などの海産物が豊富にそろう町だ。北部湾沿岸に住む北海の疍家(漁業、海運業などを営む水上生活者)の人々は、海と共に生き、漁業を伝統的な職業としてきた。北海の人々は、どんな海鮮でもその持ち味を生かし、絶妙なおいしさに仕上げる達人だ。その食文化は隣接する広東の影響を強く受けており、特にスープを好む点が似ている。一杯の温かくて旨味の詰まった(10)魚介類のスープは、北海の人々にとって心が安らぐ味わいだ。
深海で育ったハタは、大きな頭と厚みのある身が特徴で、スープを煮込むのに最適な魚だ。まず油で軽く焼き、臭みを取り除いてから、適量の湯と少量のネギやショウガを加えてぐらぐら煮立つほどの強火で煮込むと、スープは乳白色に変わり、柔らかい魚肉からは海そのもののような新鮮な風味が引き出される。クリーミーで滑らかなスープは、魚肉とスープのどちらが主役なのか分からなくなるほど調和が取れている。
ハタのスープよりもさらに名高い一品がオニオコゼのスープだ。オニオコゼは見た目こそ不格好だが、その味の良さで「北海の特色料理」としての地位を誇っている。この魚は深海に生息しているため、捕獲が難しく、食卓に上がることはまれだ。そのため、漁師たちはオニオコゼを手に入れてもなかなか売らず、自分たちをねぎらうごちそうとしてスープにすることが多いという。
北海の人々の一日は、ビーフンをすする音から始まる。古くから米の生産が盛んな広西チワン族自治区では、ビーフンが主食の大きな割合を占めている。北海の人々にとって、ビーフンは一日三食欠かせない存在といっても過言ではない。三方を海に囲まれた北海で地元の人々に最も愛されているビーフン料理が、カニを使った特製ビーフン「蟹仔粉」だ。
おいしい「蟹仔粉」を堪能したければ、僑港鎮を訪れるといい。この町には、海産物や干物の露店が軒を連ね、辺り一面に海鮮料理の香りが漂う。熱々の油が鍋の中で弾ける音が、訪れた人々の食欲を一層刺激する。僑港鎮は、ベトナムからの帰国華僑たちが定住した地域で、住民の95%以上が華僑やその子孫だ。彼らと共に海を渡ってきたのが、ベトナムや疍家の風味豊かな料理だった。
僑港鎮に住む李輝さんとその妻は、小さな蟹仔粉の店を営んでいる。早朝、李輝さんは食材を仕入れに市場へ出掛け、特に小さくて肉の少ないカニを丹念に選び出す。「このカニは『水蟹』と呼ばれていて、脱皮したばかりで肉は少ないですが、汁気が多く甘みが強いので、ビーフンにぴったりなんです」と李輝さんは教えてくれた。
水蟹をきれいに下処理した後、全体をすりつぶしてカニペーストを作る。このペーストに水を加え、布でこして不純物を取り除き、カニのエキスを抽出した蟹汁に仕上げる。そしてこの蟹汁を、コクのある豚骨と鶏ガラのスープと合わせて煮込んで特製のスープを作る。そこに蟹汁を使って調理した豆腐を具材として加え、ビーフンを煮込めば、塩味と旨味が絶妙に絡み合った蟹仔粉の出来上がりだ。カニの身一つ見当たらない蟹仔粉だが、カニのエッセンスが凝縮されており、その香りと味わいはカニそのものを食べるのに劣らないうまさだ。
この蟹仔粉のレシピは、李さんの妻の母、つまり彼の華僑である義母から受け継いだものだ。彼女たちにとって、この料理は日常の食卓に欠かせないものであり、「家庭の味」として世代を超えて受け継がれてきた。その味は今も変わることなく、人々の心を温めている。
おいしい食事を堪能した後は、甘い「糖水」が欠かせない。古来、両広(広東・広西)地域は中国の重要なサトウキビの産地で、特に広西は現在、中国で砂糖生産第1位を誇っている。製糖業の発展により両広地域では豊かな「糖水」文化が誕生した。北海ではリュウガン、ナツメ、ギンナン、ユリ根、タロイモ、ハスの実、ココナッツ、パイナップルなど、多彩な素材を組み合わせた糖水が楽しめる。海に生きる疍家の人々は、そのほとんどの時間を海上で過ごすため、砂糖のような貴重な資源はほとんど手に入らなかった。そのため陸に上がるたび、糖水を作って糖分をとり、体力を補っていた。糖水の甘みと海鮮の塩味の絶妙な調和は、疍家の人々の豊かな生活を象徴する味わいなのだ。
夕焼けが空を彩る頃、海鮮市場を訪れてみるのも一興だ。気になる店にふらっと入っては、腕ほどの長さがあるシャコや、スイートスネイル、そして現地の食卓に欠かせない湯引きしたスジホシムシを味わってみるといい。湯引きされた海鮮は新鮮で歯ごたえがあり、口いっぱいに広がる海の甘みがたまらない。潮の香りを含む海風に吹かれながら、地元の海鮮で軽くお酒を楽しめば、目の前の波音に揺られて日々の煩わしさから解放されるひとときを過ごすことができるだろう。