福田康夫・元内閣総理大臣:助け合いと相互理解で関係再構築

2018-08-14 16:34:49

聞き手=呉文欽 写真=陳克

 李克強総理の5月上旬の訪日により、経済、医療、環境保護など多くの協力協定が結ばれたことで、中日関係はようやく「雨のち晴れ」の新たな局面を迎えることとなった。

 8月12日に中日平和友好条約締結40周年を迎える今、「四つの政治文書」の原点に戻って中日関係の再出発を進めることは両国共通の課題だ。そこで今回は父福田赳夫元首相から2代にわたって中日関係改善に尽力した福田康夫元首相を訪ね、中日関係のあるべき姿をあらためて探った。

 

――中日平和友好条約締結時の総理大臣はお父様の福田赳夫さんでした。条約締結までの過程をお教えください。

 福田康夫氏 1972年の日中国交正常化以降、残念ながらすぐに平和友好条約締結という流れにはなりませんでした。国交正常化はそれまでの戦争状態の終結と外交関係の復活を意味しますが、人的交流や貿易などを行うには、平和条約を締結した上でさまざまな取り決めをする必要があります。

 福田赳夫流に言えば、「つり橋」を「鉄橋」に換えるのです。国交正常化で「つり橋」ができ、交流が始まったのですが、つり橋ではわずかな人しか通れません。平和条約を締結して「鉄橋」に取り換えることにより、人やモノなど、あらゆる面での交流が大々的にできるようになりました。当時の日本も中国も、ソ連との関係などを考慮して、その後の進展は遅々として進みませんでしたが、双方の条約締結への思いは強く、78年8月に園田直外務大臣が北京に赴いて文書に署名しました。

 当時の中国は、改革開放で経済を本格的な発展への軌道に乗せるという課題がありました。そのために日中間に「鉄橋」を架けて、あらゆる交流を始める決意をしたのです。改革開放体制の下で世界とさまざまな交流取引をする決断には、鄧小平氏と中国指導部が大きな力を発揮したと思います。

 7810月、鄧小平氏が訪日し、互いの政府が友好条約を承認した証しである批准書の交換式を行い、ここに懸案の条約が発効したのです。そのときの福田赳夫首相との首脳会談では、日本は中国の経済発展に全面的な協力を約束しました。

 式典の後に鄧小平氏は、東京、大阪、名古屋などを回り、経済界の人々と積極的に会い、経済発展の道筋をつけて帰国されました。今の中国の発展は、そのときの鄧小平氏の活躍に負うところが大であると思います。

 

――そのときから30年経った2008年の首相在任時には、胡錦濤国家主席(当時)と第四の政治文書を交わされましたね。

 福田 胡錦濤さんとは非常に良い話ができたと思っています。0712月末にお会いした際、中国の社会や産業のあり方について私も率直に意見を述べ、環境問題についても良く話し合いました。

 環境問題の基本は、エネルギー使用の効率を良くすることです。改善のノウハウを提供し、環境改善の拠点を数カ所つくる約束をしました。その集大成として、08年に行われた洞爺湖G20サミットで中国は、環境改善について国際社会に協力することを約束してくれました。胡主席との間では、第四の政治文書を締結し、日中が協力して国際社会に貢献する姿を見せることができるようになりました。

――5月上旬に李克強総理が来日し、困難な時期にあった中日関係が好転し始めたと発言しました。来日の最も大きな成果と意義は何だったと思いますか。

 福田 李克強総理の訪日は、双方の首相が関係を良くしていきたいと考えた結果実現したと思いますし、率直に考えを交わすことで同じ意見を持っていると認識できたのは非常に良いことだったと思います。

 日中関係の悪化は周辺国にとっても心配ですし、その杞憂が世界中に広がる可能性もあります。そうなればアジア地域の安定もありませんし、世界の迷惑にもなるでしょう。ですから日中両国は常に互恵の関係でなければいけないし、周辺諸国がその恩恵を共に享受できるようにする責任が両国にはあると思います。現在の世界における経済規模の大きさは米中日の順で、このうち、日本と中国は同じアジアにあります。これは非常に大きい意味を持っているということを、われわれは意識すべきです。

 

――数年来、習近平国家主席をはじめとする中国指導部は世界に向け「人類運命共同体」を共に築こうと繰り返し呼び掛けてきましたが、その意義についてどう思われますか。

 福田 世界には富める国がある一方、子どもたちの食事にも事欠くほど貧しい国が多くあります。貧困は紛争や戦争を起こす原因になるので、貧困を減らす努力をしなければいけません。中国がアフリカで行う努力でアフリカ諸国の所得が上がり、生活が安定し、その影響が世界中に広がれば良いと思います。「自分さえ良ければいい」という考えを捨て、苦労を分かち合い、みんなで状況好転の努力をする世界を作っていくのです。「人類運命共同体」とはそういうことではないでしょうか。

 中国による「人類運命共同体」の提唱は、そのような考えを世界に広めていくだけの力を中国が備えた証しであると思います。習近平主席のその旗印は力強く、世界の人々全てが目標とすべきと思います。そのメッセージを世界に示しつつ、「一帯一路(シルクロード経済ベルトと21世紀海上シルクロード)」のような大きい構想を進めていくということだと私は理解しています。「一帯一路」は中国だけのものではありません。ユーラシアの国々は安定して良好な関係を結ぼうと試みる地域だという目標を、習主席がわれわれに与えてくれたのだと思います。

 

――6月24日には南京大虐殺遭難同胞記念館を訪問し、「和平東亜」と揮毫されました。訪問のきっかけと「和平東亜」と揮毫した理由をお聞かせください。

 福田 南京の記念館が事実に基づいた記録を中心にした記念館に生まれ変わったと聞き、一度行ってみたいと思っていました。実際に参観したところ、戦争の悲惨な出来事の記録が数多く展示され、後世の人々が事実を認め、理解し、記憶するための場所だと感じました。事実に則した展示は、日本人にとっても違和感はありませんでした。私たち日本人が真実を謙虚に受け止め、二度と戦争をしないという思いを強く持つためにも良い場所だと思います。

 グローバル社会の今、アジアはやり方次第で極めて安定した地域になるのではないかと期待しています。ASEAN(東南アジア諸国連合)が成長しているだけに、日中関係の安定は両国に課せられた大きな責任です。中国は14億の人口を持つ大国で、経済規模も日本の約3倍です。さらに今年は日中韓の経済の合計が米国を超えるレベルとなり、今後さらに大きくなるであろうと考えたとき、今や世界に対する責任が、われわれにはあるのだという思いを込め、「和平東亜」と書きました。

 

――今後の中日関係のあり方についてどう考えますか。

 福田 日中両国は、今やお互いに助け合う関係にあるのではないかと思っています。互いに足りないところを補い合うことができれば、互いを求める関係ができます。そんな関係をこれから努力してつくっていきたいと思います。

 また、国同士が良い付き合い方ができるかは、国民同士が相手を理解するかどうかにかかっています。幸い両国には文化的な共通項がたくさんありますから、交流の機会にも恵まれています。音楽、文学、美術や芸術などの伝統文化からアニメなどのポップな若者文化まで、幅広い分野での国民同士の交流により、互いの理解を深めることはとても有効で有意義です。今後はこれら文化交流により、国民の相互理解を進めることに力を入れていきたいと思っています。

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