「ガイジン」の日本文化案内

2022-02-23 14:23:53


劉檸=文

オランダ人フリーライターで、日本研究者でもあるイアン・ブルマは、東京に到着して間もなく、日本映画研究者で米国人作家のドナルド・リチーと知り合った。リチーは先輩として、彼に二つの注意をした。一つは、「サイデンステッカー症候群」についてだ。これは西洋人の日本に対する心理の変化や崩壊を指し、彼の友人で、知日派学者であるエドワード・サイデンステッカーが命名したもので、「魅了され心酔する」という状態から、「幻想が破れ、不満だらけ」の、「まるで個人的な幻滅を全て日本のせいにしているよう」な状態になることだ。

これに比べると、もう一つはより重要だ。「多くの人が犯す大きな過ちとは、自分が一人の日本人として扱われるようになるだろうと考えることだ。ここの人たちはとても礼儀正しく、思いやりがあり、日本人と深い友情を培うことは完全に可能である。しかし、あなたは永遠に彼らの一員にはなれず、永遠に『ガイジン』のままなのだ」

ブルマは日本に着いてから、日本大学芸術学部に籍を置いたが、授業にはほとんど出ず、「日本人の女の子と西部新宿線にある中産階級の住宅地で同棲し、周囲はラーメン店、神社、銭湯、盆栽や花の鉢植えが並べられた木造の古い住宅ばかりだった」。彼の著書『A Tokyo Romance』では、こうした「没入式」観察や旅芸人式の生活が記録されている。

ブルマは「ガイジン」という特殊な身分をフルに活用し、サブカルチャー団体を渡り歩き、そこに潜入すると同時に、役者、雑用係、芸術家、英語教師、ひいては臨時のセックスパートナーといった役割を演じて、小劇場やバー、ストリップ劇場、ソープランド、刺青店などで、一幕また一幕とコスプレ劇を上演した。この過程で、彼は知識ではなく身体で「ウチとソト」「ウェットとドライ」といった日本文化の精髄を知った。それを記録したものは、まるごと戦後の前衛芸術史と先鋒文化史となり、さらには三島由紀夫、野坂昭如、寺山修司、唐十郎、黒澤明、川喜多長政、李香蘭、足立正生、大野一雄、土方巽、麿赤兒、森山大道、荒木経惟、立木義浩などを余すところなく記録している。「ガイジン」によるテキストとはいえ、これは深層部まで潜り込んだ視点と、客人の立場に留まらず、共同体の一員と見なされた特殊な立場からの観察で、かなり「内部」的なものである。さらに貴重なのは、テキストの中に多くの都市伝説式な民俗的表現手段が織り込まれていることで、ある種文化人類学的な味わいと付加価値を持つことだ。例えば、唐十郎のテント公演に随行して京都にいたとき、先斗町で酒を飲んでいたために、自然に付近の茶屋に現れる京都の芸妓さんを思い浮かべたり、鴨川から神道の巫女の伝説について語ったり、さらに江戸時代に話が及ぶと、歌舞伎で女優が禁止されたきっかけに言及したり、さまざまだ。

ブルマは「ガイジン」であり、正確に言えば西洋人であるため、彼は中国人を含めた「東洋的」な視線をあまり気にする必要がなかった。そのため、彼は本の中で、少なからずゴシップを披露している。例えば、李香蘭は日本の映画界のドンであった川喜多長政の情婦であったとか、名俳優・名歌手の美輪明宏は三島の愛人だったことがあるなどだ。ブルマが教養のない「ガイジン」だから、こんなに何事も恐れないのだと考えてもよいが、客観的にみれば、これは確かに同時代の日本人の手で書かれた各種の追憶本にはない価値ともいえる。

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